曽根中生
ソネチュウセイ
1962年、日活に入社。様々な日活アクションの監督についたが、もっとも影響をうけたのは、「殺しの烙印」(1967)の鈴木清順。ロマンポルノに変更後の日活で才能を開花させ、主軸監督の一人に。また一般映画でも「嗚呼!!花の応援団」(1976)をヒットさせた。
ソネチュウセイ
1962年、日活に入社。様々な日活アクションの監督についたが、もっとも影響をうけたのは、「殺しの烙印」(1967)の鈴木清順。ロマンポルノに変更後の日活で才能を開花させ、主軸監督の一人に。また一般映画でも「嗚呼!!花の応援団」(1976)をヒットさせた。