
このマンガ、もう読んだ?
「生きたがりの人狼」モチーフは“人狼ゲーム” 心理戦と肉弾戦が絡み合う新時代サスペンス
2025年6月17日 13:00 PR丹下茂樹「生きたがりの人狼」
子供の頃、幼なじみの兄から命を救われた高校生・灰堂ヒロナリは、周りから「生きたがり」と言われるほど生きることに執着してきた。そんなヒロナリは、ある夜、人を喰って姿と記憶を奪い、なり替わる化け物“人狼”に襲われ、身体と記憶を奪われてしまう。人間社会に溶け込み、周囲に悟られぬように人間を喰うことで命を延ばしてきた“人狼”として生きることになったヒロナリの、数奇な物語が幕を開ける。「生きたがりの人狼」は、週刊少年マガジン(講談社)で連載中。
文
心理戦と肉弾戦が絡み合う人狼ゲームモチーフの新時代サスペンス
「人狼」と言ったら今や単なる獣人でなく、「人狼ゲーム」を想起することが多くなった。場合によってはゲームからの派生で「集団における異端者」という文脈で使われることも目にするくらいだ。
村に潜んで村人を襲う人狼を探す(あるいは逃げ切る)人狼ゲームは、会話などを通しただまし合いや心理戦が面白い。では、人狼がゲームでなく現実にいたら? そんなモチーフのマンガが「生きたがりの人狼」だ。
主人公・灰堂ヒロナリは、クラスメイトと人狼ゲームで遊んでいるときですら「死にたくない」と真剣にあがくほど生への執着が強い高校生。彼はある日の帰宅中、人間になり替わっていた人狼に喰われ、記憶と姿を奪われてしまう。本来のヒロナリは死んでしまったが、取り込んだ記憶が影響して人狼のほうが人格的にほぼヒロナリにすり替わる。こうして、ヒロナリは人狼でありつつ人間の人格を持ち、生き残りをかけて人狼や“人狼狩り”と呼ばれる人間と対峙していくことになる。
人狼対人間という構図はゲームの通りだが、本作はヒロナリが陣営的に孤立状態でもあることによってサスペンス感を増している。人狼だけど人間でもあるという彼は、人間に対して人狼であることを隠し通す必要があるだけでなく、人狼に対しても自分が実質的に人間であることを隠さなければならないのだ。
ヒロナリが人狼だと知らない人間には効果的な情報の出し方で出し抜き、人狼同士の会話では嘘を駆使しながら情報を引き出したり関係を作り直す。情報戦、心理戦の面白さが序盤からギュッと詰まっている。
また、本作は頭脳戦サスペンスであると同時にバトルマンガにもなっている。“人狼狩り”たちは異能を持っており、霊能者など人狼ゲームでもおなじみの「役職」がある。異能を駆使した派手なぶつかり合いも大きな魅力の1つだ。そして、このバトルにもルールがあり、「役職者」である人間を喰った人狼はその能力を奪うことができる。アクション的な気持ちよさと、読み合いなどの頭脳戦的な要素が絡み合うのも見どころだ。
“勝利条件”のないゲームをどう勝ち残るのか
さて、人狼ゲームを大きなモチーフにした本作だが、ゲームと違う部分がドラマの芯になっている。それはこのゲームの“勝利条件”だ。
人狼ゲームは、村人なら人狼を全滅させること、人狼なら村人を減らし全体の半数以上を人狼にすることが勝利条件である。だが、人狼であり人間であるヒロナリは、生きるという究極の目的はあっても、どうなるのが勝利なのかは自明ではない。人間を喰うことには抵抗がある。だが、事実として人狼であり、人間を喰いたいという欲求もあり、“人狼狩り”からは問答無用で狙われる存在だ。
しかも、人間側にはヒロナリにとっての友人や恋人もいる。例えば“人間狩り”として人狼を追う宮條コウキはクラスメイトだ。自分が死ぬことももちろんだが、現実で友人を吊らなければならないという状況を、人はそう簡単に受け入れられない。“現実化”した人狼ゲームでは、この葛藤や戸惑いが大きな影響を及ぼす。ヒロナリもコウキも、このゲームにおける役割を担っているが、ゴールがどこにあるのかはわかっていない。それは恋人の花香も同様だ。人格だけがコピーされたヒロナリが、果たして人間なのか人狼なのかという問いに、彼女もなんらかの結論を出さねばならないだろう。
登場人物たちは皆、生き残るという目の前の絶対条件と向き合いながら、最終的にどういう結末へ向かうべきかという“勝利条件”を探さねばならない。「生きたがりの人狼」は、生き残りサバイバルサスペンスであると同時に、ゴールなき人狼ゲームのゴールを探す旅の物語でもあるのだ。
「生きたがりの人狼」第1話を試し読み!