日本モンゴル友好記念事業「モンゴル・ハーン Japan Tour 2025」が、10月に東京と愛知で上演される。去る8月29日には、モンゴル出身の元力士で第69代横綱の白鵬翔が、同公演のアンバサダーを務めることが発表された(参照:日本とモンゴルをつなぐ架け橋に、元横綱・白鵬が「モンゴル・ハーン」アンバサダーに就任)。
「モンゴル・ハーン」は、2022年にモンゴルで初演され、その後、イギリス・ロンドン、シンガポールで上演された話題作。本作では、約3000年前の古代モンゴル帝国を舞台に、“愛と野望”“裏切りと復讐”、そして王位継承を巡る壮大な歴史ドラマが繰り広げられる。
ステージナタリーでは、6月に行われた「モンゴル・ハーン」モンゴル凱旋公演を観劇し、演出およびエグゼクティブプロデューサーを務めるヒーロー・バートル、ツェツェル正妃役ならびに本作のプロデューサーを務めるバイラ・ベラ、アーチュグ・ハーン役のエルデネビレグ・ガンボルド、エゲレグ首相役のボールド・エルデネ・シュガーにインタビュー。「モンゴル・ハーン」という作品が持つ魅力や、10月に控える日本公演に向けた意気込みを聞いた。
取材・文 / 興野汐里
6月、ウランバートル市の中心部にある国営劇場・国立アカデミックドラマシアターにて、「モンゴル・ハーン」モンゴル凱旋公演が行われた。「モンゴル・ハーン」では、古代モンゴル帝国を舞台にした壮大な物語が、モンゴルの伝統文化を取り入れた音楽、衣裳、小道具、最新のテクノロジーを駆使した映像や照明、モンゴルで活躍中のキャストによるダンサブルなパフォーマンスなど、モンゴルにおける“過去”と“現在”の芸能を融合させた演出により立ち上げられる。モンゴル凱旋公演の詳細なレポートは、こちらの記事を参照してほしい(参照:古代モンゴル帝国を描くスペクタクル歴史ドラマが今秋来日!「モンゴル・ハーン」モンゴル公演レポート)。
「モンゴル・ハーン」モンゴル凱旋公演の開幕直前、本作の演出およびエグゼクティブプロデューサーを務めるヒーロー・バートルのインタビューが現地で行われた。取材会場となったのは国立アカデミックドラマシアターの裏手にあるカフェ。そこには、遊牧民が暮らすテント形の移動式住居ゲルを模したルームが併設されており、ルーム内にある円卓を囲むようにして、バートルをはじめとする「モンゴル・ハーン」の公演関係者、通訳、記者が集まった。まずバートルが「ゲルは人々が親密になれる素敵な場所なんですよ。ミニマムな空間であるがゆえに、ゲルの中で暮らす家族たちが喜んでいるのか怒っているのか、すべての状況を見ることができます」と口火を切り、室内を見渡しながら、「皆さん、リラックスしてからお話を進めていきましょう」とモンゴル製のウォッカ・アルヒやハーブティー、コーヒーなどを振る舞い、自ら乾杯の音頭を取った。
バートルは、卓上に置かれたシャガイと呼ばれる羊のくるぶしの骨を手に取り、「モンゴルでは、シャガイを転がして遊んだり占ったりするんです。皆さんもぜひやってみてください」と報道陣に呼びかける。また、「皆さんがもっとリラックスできるように、お香を焚きましょう」とタイムに似た植物に火を点け、「モンゴルでは、お香を焚くことによって、家の中の邪気を払うことができるとされています。ほら、良い香りでしょう?」と言い、少年のように微笑んだ。
私たちが今大切にすべきものは何なのか
バートルの計らいにより、会場の空気が和んだところで取材がスタート。初めに、記者が「モンゴル・ハーン」という作品の成立に関して質問した。「モンゴル・ハーン」は、2019年に死去した作家バブー・ルハグヴァスレン(1944~2019年)が1998年に発表した「Tamgagui Tur(英題:State Without A Seal)」をもとにした作品。バートルは盟友のルハグヴァスレンが遺した名作を再構成し、2022年に「モンゴル・ハーン」として舞台化したと言う。
バートルは「『モンゴル・ハーン』はフィクションでありますが、モンゴルの伝説や文化に関する情報がふんだんに盛り込まれています。モンゴル人という民族は、諸外国の人々と比較すると、言葉よりも身体を使って意思を示す傾向があるのではないかと思っていて。この『モンゴル・ハーン』という作品を通して、モンゴル人の特徴を生かした舞台を世界に発信したいと考えました」と説明する。
バートルは続けて、「新型コロナウイルスが蔓延した時期、人類は自分のことだけではなく、お互いのことを考え、尊敬し合わなければならないと感じました。またコロナ禍を経験したことで、あらゆる技術が発展したことによって生まれた昨今の弊害についても考えるようになりました。たとえば携帯電話やインターネットの普及によって、人と人との距離が近づいたようで、実は遠ざかってしまった部分があると思います。便利なコミュニケーションツールは増えましたが、人と人とが顔を突き合わせて話し合う機会は減ってしまった。そこで、演劇を観るために劇場に集まることが、現代を生きる人々にとって良い影響を及ぼすのではないかと考えたのです。携帯の電源を落とし、今ここで上演されている物語に集中する。私たちが大切にすべきものは何なのか、『モンゴル・ハーン』を通して、皆さんと一緒に今一度考えてみたいと思いました。『モンゴル・ハーン』では、約3000年前のモンゴル帝国を統治していたフン族の王アーチュグ・ハーンと彼を取り巻く人々を軸にした歴史ドラマが描かれますが、“愛”が大きなテーマになっています。この“愛”という題材は、若者に『モンゴル・ハーン』に興味を持ってもらう入り口の1つになっているのではないかと思っていて。普段、口に出して伝えられていないことがあったとしても、劇場へ来て一緒に作品を鑑賞することによって、改めてお互いの愛情を確かめ合うことができる。『モンゴル・ハーン』の会場が、そういった役割を担う場所になれば良いなと考えています」と作品に込めた思いを語った。
「モンゴル・ハーン」と日本との意外な縁
「モンゴル・ハーン」は、2022年にモンゴルの国立アカデミックドラマシアターで初演され、その後、2023年にイギリス・ロンドンのロンドン・コロシアム、2024年にシンガポールのマリーナ・ベイ・サンズシアターで上演された。来たる10月には、日本とモンゴルの友好記念事業として東京・愛知での上演が予定されている。
記者たちの質問にモンゴル語で回答したのち、1人ひとりに向けて「ありがとう」と流暢な日本語で謝辞を述べるバートルに対し、「これまでに日本を訪れた経験はあるか」「日本にどのようなイメージを持っているか」と尋ねると、バートルは「大相撲で活躍した元横綱・白鵬関に招待してもらい、よく日本へ行っていました。私はもともと映像監督をやっていて、『モンゴル民族の百人の偉人』というドキュメンタリー映像を制作していたのですが、白鵬関の映像を撮影するために、『モンゴル・ハーン』の作家であるバブー・ルハグヴァスレンたちと共に日本へ行く機会があったんです。仲間たちとケンカしながら、泣きながら、話し合いながら白鵬関のドキュメンタリーを作ったわけですが、実は『モンゴル・ハーン』を上演しようという話題が持ち上がったのは日本だったんですよ」と、「モンゴル・ハーン」と日本の間に意外な縁があったことを明かす。
バートルは、来日した際のことを振り返り、「初めて渋谷のスクランブル交差点を見たときは非常にびっくりしました。たくさんの人々がこの場所で出会い、すれ違い、それぞれの人生を生き、死んでいく。そして、次の世代へと命が受け継がれていく。そんなことをバブー・ルハグヴァスレンと話し合ううちに、『モンゴル・ハーン』の上演に関する話が出ました。また私は日本へ行くたびに、歌舞伎や能を観劇して、さまざまなアイデアをもらっています。これまでに行った国の中でも特に日本の文化は素晴らしい。人々が互いに尊敬し合い、何事も本気に、丁寧に取り組む日本人の国民性にいつも感動します。『モンゴル・ハーン』という作品には『自分のことだけではなく、お互いのことを考えよう』というメッセージが込められているので、日本の観客の方々にも共感してもらえるのではないでしょうか」と語る。
「モンゴル・ハーン」のキャスティングにおけるこだわりについて問われた際は、亡き友ルハグヴァスレンとの思い出があふれた。バートルは「バブー・ルハグヴァスレンが生きていた頃、モンゴル国内で最も優秀な俳優陣を集め、長い時間をかけて『モンゴル・ハーン』に出演するキャストを選びました。私は俳優たちと若い頃から交流があり、彼らの人柄をよく知っていたので、『この人にはこの役柄がフィットするのではないか』とバブー・ルハグヴァスレンに提案しながらキャスティングを進め、素晴らしいキャストたちに出演してもらうことが決定しました。演出をしている私自身からしても、俳優たちは“役を演じる”というより、“役の人生を生きている”のではないかと感じることがあります。日本の皆さんもきっと私と同じ感想を抱くのではないかと思います」と手応えを述べた。
次なる構想はモンゴル版オペラの上演
バートルのキャリアを語るうえで今や欠かせない作品となった「モンゴル・ハーン」は、2022年のモンゴル初演で180回公演以上のロングランを記録し、約10万5000人を動員。その後、2023年のロンドン公演では約4万2000人、2024年のシンガポール公演では約3万人を動員した。
「演出家として今後どのような作品を制作していきたいか」と構想を尋ねると、バートルは「モンゴルの伝統的な歌唱法の1つ、オルティンドーと呼ばれる長唄を用いたオペラの制作を予定しています。作品の題材はフビライ・ハーン。『モンゴル・ハーン』の次は、モンゴル版オペラを世界の方々にお見せしたいと考えています」と今後の展望を語った。
プロフィール
ヒーロー・バートル
1979年、モンゴル・ウブルハンガイ県生まれ。HERO Entertainment Group LLC代表。プロのアニメーションイラストレーターとしての経歴を持ち、モンゴル国営放送でキャリアをスタートさせる。社会主義体制から市場経済への移行期に、モンゴル初の民間広告制作スタジオを設立し、広告・プロモーション映像の分野を開拓した。2004年にHEROスタジオを設立。これまでに90本以上のミュージックビデオ、350本のCM、15本の長編ドキュメンタリー、2本の長編映画、数多くの芸術ドキュメンタリー番組を制作している。特に、モンゴルの民族的アイデンティティを映し出す番組制作に力を入れており、「モンゴル民族の百人の偉人」と題したシリーズは歴史的資料として高く評価されている。2022年、バブー・ルハグヴァスレンの戯曲「Tamgagui Tur(英題:State Without A Seal)」をもとにした「モンゴル・ハーン」を発表。日本で彼の作品が上演されるのは今回が初となる。
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キャストが語る「モンゴル・ハーン」