「THEATRE for ALL」岡田利規×ノゾエ征爾 対談|多様な観客との出会いで起きる想定以上のこと、それが醍醐味

想定を超えた観客の反応こそ醍醐味

──最初に岡田さんがお話ししてくださった通り、身体的障害だけでなく、言語や世代、住んでいる地域の違いが、鑑賞のハードルになる可能性もあります。岡田さんはタイの状況を克明に描いた「プラータナー:憑依のポートレート」(参照:「プラータナー:憑依のポートレート」岡田利規×徳永京子 対談)を日本人の観客に向けて上演されたほか、絵本をベースにした「わかったさんのクッキー」、ノゾエさんは松尾さん原作の絵本をベースにした音楽劇「気づかいルーシー」(参照:「気づかいルーシー」ノゾエ征爾×岸井ゆきの)と、子供向けの作品にも取り組まれました。それらの作品で特に意識されたことや発見はありましたか?

「ボクの穴、彼の穴。The Enemy」より。(撮影:阿部章仁)

岡田 まず僕は、地域や世代の違いをハードルという表現では捉えていなくて、自分の中では“文脈”という言葉で考えるんですね。「プラータナー」で言えばタイの文脈を知らない人、つまり作品のストーリーやテーマが依拠した文脈を共有していない人は当然いるわけですから、そういう人たちに対してどう伝えるか。また文脈が違うからこそ想定していなかった生産的なことが起こることもあって、それについて検討したり、予想したりする、そのことがむしろ醍醐味というか。作品を作るうえですごく大きなパートだと思うので、文脈の違いについて考えつつ作っているという感じです。

ノゾエ 僕も岡田さんと同じで、想定していなかったところでの生産は一番の醍醐味だと思います。自分なりに「ここはこう伝わるといいな」「こんな刺激が空間に生まれるといいな」と思って上演に臨みますが、「あ、お客さんはここに反応した? ここはこうなった?」と、こちらが知らせてもらうことのほうが喜びというか。自分の中ではこんな範囲の作品だと思っていたら、「こんな可能性もあったんだ!」とお客さんに教えてもらえる。そうしたことが子供や高齢者、障害者対象の公演には多くて、脳をかき乱されるし、脳をほぐしてもらえる、ということがあります。

それと高齢者施設を回るのと同じ作品で障害者施設も回るんですけど、例えば午前の回では高齢者向け、午後は障害者向けとなると、同じ作品でも観る人の視点が変わるので、こちらが同じことをしていても届かないんです。そういうときは都度そのお客さんにもっと歩み寄ってみたり、角度を変えてみたりして、とにかくこちらがニュートラルにいないといけないな、ニュートラルにいたいな、と思っています。

フラットな創作の場から生まれる、“想像以上のもの”

──お二人の作風や創作のベクトルは全然違うと思うのですが、共通して感じるのがクリエーション現場のフラットさです。「消しゴム山」のクリエーションでは、キャストと岡田さんが同じ目線で作品についてディスカッションを重ねていましたし、そもそも「消しゴム山」ではモノと人が等価に置かれることをコンセプトにしているので、稽古ではその場にあるものすべてを混ぜ合わせ、全員でこねながら作品を作っている印象を受けました。

ノゾエさんは、ゴールド・アーツ・クラブのお稽古では300人近いキャストの間に自ら飛び込んでいって、キャストに押され気味になりつつも1人ひとりに声かけをしたり、昨年末の「ピーター&ザ・スターキャッチャー」(参照:新国立劇場「ピーター&ザ・スターキャッチャー」ノゾエ征爾×田中馨 対談 / 宮崎吐夢が稽古場を語る)では、さまざまな出自のキャスト&スタッフからアイデアを引き出すことに注力されていたりと、お二人とも作家・演出家という枠にこだわらず、クリエーションの場が活性化することを大切にしていらっしゃるなと。それはもしかしたら、お二人が多様な観客に向けて作品を生み出し続けてきたことと関係しているのではないかと思うのですが……。

岡田 そんなふうに今まで考えたことがなかったから面白いですね。ノゾエさんは、自分がそうだと思いますか?

ノゾエ うーん、そうですね……僕自身、役者としてほかの現場に入ることもよくあるので、僕の作り方はほかとはちょっと違うんだ、というのは感じます。僕の作り方はある種、役者さんを惑わせる可能性があると思っていて、その心配がある役者さんには、「僕からは全部を提示するわけじゃなくて、迷いながら、遠回りしながら作りたいです」とあらかじめ話すようにしています。わりと演出家に強いものを求める方も多くて、僕があいまいな返答をすると「ちゃんとわかりやすい地図を示してほしい」と言われることもあり、それで稽古場に変な摩擦が起きることもあるんですけど……(笑)。

岡田 でも、演出家がグイグイ引っ張って何でも1人で決めていく現場で起きる摩擦より良くないですか?

ノゾエ あははは! まあ僕はどんどんこういう作り方になっていますね。でも前は違いました。芝居を始めた当初は自分のイメージがわりと強くて、自分で動いてみせて「こうやってほしい」って俳優に言ったりもしてたんですけど、場数を踏めば踏むほど、どんどん自分1人から生まれるものはなんて小さいんだろうと思ったし、せっかくこんなにいろいろな感覚の人がいるんだから、それに触れずして何が集団創作なんだろうって、最近はより思っています。

岡田 そうですよね。

ノゾエ ええ。だから僕は、自分がこうしたいと思うものはまず胸に留めおいて、皆さんが話しやすいような雰囲気を作り、みんなが意見を出すのを待ちます。すると自分が最初にイメージしていたものとは全然違うところに作品が行き始めるので、そこが一番面白いかもしれないです。でも岡田さんの作り方は、いつも想定を超えてきますよね。僕、プリコグさんのニュースレター(編集注:岡田が所属する制作会社プリコグが発行しているメルマガ)を楽しみにしてて。

岡田 え、読んでるんですか?(笑)

ノゾエ 常に変容し続ける柔軟さを持ってる方だなと思っていて、今度は何をやられるんだろうっていつもすごく気になります。

「消しゴム山」稽古の様子。

岡田 読んでくださってうれしいです。僕は、自分が観たことがないもの、どういうものになるのかわからないものが作りたいんですよね、特に最近は。前はそうじゃなかった、というのはさっきノゾエさんが言ったことと僕も完全に一緒で、僕は役者じゃないから自分で演じてみせるってことこそしないけれど、それは些末な違いで、ざっくり言って一緒でした。でも今は違います。というのも、自分でも観たことがないものは、自分だけでは作れないし、演技だったら役者、音響的なことは音響スタッフのほうが面白いことを考えられると思うので、彼らにアイデアを出してもらうほうが良いに決まってるんです。ただ僕としては、コンセプトだけはしっかり持ちつつ、最初は「?」って感じの参加者たちと、具体的でないコンセプトをだんだん具体化させていく。そのプロセスを取ることは、意識しているつもりですし、クリエーションの場をフラットにしているのは、そのほうが面白いものが作れるからです。

あと僕はもともとリーダーシップみたいなものがなくて、というかリーダーシップを持つことへの欲望もあまりないんですよね。演出家はやりたいけどリーダーになりたいわけじゃない。演出家たるものリーダーシップがあって当然でしょ、的な考え方がだんだん、いやそれとこれとは別でいいよね、となってきているのが、僕にとっては居心地がいいというか。

ノゾエ リーダーシップのお話は非常によくわかるというか、似たような思いがあります。みんなが意見を出しやすい、フラットに話しやすい空気にするには、まず演出家が勝手に持ってしまっている権力的な強さ、存在感みたいなものを排除することだと思っていて。かと言って、もともとそんなものないんですけど(笑)、逆に求められることもあるので、意識的に排除するようにしています。

共有が増えることで、作品がまとまっていく

──座組全体で作品を作り上げていく現場は理想的だなと思う反面、クリエーションをどうまとめていくか、最終的に何が優先されるかという判断が難しそうです。

岡田 まず小さな話から始めると、ずっと前は、例えば演技を見て「それはダメ、今のは良くない。もっとこうしたら良いと思う」と僕が言って、役者が次にやるときは、僕が言ったようにやっているかどうかを見ていたんです。でもそういうのはヘタクソな演出なんですよ。今は役者が次にやることを、僕が言った通りにやってるかどうかは関係なしに、単に面白いかどうかというふうに見てます。“僕が言ったのとは違ったけど、でも今のは良いね”ってことはよくあって……というかほとんどがそうです。そのうえで僕の現場は、いいメンバーと作っているというのが一番大きいと思いますが、まとまらないということはないです。

先ほどお話しした通り、最初は僕しか持っていないコンセプトを、みんなにシェアしていくプロセスを踏むので、「この作品ではこれが良い」という感覚を少しずつ共有していくプロセスができてきます。もちろん最終的に「これでいこう」ってハンコを押すのは僕なんですけど、そうするまでに「これが面白くて、これが今回我々がやろうとしていることだ」という共有が全員でできているので、まとまらないということは起こっていないと思います。

ノゾエ 自分を岡田さんに引き寄せるのはアレですが、僕もほぼ一緒の感覚です。僕が提示してみせるものはあくまでも提案に抑えたいと思っているので、稽古場で話すときも「こんなのどうでしょうか」「言ってみましょうか」「やってみましょうか」「違いましたね」「でもそれ面白いですね」「良いですね」の繰り返し。その中で共有を少しずつ増やしていく、その過程が一番大事だと思います。みんな出自がバラバラで、何が面白いって価値観もバラバラかもしれないけど、知らず知らずのうちに「これ面白いな」っていう感覚が合わさっていくことがあり、そんな小さな共有が増えていくことでいつの間にか地図ができている。もちろん最終的なハンコを押すのは僕なんでしょうけど、参加者の感覚が近寄ることで自然と作品がまとまる感じなのかなって、いつもそんなふうに思います。