響きあうアジア2019「プラータナー:憑依のポートレート」岡田利規×徳永京子|タイのコンテクストを、自分のこととして“共有”する

2018年にタイ・バンコクで初演された、チェルフィッチュの岡田利規、contact Gonzoの塚原悠也(セノグラフィー、振付)と、タイの気鋭の小説家ウティット・ヘーマムーンのコラボレーション企画「プラータナー:憑依のポートレート」が、パリ公演を経て日本初演を迎える。同作は、ヘーマムーンの自伝的小説「プラータナー」を岡田と塚原が舞台化した意欲作で、タイの演出家ウィチャヤ・アータマート(演出助手)、アピチャッポン・ウィーラセタクンの「フィーバー・ルーム」にも参加したポーンパン・アーラヤウィーラシット(照明デザイン)ら、日本とタイの強力なスタッフ陣が名を連ねている。6月上旬、日本初演を控えた岡田と、タイ初演を見届けた演劇ジャーナリストの徳永京子が、本作について対談を行った。さらに塚原の目線から、本作のクリエーションを振り返る。

文 / 熊井玲 撮影 / 祭貴義道

新たなコンテクストへの挑戦

徳永京子 「三月の5日間」で岸田國士戯曲賞を受賞されて颯爽と登場した感がありましたが、岡田さんの評価は日本よりもドイツを中心としたヨーロッパ圏がまず強固なものにしたと思うんです。現在も岡田さんはドイツ・ミュンヘンの公立劇場であるカンマーシュピーレと良好な関係が継続していらっしゃいますし(参照:能をモチーフに“鎮魂”を描く、岡田利規「NO THEATER」日本初演が開幕)、つまり、ヨーロッパと相思相愛というか。

岡田利規 カンマーシュピーレでは、今年の12月にまた新作をやります。

徳永 そんな岡田さんが、2018年にタイのアーティストとがっつりと共同制作すると聞いて、「なぜ急にアジア?」と驚いた人もいたと思うんです。その点からまずお話しいただきたいのですが。

左から岡田利規、徳永京子。

岡田 僕が「プラータナー」のプロジェクトを実現できたのは、それまでに自分が経験したプロセスがあったからだと感じてます。つまり“海外で作品を上演する”経験です。そこで獲得した最も大きなことの1つが文脈、コンテクストについて考えるということです。演劇を作るうえで、コンテクストというのは要するに観客です。コンテクストを考えることは、観客のことを考えること。観客のことを考えることは、演劇のことを考えることだから、海外で作品を上演する経験を通して、僕は演劇を考えることができてきた。ただ、これまで僕がやってきたのは基本的には日本の社会を扱った作品をヨーロッパのコンテクストの中に置くということ。それが「プラータナー」では自分が属していない社会、タイの社会を描いた作品をタイのコンテクストの中で作るということをしたので、それは新たな挑戦でした。

徳永 自分の中にないコンテクストを、自分が属していないコンテクストの中に置くという、二重の挑戦ということですね。

岡田 コンテクストということでもうちょっと言うなら、それは決して国際性に限定したことではなくて、例えば僕は児童書をもとにして子供向けの演劇「わかったさんのクッキー」(15年初演)を作りましたが、あれも子供という異なるコンテクストへのチャレンジ。僕にとっては全部の試みが、同じ延長線上にあると言えます。

ウティット・ヘーマムーンとの出会い

徳永 岡田さんの創作を“自分が属してないコンテクストへの挑戦”と考えると、これまでの作品の中で見え方が変わってくるものもありそうです。それで言うと「プラータナー」は、ウティット・ヘーマムーンさんというタイ人の小説があり、それを岡田さんが上演台本に起こして演出するという、いわゆる“既存のテキストを上演する”ということとはまったく違うと。では、なぜその場所がアジアで、タイだったのかなんですけれども……。

岡田 それはプロデューサーであるプリコグの中村(茜)の考えです。

徳永 中村さんは1年以上かけてアジア各地のアートシーンをリサーチをされていましたね。その成果の1つが「プラータナー」ということですか。

岡田 そうですね。また僕自身もそれまでにタイとの関わりがありましたし、今回は国際交流基金アジアセンターとの取り組みという大きな流れもあったので……でも当初はこんなに大きな話ではなかった。気付いたらこんな、自分史上最大級と言えるくらいの大プロジェクトになっていて、最初のうちはこのスケールにアジャストするのが大変でした(笑)。で、リサーチをする中で、今回のコラボレーションの相手として作家はどうだろうということになり、そしてそれはウティット・ヘーマムーンがいいんじゃないかということになり。

徳永 ほかの方のお名前も、当初は挙がっていたのですか?

岡田 そうですね。でも、最初に行ったリサーチの時点ではすでにウティットと何かやることに決めていました。そのとき彼に会った際、「もうすぐ書き終わる小説がある」と「プラータナー」の話をしてくれたんです。それが面白そうだと思った。だからそれを舞台化しようと決めたんです。当初は彼も書いて僕も書く、合作みたいなアイデアもあったんですけど、彼の小説を僕が舞台化するほうがいいなと思ったんです。と言うのも、小説というフィクションの中には作家の身体に蓄積したコンテクストがみっしり詰まっているに違いないから。僕がタイをリサーチしてわかることなんてたかが知れてる。でもそのコンテクストに属している作家が書いたフィクションを通してであれば、そのコンテクストに迫っていける。

徳永 それが文学の醍醐味ですよね。

岡田 それを「プラータナー」のクリエーションを通してつくづく感じたんです。すごく面白かったです。小説を舞台化するという試み自体も楽しかったから、またやりたいです。

徳永 自分が属していないコンテクストで作品を作るうえで、小説を介したことが岡田さんの味方になったということですね。

岡田 味方になりましたし、タイの現在の状況が、その外にいる人たちに共有されることには価値があると思えました。そう確信を持って言えるのは、僕がタイのコンテクストの外にいるからかもしれませんが。

徳永 それは、普遍化ということとはまた違うのですか?

岡田 普遍化と言うとちょっと飛躍しすぎちゃうと思うんですね。もうちょっと1対1の問題と言うか……。例えば僕が「日本人じゃなきゃよくわからないだろう」と思っていることで、日本人以外の人も大事だと感じることがあるように、タイ人のある人にとって大事なことで、日本人の“あなた”にとっても大事なことがある。そのとき、それは「人ごととは思えない」状況になりますよね? という“共有”のあり方を、「プラータナー」のクリエーションを通して感じました。

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