小川絵梨子とアヤ・オガワが語る「鼻血―The Nosebleed―」演劇を通して“失敗を赦す”物語

11月に新国立劇場で上演される「鼻血―The Nosebleed―」は、アメリカ・ニューヨークを拠点に活動する劇作・演出家、俳優のアヤ・オガワが、“失敗”をテーマに、自身と父親の関係性を軸に描いた作品だ。オガワとはニューヨーク時代に知り合ったと話す新国立劇場演劇芸術監督の小川絵梨子は、オガワの作家性や視点の優しさにかねてより感銘を受けていたという。

本特集では、ニューヨークで移民として、マイノリティとして生きてきたオガワのさまざまな思いが詰まった本作について、2人の“オガワ”が和やかに、真摯に、語り合っている。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤田亜弓

若かりし日、ニューヨークで出会った二人

──今回は小川さんお二人の対談なので、ファーストネームで進行させていただきます。お二人はいつ頃からお知り合いなのですか?

小川絵梨子 私は2001年に渡米して学校(ニューヨーク・アクターズスタジオ大学院)に入り、その数年後にジャパン・ソサエティでアルバイトを始めました。

アヤ・オガワ ジャパン・ソサエティは日本の文化を紹介する機関で、劇場もあり、日本の伝統芸能からコンテンポラリーの音楽、演劇、ダンスまでさまざまな作品が公演を行うんですけど、私はそこで舞台制作をやっていました。

左からアヤ・オガワ、小川絵梨子。

左からアヤ・オガワ、小川絵梨子。

絵梨子 私は字幕出しや仕込みのお手伝い、ケータリングの準備などいろいろなことをやっていました。アヤさんの作品を観たのはいつだったかな……。

アヤ 2008年に初演した「oph3lia」じゃないかな。

絵梨子 そうです。すごく素敵な作品だったのを、よく覚えています。

アヤ シェイクスピアの「ハムレット」に出てくるオフィーリアを、「この人はなぜこんななんだろう?」という感じで、コンテンポラリーなセッティングの中に引っ張り出す作品でした。絵梨子さんは、ニューヨークにいつまでいたの?

絵梨子 2012、3年ぐらいかな。

アヤ そうか、けっこう長くいたんだね。

──絵梨子さんにとってのアヤさんの印象は?

絵梨子 作家性がすごく強くて憧れを感じていました。私がニューヨークで通っていた学校は、劇作家と演出家のコースが分かれていたので、作家性のある演出家はあまりいなかったんです。でも1つの世界観を立ち上げるときの、アヤさんにしか表現できない世界観というのがすごい好きで。ニューヨークの演劇人たちもアヤさんの作品が好きっていう人が多く、私にはとても作れない世界観がすごくいいなと。あと、いつも優しい視点を持っていらっしゃるなと感じて、そこも自分にはない視点で素敵だなと思っていました。

アヤ 絵梨子さんの作品は、優しくないものが多いからね(笑)。

絵梨子 そう(笑)。私は基本的に台本を書かないし、どこか凄惨な部分がある物語を演出することが多いので、アヤさんの世界観を素直にいいなと思っていました。

──アヤさんにとっての当時の絵梨子さんの印象は?

アヤ とてもパワフルな人、かな。行動力があって自分の劇団を作っていたし、日本の作品を訳して演出していて、すごいなと思っていました。だってアメリカで日本の作品を訳して演出するってけっこう複雑というか、どうやってお客さんが受け止めてくれるのか難しいと思うんだけど、そういう作品をやっていたよね?

絵梨子 やっていましたね。そのバイタリティが今あるかと聞かれたら、ないと思うけど(笑)。

アヤ わかる(笑)。若いときにしかないエネルギーだよね。でもそれはしょうがない、私もそうだもの。

アヤ・オガワ

アヤ・オガワ

小川絵梨子

小川絵梨子

“failure”から立ち上げられた「鼻血」

──アヤさんは、劇作家、演出家、翻訳家、俳優とさまざまな肩書をお持ちですが、ご自身にとって一番核になっているのはどの部分ですか?

アヤ 私は、そんなに分けてないです。とにかく舞台が好きだから舞台を作りたい、私にしか作れない舞台を作りたいと思っているだけで。ただパソコンに向かってものを書くのがすごく苦手なので、台本を書き始めるときはコラボレーターをスタジオに呼んで、ストーリーとかキャラクターも決めずに動いてみるということが多いです。「鼻血」の場合も、当初は“失敗”というテーマだけが頭の中にあったんです。で、最初の日に集まった5人くらいと、「あなたにとっての失敗は何ですか?」と聞き、みんなで失敗の話をシェアしました。そこで最も浮かび上がってきたもの、一番強く感じたことを書き留めて、みんなでまたそれを再現してみたり、その失敗の当事者ではない人にその失敗を演じてもらったり、“未来の自分”の視点でコメントしてもらったりと、実験的なプロセスを何カ月か重ねました。

「The Nosebleed」ワシントンD.C.公演の様子。(Photo:DJ Corey Photography)

「The Nosebleed」ワシントンD.C.公演の様子。(Photo:DJ Corey Photography)

「The Nosebleed」ワシントンD.C.公演の様子。(Photo:DJ Corey Photography)

「The Nosebleed」ワシントンD.C.公演の様子。(Photo:DJ Corey Photography)

絵梨子 「鼻血」も“テーマ”から作っていったんですね!

アヤ そう。で、そうやって進めていくうちに“失敗”そのものから距離ができて、結果、失敗の話を提供してくれた当事者が、(他の人が自分の失敗を演じる様子を見て)気持ちが解消された、という現象が起こったんです。この感覚をどうにか使えないかなと思って、クリエーションが進んでいきました。でも同時に、観ている人から「このエピソードが事実なのかどうか気になる」という質問が出てくるようになって、「そんなことには気を取られてほしくないな、どうすればいいんだろう」と考えた末、「じゃあ私が責任者になって、この作品のテーマや実験から探り出した構造の手段を自分のキャンパスに書き直してしまおう。さらに自分が舞台上にいれば、そういった質問はなくなるんじゃないか」と思い、「鼻血」が出来上がってきました。

絵梨子 アヤさんの自伝だ、という体にしたら、やっぱり観客の反応は全然違ったんですか?

アヤ うん、質問されることは全然なくなった。おそらくほかの劇作家たちは、「こういう話にしよう」とか「こういう登場人物がこうなる展開にしよう」という感じでストーリーから考えていくと思うんだけど、私の場合はそうではない。別に父親の話が書きたかったわけでも、自分のことを書きたかったわけでもなくて、創作の流れの中で自分の話を書いた、という感じです。

絵梨子 そうだったんですね。書きたいことが、先にあるのかと思ってました。ちなみに、その“失敗”というテーマはどこからきたものだったんですか?

アヤ “失敗”というテーマは2つの出来事からきているものなんだけど……まずこの「鼻血」の直前に作った作品が「LUDIC PROXY」という、2011年3月11日に福島で起きたことを描いたものだったんです。で、そのこととは全く関係はないのだけれど、その2・3カ月後に私の母親が亡くなって、翌年に2人目の子供ができて……世界が滅びそうな雰囲気の中で、母親を亡くして子供を産んだ。そのものすごく複雑な気持ちを「LUDIC PROXY」で表現しました。だから私にとってすごく意味のある作品だったんだけれど、作品を観たある批評家に、「この作品は失敗だ」と書かれて……。批評自体は置いておいて、“failure”って言葉が10回くらい出てきたことに驚いて“failure”ってなんだろうと考え始めたんです。でも私1人ではわからなかったので、次の作品は“失敗”をテーマにしようと思いました。

その稽古初日の前の日が、トランプが1回目に大統領に選挙で勝った日でした。その日、ブルックリンの私がいるコミュニティでは、ものすごく衝撃を受けて……私にとってもそれまで感じたことがないような、自分の世界観がひっくり返るほどのショックな出来事だったんです。だから、稽古でもそのときのショックというか、悲しみ、絶望みたいなものが含まれていったのですが、ある時点で「このショックはコミュニティとして癒やすことができるんじゃないか?」という目的がはっきり現れ始めて、以降はその目的に従って作品を考えていきました。

絵梨子 すごい偶然でそうなったんですね。

アヤ そうですね。でも実は作品を作るときっていつもそんな感じで、その時々の世界の出来事、身の周りの出来事に反応して作品を作っているような気がします。

今必要なのは“失敗の赦し”ではないか?

──絵梨子さんが「鼻血」を、2025/2026シーズンの演目に選ばれたのはどんな思いからだったのでしょうか?

絵梨子 アヤさんのお話にもあった“failure”というテーマがすごくいいなと思ったのと、もう1つ劇中には“赦し”という言葉が出てきていて、“赦し”という言葉も気になりました。「赦す」というと、失敗を免するという意味だと思いますが、それ以外にも、受け入れるとか、共にいるとか、そこにあることを認めるという意味合いもあるように思っていまして、それが今、私たちにすごく必要なんじゃないかなと。今は正解か、不正解かみたいなことがすぐ問われるし、断罪までの時間がすごく早いように感じます。特に、自分の「失敗」に関して、みんな1人ぼっちで、自分への怒りや悲しみをずっと抱えていて、それについて誰かと話し合ったり、シェアしたりする場は設けにくい気がします。

それがうまく解消できないと自分にも他者にも攻撃として転化してしまうこともある。そんなとき、“失敗の赦し”という言葉にすごく胸を打たれて、「本当にそうだよな」と思ったんです。今私たちに必要なのは、失敗に向き合う力だったり、1人じゃなく誰かと一緒に向き合っていいんだと感じ取ることではないでしょうか。

左からアヤ・オガワ、小川絵梨子。

左からアヤ・オガワ、小川絵梨子。

──アヤさんは本作が新国立劇場の2025/2026シーズンで上演されることについて、どんな風にお感じになりましたか?

アヤ 「え、まさか。なぜ?」って。

絵梨子 「なぜ?」って?(笑)

アヤ びっくりしました! 実は10年前くらいに「LUDIC PROXY」を日本で上演できないかと思っていろいろな人に打診をしたことがあったんです。でもそのとき会った人たちはみんな「面白そうだね」とは言ってくれたものの結局実現はしなくて。以降、日本公演を実現させるエネルギーもなく、「いつか日本に作品を持って行けたらいいけどたぶん無理だろうな」と思っていたんです。そんなときに今回のお話をいただけて、すごくうれしいし、その反面、すごく怖い。

絵梨子 どういう部分でですか?

アヤ テーマはともかく、移民として、マイノリティとして生きていくという話なので、日本のお客さんにどう思われるのかなって。アメリカにはマイノリティがけっこうたくさんいるから、みんな気持ちがわかり合う環境になってるけど、私が知っている日本は息苦しいところだという印象が強くて。特に女性、ジェンダー・ノンコンフォーミングの方やクィアの人たちにとって、ちょっとでも変わったところがあるとすごく生きにくい社会だと私はずっと思ってきたし、正直自分はもう、今後日本と関係なく生きていくんだろうなと思っていたくらいで。ただ子供ができたときに初めて、「ヤバい、どうにかしないと」と思ったんです。というのも、アメリカに住んでいて、白人でも黒人でもないアジア人の身体、顔をしている人たちはしっかり自分のアイデンティティを持って自覚していないとすごく苦しむことになるから。じゃあ私が自分の子供にできることは何かと考えて、日本のことを教えてあげることだと感じました。私のパートナーは台湾系アメリカ人で、アメリカで生まれ育ったので、台湾語が話せない人なんです。なので、私との会話はずっと英語。でも子供が生まれたときに、英語だけしゃべっていたら英語しか出てこない子になるなと思って、がんばって日本語を話すように切り替えました。当時、周りに日本語が話せる人もいなかったし、私にとってすごくつらい切り替えでしたが、でも子供は話せないときから言葉を吸収していると思って、なるべく日本語を話すようにして、そうやって自分の中の日本人としてのアイデンティティをも作り直していきました。

今、上の子は15歳になったんですが、ここまで15年以上この作業を続けてきて、やっと最近、そこまで苦しくないなと思い始めました。また10年前から毎年日本に来るようにしているのですが、成田空港に到着した途端、毎回私は息ができない感じがします。地下鉄に乗れば脱毛の広告がズラーと並んでいて、女の人は女の人らしい格好、男の人は男の人らしい格好をしていて、同調圧力のような、ある種の違和感を感じていました。また子供たちを夏の間だけ日本の公立の小学校に入れていたのですが、そのときも周りのお母さんたちと関わることになるので、ちょっと髪を伸ばしてみたり、ワンピースを着てみたり、すごい無理をして、「日本人のお母さん」のふりをしていました。でもそういうことを何年も続けているうちに「もういいや!」と思った……のは最近です。社会的な圧力って、日本はものすごく強いと感じていますし、その点ではアメリカの自由さと全然違うなと思います。

──絵梨子さんも10年強アメリカにいらっしゃいましたが、日本に帰国した際、アヤさんが感じた違和感のようなものを感じましたか?

絵梨子 そうですね。特に私はアメリカで演劇を始めたから、演劇の現場でのやり方の違いにしばらく慣れませんでした。もちろんどちらの方がいいということはないけれど、やっぱり文化の違いは強く感じます。