演劇というツールを通して“失敗”をシェアする
──本作では、主人公であるアヤが移民であることや、典型的な昭和のサラリーマンだったお父さんと主人公が、あまりしっくりきていなかったことなどが描かれます。アメリカの観客にはどのように作品が受け止められたのでしょうか?
アヤ うーん……アメリカで上演したときに観客の半分以上は、自身は移民ではない人だったんじゃないかと思いますが、親や祖父祖母が移民だった人には身近に感じる内容だったと思いますし、それぞれの人生に響いているんじゃないかなという感じを受けました。また私と私の父親世代との間にあるギャップは個人的な感覚ではなく、ほかの人たちも絶対に経験していることだと思うので、共感してもらいやすい内容の話だと思います。実際、評判が良くて観客にすごく温かく受け入れてもらっていて、2021年以来毎年公演を重ねています。
作品のテーマは先ほどからお話ししている通り“失敗”で、私の人生の中で一番大きな失敗は、父親が死んだときにお葬式を上げなかったということなんですけど、演劇という道具を使ってその失敗をどう変えられるか考える中で、「観客の皆さんも一緒に、ここでお葬式をしましょう」という流れになります。お葬式のシーンでは骨上げの場面もあったりして、観客の皆さんにも一緒に参加してもらうのですが、アジア人ではない方はそもそもお箸が使えなかったりするので新たな失敗が発生したり、「なんで俺はここにいるんだろう?」という雰囲気が生まれたり、全部が面白い。これまでいろいろな場所で上演してきた作品なので、いろいろな思い出がありますね。
──日本の観客はどんな反応をするでしょうか。
アヤ 舞台に上がってくれないんじゃないかなって思ってて。
絵梨子 私はね、大丈夫だと思いますよ! 新国立劇場のお客さんは熱心に観てくださる積極的な方が多いですから。
──ご自身のエピソードを土台にした作品を何度も演じることで、エピソードとの距離感が生まれたり、フィクション性が高まっていく感覚はありますか?
アヤ 演じている瞬間は演じることだけを感じているので、すごく楽しくて自由に感じます。しかも何年もずっと一緒に作っている仲間と共に、場面によっては私が誰かのお母さんを演じたり、私のお母さんを誰かが演じたり……それって演劇にしかない機会だと思います。よく「毎日毎日お父さんの役を演じて、何度も何度も同じトラウマに向かって苦しくないの?」って聞かれるんですが、真逆で本当に気持ちがいいんです。みんなが支えてくれる話だから、私1人で重荷に感じるものではなくなってきている。楽になっています!
同時代の作り手と走り続けた8年
──絵梨子さんにとって、2025/2026シーズンは新国立劇場演劇芸術監督として最後の1年になります。アヤ・オガワさんをはじめ、これまで同時代の作り手、今第一線で活動している国内外の作り手を多数紹介されてきましたが、そこにはどんな思いがあったのでしょう? またこの作品を通じて、同時代の観客に感じてほしいことを教えてください。
絵梨子 同時代性ということは、すごく重要だと思っています。私が芸術監督に就任したときは三十代で、日本だと三十代の演出家ってまだ若いので、「なんで急に私に?」と最初は思ったのですが、徐々に「私1人で受けたのではない、この世代で芸術監督を引き受けたんだ」と思うようになり、だからこそ私たちの世代、そして私たちよりもさらに若い方たちの物語を大事にしたいなと考えました。また今はだいぶ変わってきましたが、一昔前は演出家って五十代で一人前というか、四十代までは中堅やともすると若手と言われるような感じがありました。でも二十代だからこそ今作れる物語があり、同様に三十代、四十代だからこそ作れる作品は絶対にあると思っているので、演出家たちに年齢を気にせず作品を作っていただける環境を提供したかった。ドラスティックなことはできなかったけれど、それだけはまっとうした8年ではないかと思います。
そして新国立劇場はもともとちょっと年齢層の高い観客の方が多かったのですが、お客さんにも作り手と同世代の方がちょっと増えました。私たちが今どういう世界の中で生きているのかを知るためにも、十代、二十代、三十代、四十代の方にもたくさん新国立劇場に来てほしい、演劇を観てほしいと考えてきました。
──観客としてはこの8年、実人生に直結して捉えられるような、適時性の高い作品に多く巡り会えた気がします。
絵梨子 であればよかったです(笑)。
──また2024/2025シーズンのシリーズ「光景-ここから先へと-」にラインナップされた「母」「ザ・ヒューマンズ」「消えていくなら朝」、そして新シーズンの「焼肉ドラゴン」「鼻血」と、家族の多様さやそれに伴う問題を描いた作品が続きました。自分と家族、家族と社会を見つめ直すことが、新たな発見につながるように感じます。
絵梨子 新シーズンでも、最初の二つが家族を中心とした物語であったのは偶然ですが、振り返ってみると、確かにそうですね。家族って一番近いからこそ一番つらい存在にもなりうる。登場人物同士に血のつながりがあるかどうかは関係なく、いわゆる最小単位の集団を通して、現代性を持って、その中に絶対に写り込んでくる今の社会を写し出せればと思います。
──改めて、「鼻血」というタイトルはかなりのインパクトがありますね。アヤさんが血糊の鼻血で顔を真っ赤にした舞台写真も強烈でした(笑)。
アヤ アメリカで上演した際も「どういう意味のタイトルなの?」とよく聞かれたのですが、鼻血というタイトルにしたのは、子供が小さかったとき初めて日本に連れてきて、その日の晩に子供がすごい鼻血を出したことがきっかけになっています。子供の鼻血でベッドが血まみれになって、時差ボケでボロボロになっているときに必死にそれを洗おうとしたのですが、「なんでわざわざこんな大変な思いをして、小さな子供を日本に連れてこなければならないんだろう、子供にとって意味のある経験になるのだろうか」という気持ちになったんです。それを発端に、私がアメリカで暮らしてきた経験や子供の未来、また父や日本人の祖先との“血のつながり”というふうにイメージがつながっていって「鼻血」というタイトルにしました。鼻血ってけっこうコミカルだと思うんですよ、誰にでもよくあることだし。でも“血”という意味で深いものにもつながっている。この作品はテーマだけ考えるとシリアスに感じるかもしれないけれど、作品としてはすごく観やすく作っていますので、楽しみに来ていただけたらと思っています。
絵梨子 最初に申し上げた通り、アヤさんの作品ってどこか他者や自分への優しい視点があると思うんです。それはやっぱりすごく大事なことだと思いますし、アヤさんが書かれたアヤさんの話をベースにした物語ではあるけれど、どんなお客様にも普遍的に響く作品だと思うので、1人でも多くの方に観てほしいなと心から思っています。
プロフィール
小川絵梨子(オガワエリコ)
東京都生まれ。翻訳家・演出家。2004年、ニューヨーク・アクターズスタジオ大学院演出部卒業。2006から2007年に、平成17年度文化庁新進芸術家海外研修制度研修生。2018年9月より新国立劇場の演劇芸術監督に就任。近年の演出作品に、「ピローマン」「デカローグ1,3,5,9,10」「ART」「おやすみ、お母さん」「管理人」「レオポルトシュタット」「ダディ」「アンチポデス」「ダウト~疑いについての寓話」「検察側の証人」「キネマの天地」「ほんとうのハウンド警部」「ユビュ王」「ART」「タージマハルの衛兵」「死と乙女」「骨と十字架」「WILD」「熱帯樹」「スカイライト」「出口なし」「マクガワン・トリロジー」「1984」「FUN HOME」「The Beauty Queen of Leenane」「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」「CRIMES OF THE HEART-心の罪-」「マリアの首-幻に長崎を想う曲-」「死の舞踏 / 令嬢ジュリー」「コペンハーゲン」「スポケーンの左手」「RED」など。9月から11月にかけてパルコ・プロデュース 2025「ヴォイツェック」(演出)が控える。
小川絵梨子(翻訳・演出)(Ogawa Eriko) FROM FIRST
アヤ・オガワ
東京都生まれ。劇作家・演出家・翻訳家。現在は米国・ブルックリンを拠点に活動している。これまでの作品に「鼻血-The Nosebleed-」「Journey to the Ocean」「oph3lia」などがある。また、オビー賞受賞作でもあるハルナ・リー作「Suicide Forest」の演出も担当。翻訳家としても、日本の現代戯曲を英訳する活動を行っており、岡田利規などの作品を手がけている。日本劇作家協会の新作シリーズ英訳日本語劇選考委員。2023年にはヘレン・メリル戯曲賞、リンカーン・センター・シアターからは2022-2023年カルマン賞など、受賞歴多数。