「お勢、断行」倉持裕 インタビュー / 倉科カナ×上白石萌歌×大空ゆうひ 座談会|お勢なりの悪の哲学、美学を描きたい

「現代能楽集」シリーズなど、これまでもたびたびタッグを組んできた倉持裕と世田谷パブリックシアターが、新作舞台を立ち上げる。主人公は、江戸川乱歩の短編「お勢登場」の登場人物で、希代の悪女と言われるお勢。倉持は2017年に乱歩の短編を再構成した「お勢登場」を上演しており、本作「お勢、断行」はそのお勢にインスパイアされた、完全オリジナル作品となる。善と悪が揺らぐ混沌とした時代を舞台に、お勢の“悪女なりの悪のルール”はどのように展開するのか。本特集では倉持に作品への思いを聞くと共に、タイトルロールを演じる倉科カナと共演の上白石萌歌、大空ゆうひの座談会を行った。

※2020年2月27日追記:本公演は新型コロナウイルスの影響で中止になりました。

取材・文 / 熊井玲 撮影 / 川野結李歌

倉持裕インタビュー

もう一度、万全の体制でお勢と向き合う

──「お勢、断行」の先行作品である「お勢登場」は、江戸川乱歩の短編8編をモチーフにした作品でした。「お勢登場」については、倉持さんはどのような手応えを感じられましたか。

主人公のお勢というキャラクターにすごく魅力を感じて、「もう少しこの人物と付き合ってみたい」と思うような芝居でした。だから、当初は「お勢登場」のように江戸川乱歩の原作をもとにした新作という話だったんですけど、プロデューサーといろいろ話すうちに「江戸川乱歩は大好きだけど、お勢というキャラクターがすごくいいから、お勢を使ってオリジナルの物語を描くのはどうか」と僕から提案をして。今回、それが実現することになりました。

──倉持さんの中で、お勢というキャラクターが育っていった感じでしょうか。

倉持裕

そうですね。今回、いろいろな設定を考えて、例えばお勢が犯罪を犯して、その謎を解こうとうする探偵がいるとか、「お勢登場」の構造を使って1本の長編を作るってことも考えたんですけど、小悪党が何人も出てくる中で、次元の違う悪としてお勢が登場する話がいいんじゃないかと。最近よく言われることだけど、ネットを中心に、正義を振りかざして相手を完膚なきまで打ちのめすみたいな風潮があるじゃないですか。それについて、なぜそうなっていくのかということを、作品を通して検証したいという思いもあって。芝居を書くことで、人間がそういった行動に出るメカニズムというか、どうしてそのように暴走していくのかということを探っていきたいなと思っています。

──江戸川乱歩の小説では、お勢は“希代の悪女”として描かれますが、お勢の中にある“正義と悪”を倉持さんはお感じになっていたのでしょうか?

執筆は、それを探していく作業でもあったと思います。ただそこはもっと追求していきたい部分でもあって、彼女の犯罪に対する美学とか哲学をもっと掘り下げていかなくてはいけないと思っています。お勢なりのルールで(悪事を犯した人に)罰を与えるというふうにしたいので、そのルールが社会一般と同じ価値観になってしまったらつまらないし、1つ違う段階にいる存在としてお勢を描きたいなと思っていて。

──そんなお勢の“断行”を、倉科カナさんがどう演じるのか、非常に楽しみです。

そうですね、残酷でカッコいいシーンになると思いますよ。それと、「お勢登場」は舞台美術がとても面白かったんですよね。床が分裂して、前後にスライドして動くのって、あんまりない。ただ、シアタートラムであのセットを使い切るにはスペース的に狭かったし、「お勢登場」のときは時間という意味でも、劇場で仕込んでからの余裕がなかったので、本番が始まってから美術の使い方の精度を高めていくという感じでした。今回は世田谷パブリックシアターなので空間も広がり、準備期間もしっかり取って臨みたいと思っています。

凝った戯曲を書きたくなる劇場

──「お勢、断行」は戯曲の構造が非常に複雑です。さまざまな時間軸が入れ子構造のように組み合わさっていて、時間が行きつ戻りつし、あるシーンの謎に対して、別のあるシーンが光を当てていくような、スリリングな展開になっていますね。実際はどのように書き進めていかれたのでしょうか?

まずプロットを作ったんですが、本当にそのような構造で成立するかはわからなかったので、一度時系列通りに台本を書いてから組み直していきました。やってみると、まだるっこしさを感じるところやうまくいく部分、いかない部分もあったので調整していって。このような構造にしたのは、ある罪に対してどのくらいの罰を与えるべきかということを、芝居にすることで客観的に見られるのではないかと思ったからなんです。しかもその判断基準みたいなものがグラグラ揺れるといいなと思ったんですよね。例えばある人物が正しいと感じて、その人に味方して観ていたけれど、次のシーンではその人が間違っているように思えて、別の人を味方していたり……。

──確かにそれぞれのシーンの断片が、一部重なりつつもそれぞれに違う印象を放つので、観ているこちらの価値観が非常に揺さぶられると思います。そのような善悪が目まぐるしく入れ替わっていく作品世界は、例えば「乱鶯」(編集注:“大人でビター”な作風の「いのうえ歌舞伎《黒》BLACK」として、2016年に倉持が劇団☆新感線に書き下ろした時代劇作品)でも倉持さんは描かれていますが、「乱鶯」は江戸、「お勢~」は大正が舞台の作品で、その時代感も作品にとって重要だったのではないかと感じます。

倉持裕

「お勢、断行」を書くに当たって、明治・大正・昭和の事件をいろいろと調べたんですが、 “ザル”と言うか、日本は非常に隙が多い社会だなと思ったんですね。昭和になるとある程度近代的にはなってきますが、それでも素人考えの計画がうまくいってしまうし、毒薬なんかも簡単に手に入ってしまう。犯罪者もけっこう大胆なことをやっているので、現代ではない時代を舞台にすることで芝居が作りやすいという部分はあります。

──またさまざまな階層の、さまざまな価値観を持った人間が登場するのも、この作品では重要ではないでしょうか。

それもありますね。政治家に限らず、産まれながら権力を持っている人間、持っていない人間が存在していて、今より不平等という感じがします。

──さらに時代性はセリフにも大きな影響を与えていますね。執筆の際には、現代口語で書くときと今回のように時代がかったセリフとでは、倉持さんの意識に違いはありますか?

僕は、現代口語より今回のようなセリフのほうが好きなのだと思います。新感線に書いた時代劇もそうですし、「鎌塚氏」のシリーズ(編集注:倉持が作・演出を手がけ、三宅弘城が“完全なる執事”鎌塚アカシを演じる人気シリーズ)はやり過ぎなくらいの敬語を使ったりしますし(笑)、そういう言葉遣いが、書くうえでも好きなんでしょうね。もちろん現代口語も書きますけど、ちょっとずるい気持ちになっちゃうんですよ。現代口語って(文末が)省略できますから、会話としては高度なのかもしれないけど、最後まで言葉を言い切らないところが締まらない感じがすると言うか。その点、昔の言葉のように一個一個文末まで言い切っていくほうが芝居として締まる感じがします。

──そのような言い切る言葉遣いが、作品の構造にもマッチしていると思いました。

そうかもしれませんね。

──私見ですが、倉持さんが世田谷パブリックシアターやシアタートラムで上演される作品には、戯曲として非常に凝ったものが多いように感じます。

確かに世田谷パブリックシアターやトラムにはそういった戯曲が合うと言うか、本多劇場でやるような芝居は、パブリックシアターやトラムではやろうと思わないかな。劇場にちょっと無機質な感じがあるのかもしれません。世田谷パブリックシアターには確かに複雑な戯曲が調和する感じがしますし、ここでやるときには構造的に凝ったものが書きたくなるのだと思います。


2020年2月27日更新