2021年、片岡仁左衛門と坂東玉三郎による「桜姫東文章」が、約36年ぶりに東京・歌舞伎座で復活した。4月に上の巻、6月に下の巻と、上下編に分けて上演され、いずれの公演のチケットも瞬く間に完売。観客は美の世界に酔いしれた。その“伝説の舞台”が、4月にシネマ歌舞伎として、全国の映画館で上映される。公演チケットが手に入らず、悔しい思いをしていたというマンガ家・美内すずえが、シネマ歌舞伎「桜姫東文章」を一足早く観賞。演劇ファン必読の書「ガラスの仮面」で知られ、舞台芸術全般に造詣の深い美内が、独自の視点でその深くて耽美な「桜姫東文章」の魅力を語る。
取材・文 / 川添史子撮影 / 祭貴義道
片岡仁左衛門と坂東玉三郎による「桜姫東文章」
「桜姫東文章」は、桜姫の数奇な運命を描いた鶴屋南北の作品。恋人関係にあった稚児の少年・白菊丸と僧・清玄は、「生まれ変わったら一緒になろう」と心中を図るも、清玄1人が生き残ってしまう。そんな清玄の前に、白菊丸の生まれ変わりである桜姫が現れるが、彼女はかつて自宅に押し入り、自らを犯した悪党・権助に思いを寄せていて……。
かつて“孝玉コンビ”として人気を博した片岡孝夫(現:仁左衛門)と玉三郎は、1982年と1985年に「桜姫東文章」でそれぞれ清玄と権助、白菊丸と桜姫の2役を演じた。ドラマチックな展開と、2人の端麗な佇まい、艶やかな演技でたちまち人気を博し、歌舞伎ファンからは“伝説の舞台”と称された。そして2021年、“伝説”が復活。劇場に押し寄せた観客は、人間国宝として芸にすごみの増した仁左衛門と玉三郎が生み出す、美と官能の世界に圧倒された。2人のコンビネーションにしか生み出せない唯一無二の「桜姫東文章」、あの“伝説”をシネマ歌舞伎で目撃しよう。
現在、シネマ歌舞伎の公式サイトでは桜姫、白菊丸、清玄、権助ら、「桜姫東文章 上の巻」の相関図を紹介している(「下の巻」相関図は後日公開予定)。また同時音声解説を聴くことができる、スマートフォンアプリ「シネマ歌舞伎イヤホンガイド」もオススメ。映画を観ながら作品の理解をさらに深めよう。
美内すずえが語る、シネマ歌舞伎「桜姫東文章」
仁左衛門さん、玉三郎さんの積み重ねてきた芸を堪能
──2021年に上演された、片岡仁左衛門さん&坂東玉三郎さん共演の「桜姫東文章」がシネマ歌舞伎で上映されます。美内さんには、春の映画館上映に先駆けて本編をご鑑賞いただきました。いかがでしたか?
長年憧れていた作品を、やっと観劇できました。お二人が2021年以前に「桜姫」で最後に共演されたのは、36年前ですよね?
──上演記録によると1985年3月の歌舞伎座公演が最後のようです。
あのときも話題になっていて、当時「観たいなー」と思ったことを覚えています。昨年上演されたときも早々にチケット完売で観られず、今回長年の夢が叶ってやっと拝見し……予想以上に素晴らしかったです。
──好きな相手に情熱的に突き進む桜姫、あらゆる悪事に手を染める権助、かつての恋人と重ねて桜姫に執着する僧清玄……業の深い登場人物たちが絡み合う濃密な物語です。
まず仁左衛門さんが、悪党権助と高僧清玄という対極的な2役を早替りで演じていらして、聖と俗、ここまで違う人格の演じ分けを瞬時にできる芸に舌を巻きました。白塗りから浅黒い肌に変身できることにも驚きましたが、セリフ回しはもちろん、笑い方、足の組み方、目線の動き。ちょっとした動きも含めすべてがガラリと変化するんです。シネマ歌舞伎だとその表情と所作がアップの画面で確認できるじゃないですか。歌舞伎座の特等席で観ているようなものですから、すべてがダイレクトに伝わってきて……私、これ1本であっという間に仁左衛門さんのファンになってしまいました(笑)。
──自分を襲った強盗との甘美な夜を忘れられない桜姫は“その男”権助と再会し、数奇な運命を歩み始めます。様式的な濡れ場の場面は、なかなかに濃厚です。
1人の男との出会いによって、あれよあれよと堕落していく、その変化が面白いですよね。お姫様が自分の帯をとかれたあと、次は男の帯を自分でクルクルと解いて……ここの場面、最高ですよね。立った姿勢で帯を解かれてちょっと慌てる男と、座って観客に背を向けたまま男の帯を解くお姫様。余裕すら感じさせて。ここ、印象に残りますね。お姫様、どんな顔してやってるんだっていう(笑)。この段階で、桜姫は普通のお姫様じゃないって、観客は度肝を抜かれます。そこから、もう目が離せない。
──権助は「てごめにした」と思ったでしょうが、実は桜姫に絡め取られていたのかもしれませんね。
はい(笑)。下の巻では、桜姫が権助に女郎屋に売り飛ばされて、“風鈴お姫”と呼ばれる売れっ子女郎となる。この場面での玉三郎さん、女郎では声の音程がちょっと下がるんですよ。少し濁りが入ったような。それで、すさんだ女郎らしさが出て、上品なお姫様がここまで堕ちたというのがよくわかる。仁左衛門さんの早替わり同様、お二人の積み上げた芸の深さに感心します。
──入間悪五郎(中村鴈治郎)、残月(中村歌六)、局長浦(上村吉弥)と、ほかのキャラクターも欲望に絡め取られた濃い人物ぞろいです。
よく作り上げられたキャラクターたちですよね。周囲が面白いと盛り上がるのは、マンガと一緒。そうそう、今回「良いな」と思ったのが、シネマ歌舞伎だと花道をしっかり映すので、花道を去っていくときの足の動きがきちっと見えるんです。客席から観ているとこんなにはっきり見えない。「ああ、この役者はこういう歩き方をしているんだ」と役柄による足さばきの違いが面白い。随分と参考になりました。
──やはり絵を描く方は、身体のディテールを細かくご覧になるんですね。
あまり意識していませんが、癖なんですね、きっと。「この腰の角度!」「この襟元と肩の下がり方がステキ!」と、ついつい声を出しながら観てしまいました……不純な見方でしょう(笑)。なんせ玉三郎さんの動きはどこを切り取っても絵になりますし、特に、袖の使い方が秀逸。上の巻で権助が、入間悪五郎からのラブレターを桜姫に届ける場面がありますが、ここで桜姫が直接手紙を手で触れずに袖でパンとはねつける。手を使うのも汚らわしい、といった感じですね。その袖を握る手指の美しさ。ため息が漏れました。こうやって袖の使い方に注目して見ていくと、随所で感情表現にうまく使っていることがわかるんです。あと印象に残ったのは、清玄が桜姫の着物からちぎれた赤い袖を口にくわえて水の中から出てくる場面。夜の暗闇の中に鮮やかな赤が浮かび上がって鮮烈! そのあと、この袖が赤ん坊(桜姫の子供)のおくるみとして使われたり、この作品では袖が随所で効いてくる。ぜひ皆様、注目してご覧ください。
舞台の魅力は“想像力を喚起する力”
──「桜姫」からお話はズレますが、1988年に舞台化された「ガラスの仮面」の演出をされたのは玉三郎さんでした。
新橋演舞場での公演で、大竹しのぶさんが主人公マヤを演じてくださったんです。あのとき実は、月影千草役の南美江さんが風邪をひかれて、初日に出られないかも……というピンチがあったんです。玉三郎さんの「そのときは私が出ます」との声が聞こえてきて。黒い衣裳とかつらもご自分で準備されたとか。最終的には無事に予定通り初日が開き胸をなでおろしましたが、今思えば玉三郎さんの月影先生、1日だけでも観たかったですね。
──もし演じられたら、伝説的な日になっていましたね。
そうですね。伝説と消えた舞台、観たかった(笑)。その後、玉三郎さん主演でベニサン・ピット(編集注:東京・江東区にかつてあった劇場。2009年1月、老朽化のため閉鎖)で上演された「ナスターシャ」(1989年、アンジェイ・ワイダ演出)を拝見したときのこと。ベニサンは元工場の殺風景な空間です。そこに玉三郎さんが現れた途端、パッと物語の世界に変貌。あの美しさと存在感には驚きました。白いドレスを着ていたこともあって、白いオーラに包まれて輝いて見えました。すごい役者さんだなと。これは私の持論ですが、観客の想像力を思いきり引き出すことのできる役者さんが、観客の心に残る芝居を作り出せると思っているんです。なぜかというと、想像力を使うことで観客が舞台と一体化するから。感動が大きいんです。だって気付かないうちに舞台の一部を自分で作っているんですもの。
──想像力が、実際にそこにないものを見せる……「ガラスの仮面」にもそういった場面が多く出て来ますね。
そうですね。余談になっちゃうんですけど、マヤがパントマイムをやる場面を描きたくて、日本におけるパントマイムシアターの草分けである、清水きよしさんに取材したことがあるんです。清水さんの「秋の日の思い出」という作品があるんですね。子供が柿泥棒に入って、そこの家の親父に怒られる。けれど1つだけもらって、夕焼けの中を帰っていくという内容。それを北海道で上演したら、観客はみんな柿をりんごだと思っていたんですって(笑)。観客は自分の日常や記憶の中にあるものを想像しながら見ているんですね。
──舞台芸術は作り手も想像しなかった“誤読”も楽しいですよね。そして、受け手の想像力を喚起し、目の前のものを信じさせるには、やはり俳優の感性と技術力が必要。「桜姫」は、観客が桜色の魔法にかけられた感じがしました(笑)。
その空間に俳優が現れただけで惹きつけられて、脳内に想像力の世界が広がる。「桜姫」も、そうした芸の力をまざまざと感じる舞台だと思います。歌舞伎は大胆なエンタテインメント。物語としては荒唐無稽でハチャメチャなところがいっぱいありますが(笑)、鶴屋南北は観客の求めるものや欲望に、常に反応しながら作り上げていったんでしょうね。今作では、そんな不条理さも「面白い」と思わせる説得力あるお二人の演技が、うまく観客の興味を引っ張り続けています。とにかく、仁左衛門さん玉三郎さんの呼吸の合ったやり取り、お二人が長年培ってきた演技の蓄積を拝見できる、ぜいたくな作品ですね。
シネマ歌舞伎「桜姫東文章」予告編
プロフィール
美内すずえ(ミウチスズエ)
大阪府出身。高校2年生のとき、別冊マーガレット(集英社)にて「山の月と子だぬきと」でデビュー。1976年、花とゆめ(白泉社)で「ガラスの仮面」の連載をスタート。1982年に「妖鬼妃伝」で第6回講談社漫画賞少女部門、1995年に「ガラスの仮面」で第24回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。マンガ作品に「アマテラス」ほか多数。「ガラスの仮面」は2度のアニメ化、テレビドラマ化、舞台化、また蜷川幸雄の演出により音楽劇化もされた。作中劇「紅天女」は、梅若実玄祥(人間国宝)により新作能、日本オペラ協会によりオペラとして上演され、好評を得た。