花とゆめ PR

花とゆめ創刊45周年特集 第3回 コラム「われら少女マンガ界のはみだしっ子」|女子マンガ研究家・小田真琴が紐解く、花ゆめが45年間愛された理由

1974年に創刊された花とゆめ(白泉社)。45周年を祝う本特集の第3回では、女子マンガ研究家・小田真琴によるコラムをお届けする。花とゆめが、長きにわたり愛されてきた理由は何か。小田は“歴史”“ジェンダー観”“ラブとギャグの比率”という3つの視点から、花とゆめを紐解いていく。

文 / 小田真琴

白泉社という名のガラパゴス

出典:Pen2013年6月1日号「これを知らなきゃ、日本文化は語れない。少女マンガ超入門!」(CCCメディアハウス刊)

出典:Pen2013年6月1日号「これを知らなきゃ、日本文化は語れない。少女マンガ超入門!」(CCCメディアハウス刊)

6年ほど前、雑誌Pen(CCCメディアハウス)の少女マンガ特集で、少女マンガ誌の4象限マトリクスを作成したことがあった。横軸を「やんちゃ系」から「文化系」、縦軸を「子ども向け」から「大人向け」として、各社の雑誌を配置していったのだが、どうにもこうにも白泉社の雑誌だけがうまく収まらない。仕方なしに「白泉社という名のガラパゴス」という、やや失礼なコピーとともに別枠を設けて紹介したところ、これが一部の白泉社ファンに思わぬ好評を博し、私は胸をなでおろしたのだった。

このとき、マトリクスの中央には集英社の雑誌たちがきれいに並んでいた。りぼん、別冊マーガレット、YOU……これぞ少女マンガの保守本流、「ザ・少女マンガ」だ。もともと集英社はマンガ誌に限らず、マジョリティたちの願望を掬い上げることに長けた出版社である。だからこそ往時のりぼんは未曾有の発行部数250万部を誇っていたのだ。

2019年6月20日発売の花とゆめ14号。

意外かもしれないが、白泉社はそんな集英社の子会社なのである。ともに少女マンガ文化を支えてきたこの2社は、その近しさほどには似ていない。言うなれば王道の集英社、個性派の白泉社。看板雑誌である花とゆめは、直球のエンタメを展開しながらも、ある種の過剰さを抱えた作品たちが、多くの読者の心に忘れ得ない感動を刻んだ。枠に収まりきらないその魅力が読者に「ガラパゴス」感を与えているのだろうか? そしてその個性はどのようにして培われてきたのだろうか? 今年で45周年を迎えるという花とゆめ。その愛される理由を探ってみたい。

花とゆめの運命を変えた2つの作品

当時としては珍しい日本語の誌名を掲げた少女マンガ誌・花とゆめは、1974年に創刊された*1。当初はりぼんよりも低い年齢層をターゲットとしていたそうである。創刊編集長は名編集者、小長井信昌。集英社で別冊マーガレットの編集長を務め、部数を10万部から150万部へと伸ばした立役者だ。小長井とマンガ家の鈴木光明とが中心となって創設した「マンガスクール」は、くらもちふさこや槇村さとるなど数多くの才能を輩出し、後のマンガ界に大きな影響を与えている。

山岸凉子「アラベスク 第II部」

そのノウハウと人脈を引っさげて花とゆめを立ち上げた小長井は創刊号から魅力的な作家陣を揃えた。発行部数は23万部、実売率は97%を記録したというから大成功であろう。象徴的だったのが山岸凉子の「アラベスク」の存在だ。もともとは集英社のりぼんで連載されていた作品だが、小長井が花とゆめで続編を描いてくれるよう山岸に頼み込んだのだ。そうして描かれた「アラベスク」第2部では、バレエ少女・ノンナの成長を描いたスポ根的な第1部に比べると、ネガティブな感情との葛藤や性の目覚めが印象的に描かれ、普遍性と深みを湛えた大傑作となった。

花とゆめ1976年1号

それでも小長井は満たされなかったようだ。社命により月刊だった花とゆめを無理やり月2回刊にさせられ、一時的に部数を減らすという不運もあった。このままではジリ貧だ。何かが足りない。そこで小長井は大博打を打つことになる。読者を熱狂させる超娯楽巨編2作を投入したのである。その2作というのが、美内すずえの「ガラスの仮面」と和田慎二の「スケバン刑事」だった。マンガ史に燦然と輝く両作が同時に連載を開始した1976年1号から、花とゆめの部数は上昇に転じたという。

参考文献
*1 小長井信昌「わたしの少女マンガ史 別マから花ゆめ、LaLaへ」(西田書店)

姉妹誌LaLaとはなにが違うのか?

LaLa創刊号

花とゆめを軌道に乗せた小長井は次なるプロジェクトを始動させる。それが“マンガ読みのための雑誌”LaLaの創刊だった。1976年7月、美内すずえ、和田慎二、木原としえ(敏江)、萩尾望都、竹宮恵子(惠子)、倉多江美、三原順……当時の一線級の少女マンガ家を揃えた創刊号は完売。当初は隔月刊だったがすぐに月刊へと移行し、花とゆめよりも高い年齢層をカバーする少女マンガ誌として、以後、白泉社の二枚看板を張ることとなる。

初期のLaLaを支えたのはいわゆる24年組であった。山岸凉子が「日出処の天子」を描いて一大センセーションを巻き起こせば、大島弓子が「綿の国星」を描いてマンガでしか描き得ない詩情を完璧に表現してみせた。

1976年に創刊され、2016年に40周年を迎えたLaLa。40年の歩みを辿れる「LaLa40周年記念原画展 美しい少女まんがの世界」も開催された。

1980年代になると白泉社生え抜きの作家たちが台頭する。小長井は集英社時代の「マンガスクール」のノウハウを活用し、白泉社でも新人の発掘・育成に力を入れていたのだった。そうしてデビューしたのが成田美名子、森川久美、ひかわきょうこ、樹なつみ、清水玲子らの面々だ。現在アラフォーの少女マンガ読者がLaLaという雑誌を思い出すとき、頭に浮かぶのは彼女たちの美麗な絵ではなかろうか。創刊号で掲げられたキャッチコピー「ビューティフルなまんが雑誌」の看板に偽りなしである。

同時期の花とゆめでももちろん生え抜きの作家は育ちつつあった。ところが川原泉、佐々木倫子、河惣益巳、日渡早紀と並べてみると、彼女たちの作風にはバラつきがあり、“花とゆめっぽさ”のようなものは見出しづらい。月刊誌と月2回刊誌、高年齢層向けと低年齢層向けの違いもあろうが、花とゆめには「面白ければなんでもOK」という懐の深さがあったように思う。

花とゆめ14号
発売中 / 白泉社
花とゆめ14号

雑誌 税込400円

Amazon.co.jp

表紙:ミユキ蜜蜂「なまいきざかり。」
付録:「なまいきざかり。」マスキングシール

小田真琴(オダマコト)
1977年生まれ。少女マンガとお菓子をこよなく愛する女子マンガ研究家。自宅の6畳間にはIKEAで購入した本棚14棹が所狭しと並び、その8割が少女マンガで埋め尽くされている。