ステージナタリー Power Push - 追悼 蜷川幸雄

演出家・藤田俊太郎インタビュー 演出助手としてそばに居た10年

優しさあふれるエピソードしかない

──藤田さんが演出した作品を、蜷川さんがご覧になる機会はありましたか?

藤田俊太郎

2011年に初の自主公演を思い立ちました。蜷川さんに相談をしたら、「おう、やれやれ!」と早速チラシ用の推薦コメントを書いてくれて。音楽劇にしようと思って自分で脚本と詞も書いて、さいたまネクスト・シアターとゴールド・シアターの俳優に出てもらって、新宿ゴールデン街劇場で公演をしたんです。蜷川さんは初日に来てくれたんですけど、「面白くなかった」ってダメ出しの嵐でした(笑)。最終日の朝、お忙しいよなと思って携帯電話に「無事に千秋楽を迎えました」と留守電だけ残したら、その1時間後ぐらいに、大量のケンタッキーフライドチキンを持って「差し入れだ」って、またいきなり劇場に現れてくださった。「俺何したらいい?」「ここで呼び込みやる」って、いいって言ってるのに道ばたで声を出し始めて。お客さんは全員蜷川さんのこと知っているので「何事か」って言われました(笑)。

──(笑)。

「チケットはいくらだ……3500円! 高い! けど未来への投資だと思ってみんな観てください」って、開演まで受付に立っててくれました。「藤田がこの作品は自分のデビュー作って言ってるから、まあみんな観てやってくださいよ」とか、「こんな新宿のゴールデン街まで来てくれてありがとね」なんて皆さんを迎え入れてくださって。

2011年「喜劇一幕・虹艶聖夜」公演時の写真。
藤田俊太郎

──今日はそのときのお写真も持ってきていただきました。

はい。あとこのジャケット、蜷川さんからもらったんですよ。

──そうなんですね! お似合いです。いついただいたんですか?

2009年に尾上菊之助さんが出演された「NINAGAWA十二夜」の現場についていたんですけど、博多座に行く前に「地方公演に行く時、たぶん歌舞伎は正装だろうな」という会話から、蜷川さんが「一応聞くけどジャケット持ってるのか?」と。「ジャケットですか、うーん」って答えたら次の日に「これ着てけ」って持ってきてくれました。

──お優しいですね。

藤田が持参した、蜷川に譲られた本。左から、菅原千恵子著「宮沢賢治の青春 “ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって」(角川文庫)、倉橋健著「演出のしかた」(晩成書房)、リー・ストラスバーグ著「メソードへの道」(構想社)。

でもこれも僕だけじゃないんです。ネクスト・シアターの若い俳優に聞いたらみんなそう言うと思うんですけど、ある日突然蜷川さんがダンボールぎゅうぎゅうに、Y'sとかコムデギャルソンとかの服を持ってきて、「最近太ったから小さくなって着れないんだ」って言い方をして配ってくれました。若手俳優たちは「おー!」って喜んで、早い者勝ち。本当はいらないものじゃないと思うんですけど、それで少しは若手たちもオシャレをしなさいという。優しさあふれるエピソードしかないです。お葬式の様子を見てもわかる通り、参列されたすべての方々の中に、蜷川さんとのエピソードがあるだろうなと思ってます。

怒鳴られたランキング1位か2位

──闘病中の蜷川さんをどのように見守られていましたか?

藤田俊太郎

2015年から2016年にかけて、集中治療室から一般病棟に移ったタイミングは、遠慮して病院に手紙を持って行き看護師さんに渡してたんですよ。そしたら蜷川さんから「(病室に)入れよ入れよ」って電話がかかってきたので病室に戻りました。「蜷川さん元気なんですね!」「元気だよ!」なんて話をして、「最近刺激がなくて面白くないから、その手紙、自分で読め!」って言われて、自分で封をビリビリビリって切って、蜷川さんの前で手紙を読み上げました。「蜷川幸雄さん、お元気でしょうか」「僕は次の演出の稽古に入っておりますが、稽古場に行くと蜷川さんの存在の大きさを思い知らされます。術後の経過はいかがでしょうか?」って読んだら、「とりあえず大事にしてるよ」とかその場で直接返事がくる(笑)。蜷川さんは「いやあ、面白いシチュエーションだなあ」って最初から笑ってましたね。そりゃそうですよね。その人に書いた手紙をその人の目の前で読んで返事するんですから。

──演出助手として10年間蜷川さんとご一緒されたわけですが、特に印象的だったことはなんでしょうか?

僕はたくさん怒られましたし、多分この10年間で、怒鳴られたランキング1位か2位だと思うんですよね。それぐらい何もできない若者だったので、「藤田っ!」っていう怒鳴り声は、関わった人のほとんどが聞いてると思う。その1つひとつの現場の教えが積み上がって、今なんとか演劇を続けられてる。だから蜷川さんが地球だとすると、僕はホントに消しゴムのカスぐらい。

藤田俊太郎

──現場で怒鳴られたことが、今の藤田さんを支えてる?

はい。今僕は演出をやってますけど、演出助手としてクリエイティブなところでは、ホントに蜷川さんの力にはなれなかったんです。僕の先輩は、20年、30年と蜷川さんを支えて、そういう優秀な方々がいるカンパニーを、僕は羨望の眼差しでずっと体感してきたんです。だから僕自身はすごいクリエイティブな深いところで蜷川さんとつながれたかっていうと、そうじゃないんですよ。僕はただとにかく、居た。蜷川さんのそばに居続けた。居続けて感じたことは、ちゃんと自分の人生を、演劇をやる者として作品に反映させていきたいと思いますね。蜷川さんにはまだ何も返せてないんですけど。

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9月ラインナップ
「冬物語」
2016年9月17日(土)23:00~ ほか
「から騒ぎ」
2016年9月15日(木)27:00~
「じゃじゃ馬馴らし」
2016年9月25日(日)25:15~
「ジュリアス・シーザー」
2016年9月30日(金)25:15~
「ヘルタースケルター」
2016年9月2日(金)23:00~
「さくらん」
2016年9月9日(金)23:00~
蜷川幸雄(ニナガワユキオ)
蜷川幸雄

1935年10月15日、埼玉県川口市生まれ。1955年に劇団青俳に入団し、1968年に劇団現代人劇場を創立。1969年に「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビューした。代表作は「身毒丸」「NINAGAWA・マクベス」「ハムレット」など多数。肺炎による多臓器不全のため2016年5月12日に逝去。8月には森田剛、宮沢りえ出演の「ビニールの城」、12月には「1万人のゴールド・シアター2016」、2017年には「NINAGAWA・マクベス」が追悼公演として上演される。

藤田俊太郎(フジタシュンタロウ)

1980年生まれ、秋田県出身。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科在学中の2004年、ニナガワ・カンパニーに入る。当初俳優として活動を始めたが、2005年以降は蜷川幸雄作品に演出助手として参加。2011年、「喜劇一幕・虹艶聖夜」で初めて作・演出を手がける。2012年にさいたまネクスト・シアター「ザ・ファクトリー2(話してくれ、雨のように……)」の演出を担当。2014年に、新国立劇場小劇場にて上演された「The Beautiful Game」で第22回読売演劇大賞杉村春子賞優秀演出家賞を受賞。2015年に「美女音楽劇 人魚姫」、2016年にミュージカル「手紙」「ジャージー・ボーイズ」の演出も手がけた。12月には「Take Me Out」、2017年1・2月には「ミュージカル 手紙」が控えている。なお演劇活動の傍ら、2011年より、絵本ロックバンド「虹艶 Bunny」としてライブ活動も展開中。