「K.テンペスト2019」「空中キャバレー2019」串田和美×大森博史×松村武 座談会|まつもとを、どんどん自分の場所にしていってほしい

噂以上に、多くて長い

──松村さんは、串田さんの演出を受けるのは今回が初めてとなります。

松村武

松村 非常にゆっくり作っていくんだなと実感しています。僕なんか毎回せかせか作る現場にいるので、どんどん決めていかなきゃって思うんですけど、今回はすごく雑談の時間が長い。噂には聞いていたんですけど、噂以上に雑談の時間が多いし、長い(笑)。

一同 あははは。

松村 でもそういうところからみんなのつながりが生まれたり、作品の大きなシーンが立ち上がっていくんだなと思いますし、雑談を通して太い幹を作る作業をしてるんだなって。こういう作り方をあまり体験したことがないので、非常に贅沢な感じがしますね。

串田 この、雑談に見える時間がたまらないんだよね(笑)。ちょうど今ががんばりどころって言うか、難しいところではあるんだけど……。

──今回もその“雑談”から得た新たなエピソードが作品に組み込まれていくわけですね。

串田 うん。ただ最近、出演者の中に、雑談することに“戸惑わない”人が増えてるのはどうなんだろうなとちょっと感じていて。あんまり不安がられても困るんだけど、「どうせなんとかまとまるだろう」って思われすぎるのもちょっと……。だから藤木さん、ひなちゃん、松村さんのように、“ちゃんと戸惑ってくれてる”存在は大事です。

松村 なるほど!

「テンペスト」に感じるキーワードとは

──4月20日に、翻訳の松岡和子さんと串田さんによる芸術館レクチャーシリーズ「シェイクスピアを楽しむ『テンペスト』編Ⅱ」が開かれました。観客向けのレクチャーですが、出演者の皆さんも参加されたそうですね。

「K.テンペスト」稽古の様子。

串田 レクチャーでは、「テンペスト」がどういうお話で、松岡さんはそれをどう翻訳したかとか、僕はどういう意図で「K.テンペスト」を演出したかっていう話をしたんです。その場に共同演出の木内(宏昌)さんや役者さんたちもいてくれたので、それぞれ松岡さんに質問したりして。参加したお客さんからは、「ものすごく面白かった」と言ってもらいました。

──初演時、串田さんは「テンペスト」に対して“記憶”というキーワードを掲げていらっしゃいました。レクチャーや稽古場でのやり取りを踏まえて、改めて皆さんの中で、「テンペスト」からどのようなキーワードが浮かんでいらっしゃいますか?

串田 たぶん最初から考えていたことだとは思うんだけど、さらに強く意識するようになったのは“怒る”ということと“赦す”“謝る”ということ。例えばジョン・オズボーンの「怒りをこめてふり返れ」って芝居があったけど、怒りっていうのはあるとき、とても大事だった時代がある。でも今は怒りって言うとヘイトとか、ちょっと違った、嫌な怒りになっていて、本当に怒るってことがなくなってきているんじゃないかと思うんです。謝るってことについても、個人的なレベルの「ごめん」ってことじゃなくて、もっと大きな謝罪って感覚を忘れているんじゃないかと。生きるってことはつまり、絶対に何かを犠牲にしているわけで、人間は自然界のものを食い散らかし、勝手に遺伝子を組み換えたりしてるわけですから、大自然に対して謝る気持ちと、でも生きていかなきゃいけないという感覚と、その両方を感じていかなきゃいけないのではないかと。そんなことを、さらに強く意識するようになっていますね。

松村 僕は、“自由”というワードが引っかかっていて。「テンペスト」は、「自由とはどういうことか」を描いた作品という気がするんです。例えば役者って、「自由にしていいよ」って言われてアドリブを言うとか、勝手に動き回る自由を与えられても、あんまりうれしくないと言うか、厳しいことだったりしますよね?(笑) むしろ、どこで動くとかどこで歌うっていう段取りを踏まえて、一言一句セリフも動きも変えずに演じているのに、勝手に身体が動いていくとき、その世界の波に揺られて進行しているときにいい芝居ができてるって感じるし、「自由だ」と思うんです。そういった視点が、「テンペスト」の中にはあるような気がしていて。個人の自由と、さらに大きな意思と言うか、自然や神様、運命、偶然に争うんじゃなく乗っかっていくときに感じる自由が描かれているんじゃないかと思います。僕、サーフィンってやったことがないんですけど、サーファーが感じる快感ってそういう自由な感覚なのかなって。

串田 ああ、波に争わず、乗っていく感覚ね。

松村 はい。波に乗っているときのフリーな感じが、描かれているんじゃないかなと。

大森 僕は、串田さんが語ってくれた、「砂つぶは物語の集積だ」ってことや、“怒る”“謝る”ってことをもちろん感じつつ、この間松岡さんが話してくださったことの中ですごく面白いと言うか、色っぽいなと感じたことがあって。松岡さんは、「夏の夜の夢」でアテネ公シーシアスとアマゾン国のヒポリタの内面が、妖精王のオーベロンと女王のティターニアとして顕在化しているというお話をされたんですね。そのお話から、もしかしたら「テンペスト」は、前ミラノ大公・プロスペローの内面の表れなんじゃないかと感じたんです。と考えると、空気の精・エアリアルも別個の存在としてではなく、プロスペローの内面にある存在として捉えられるし、それってなんだか、すごく色っぽいなと思いました。