16世紀のスコットランド女王メアリー・スチュアートの処刑前夜を描いた「Mary Said What She Said」が10月、東京芸術劇場 プレイハウスにて日本初演を迎える。これは、「浜辺のアインシュタイン」をはじめ、実験的かつ先鋭的な作品で知られるアーティスト、ロバート・ウィルソンが、フランスを代表する俳優イザベル・ユペールと立ち上げた一人芝居。2019年のパリで初演され、これまで世界各国で上演を重ねてきた。日本公演に向け、実はウィルソンも東京を訪れるはずだったが、7月31日、ウィルソンは永眠し、それは叶わぬ夢となった。
本特集では日本でも多くのファンを持つイザベル・ユペールのインタビューを掲載するほか、翻訳家・文筆家の小澤英実の寄稿により、ロバート・ウィルソンの足跡を振り返る。なお本公演は、芸劇オータムセレクションとして、舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」にて上演される。
[イザベル・ユペール]メールインタビュー翻訳 / 加藤リツ子
イザベル・ユペールが語る「Mary Said What She Said」
ロバート・ウィルソンが絶大な信頼を寄せていた俳優イザベル・ユペール。彼女は、ウィルソンとのクリエーションにどのような思いで臨んだのか。メールインタビューに真摯な言葉で応じてくれた。
──過去のインタビューで、本作の戯曲を初めて読んだ際に「美しいと思った」とお答えになっていました。どのような部分に美しさを感じたのでしょうか?
この戯曲を初めて読んだとき、二つの考えが頭にありました。一つは、「Mary Said What She Said」の作者であるダリル・ピンクニーが、私が初めて出演したボブ(ロバートの愛称)・ウィルソン演出作品「オーランドー」の脚色も手掛けたということです。1993年の作品でした。そのため私はダリルの文体を少し知っていましたし、読むことでボブ・ウィルソンとの仕事を思い出しました。それから1996年ロンドンのロイヤル・ナショナル・シアターにおけるフリードリヒ・シラーの戯曲上演のことも記憶にありました。当時、私はメアリー・スチュアート役を演じるために、彼女の歴史についていろいろと調べました。もちろんシュテファン・ツヴァイクによる素晴らしい伝記も読みました。ダリル・ピンクニーの脚本を読んで、彼が女王の歴史を非常に特殊なアングルで取り上げていることにすぐに気づきました。ダリルは、メアリーの人生、彼女の物語を、彼女の“4人の小さなメアリー”こと4人の侍女たちとの関係を通じて再構築しています。メアリー・フレミング、メアリー・ビートン、メアリー・リヴィングストン、メアリー・シートンの4人です。これは、彼女の人生をかなり断片的に語る手法です。このテキストには、フラッシュカットのように飛び込んでくる数々のイメージが含まれています。それでも最後には一つの人生が見えてくるのです。古典的なストーリーテリングとは程遠いこの断片的なテキストは、ロバート・ウィルソンがそこに重ねて提示したイメージと完全に一致していて、最終的にはメアリー・スチュアートの生涯全体をカバーしています。すなわち、非常に若くしての結婚、フランスから英国への帰還、牢獄での歳月、かなり放蕩な私生活、そして死、処刑に至るまでを描いています。私が初読で気に入った点は、侍女たちを介して描かれるこの非常に個人的なアプローチです。ダリル・ピンクニーがメアリーの生涯を《AからZまで》のように最初から始めて最期で終わるような描き方はしていない点が気に入りました。私はすぐにこれがどのようなものになるかわかりましたし、この作品がボブ・ウィルソンの演出に適していることをよく理解していました。
──歴史上の人物であるメアリー・スチュアートを演じるにあたり、特に意識したことはありますか? また、なぜ人はメアリー・スチュアートに惹かれるのだと思いますか?
私は、実のところ、自分が歴史上の人物を演じるのだとはほとんど考えませんでした。たとえ作品にメアリーの魂や彼女の歴史がすべて込められているにしてもです。私はとても独特で、とても形式を重んじるボブ・ウィルソンとの仕事にすっかり没頭していました。歴史・物語を表現せしめているのはボブ・ウィルソンの天才的才能ですが、それは彼自身の声、心理的な要素を一切含まない声によって表現されています。そして、それこそが観客に愛される点なのです。
──1部、2部、3部と各部での語り方、言葉の届け方に違いを感じます。それぞれの部を演じるうえで、どんなことを大切にされていますか?
おっしゃるとおり、この戯曲には、繰り返しはあるものの、急変や進展も存在しています。打ち明けて言いますが、舞台稽古が始まる前に台本を覚えるのは非常に難しいことでした。どの場所移動が、どのセリフ、どの仕草、どの態度につながっているか、はっきりわかっている方がずっと覚えやすいのです。言葉の記憶は身体の記憶と連動しています。どの場所でどの言葉を言うべきかがわかっているからこそ、セリフを覚えることができるのです。稽古の早い段階で、3つの異なる部分が見えてきました。最初の部分は、英国への旅を喚起させるもので、エリザベスに対するメアリーの反乱に関連する暴力のフラッシュカットが差し挟まれます。次に、もっと穏やかな部分があり、ここではより幸せな時期が語られます。そしてついに、彼女の死の直前である最後の部分が来ます。もっとずっと激烈な部分であり、女性や愛について非常にはっきりした考えが表れていて、死を目前にしたメアリーのある種の深い明晰さが感じられます。
──ユペールさんの演技と、光・音楽の共鳴が美しい本作。舞台上で、光や音楽をどのように感じていますか? 演じるうえでの支えになっていますか?
舞台はルドヴィコ・エイナウディの音楽で始まります。とても美しい音楽で、毎回私は圧倒されて心を奪われます。幕が上がる瞬間から、私はその音楽に伴われているのです。冒頭、私は客席に背を向けていますが、観客が舞台をどのように感じているかは意識しています。それから、私はまったく予測不可能な方法で向きを変えます。それはある種の《動く静止状態》のようなものです。観客は私が動いていることを感じるわけですが、架け橋となる音楽のおかげで、私は観客が体験している感覚をさらに強く意識できるのです。そして、この照明! ボブ・ウィルソン(彼との仕事はこれが3作目です)においてはいつもそうであるように、照明は根本的に重要なものです。照明は言語であり、影によって物語ります。時には非常に荒々しくなり、そして多くのことを語ります。内面性、暴力、親密さ、喜び、悲しみなどを語るのです。ボブ・ウィルソンはすべてを照明で語っていました。照明は私の演技を助けてくれます。照明があれば、私はもう大層なことはしなくていいのです。非常に形式的な指示に従ってセリフを言うだけです。ボブ・ウィルソンは、心理的な指示は絶対に与えませんでした。絶対に、絶対に、です。心理的指示は彼の探求範囲から完全に外れているのです。純粋に形式的な指示、つまり《もっと強く》とか《もっと優しく》と言うことで、ボブはセリフの深い意味に到達し、感情や心の動きを伝えていました。
ボブ・ウィルソンにとっては、腕の位置、腕の動き方、1本の指の位置、体の動き方さえも重要であり、すべてが解釈の対象となります。それこそが私がボブ・ウィルソンとの仕事でとても好きだった点です。言葉と身体と態度が完全に融合しているのです。彼は天才でした。この表現方法を見つけ出した、本物の天才だったのです。
──本作の稽古や本番でロバート・ウィルソン氏とやり取りされた中で、印象的だった言葉やエピソードを教えてください。
ロバート・ウィルソンとの仕事について、エピソードはないのです。私がこれまで語ったことは、厳密な仕事から私が感じたセンセーションに基づいています。単なるエピソード以上に深いいくつものモーメントを経験しました。30年間、衝突は一度もありませんでした。私が困難を感じることは一度もありませんでした。彼はいつも、私には抽象的に考える能力があると言っていました。この抽象性に敏感であることが、ボブ・ウィルソンとの仕事には不可欠でした。当然のことながら、通常の規範を用いてはいけませんでした。そうした規範をそもそも私は個人的に用いないのですが。質問が生じることはありませんでした、あるいは、質問は言葉による答えを必要としませんでした。答えは空間を侵食することによって示されました。この非常に形式的な作業に、完全に加工され、導かれるままになる必要がありました。観客としても同じことを感じられる、つまり、この形式の中に入り込まなければならないという手法は、観客にとっても同じだと思います。同時に私はこれほどまでに自由を感じたことはありませんでした。ウィルソン作品では、いつも完全に自分のやりたいことをやっていました。通常の演技の規範に縛られることがありませんでした。彼はそのはるか先を行っていました。彼は、ほんのわずかな態度やサインにも敏感に対応する人でした。ささいなディテールで自分が探求するものの深みを表現することができる人でした。彼は、ドレスの形、髪型、メイク、口紅の色、爪の色にいたるまで、あらゆることに気を配っていました。
──初演以来、さまざまな国で上演されている本作。日本公演に対する思いを教えてください。
ボブ・ウィルソン不在で公演を行うのは今回が初めてです。逆説的なことに、彼はそこにいるでしょう、完全にそこにいることでしょう。恐らく奇妙な感覚を覚えることでしょう。彼はとても背が高く、物理的に非常に存在感がある人でした。ツアー公演中は、私たちは自分たちがやっていることについてあまり多くを話しませんでした。強い調子で意見交換をすることはあっても、それは必ずしも多くの説明を伴うものではありませんでした。
彼不在での再演はこれが初めてなので、きっと大きな感動を覚えることでしょう。しかし同時に、彼が多くの作品が再演され、巡業が続くことを願っていたことも私たちは知っています。それに私はパリ市立劇場でのクリエーション時のチームで「Mary Said What She Said」が近々に再演されることを願っています。彼のすべての作品は、どんなに大きな空間でも、あるいはもっとずっと小さな空間でも適応して上演できると思います。それこそが素晴らしいことなのです、彼の作品がこれからもいろいろな場所で上演され続けるということが。もちろんそれは胸が痛むことでもあります。彼は自分が病気だと知っていましたし、自分がこの世を去ることも知っていました。それでも、彼はその後についてとても細やかに計画を立てていました。
今回は、私にとって2回目の来日公演になります。3年前のイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出の「ガラスの動物園」以来です。「ガラスの動物園」は約1週間の公演でしたが、満席で、素晴らしい反響を得ました。ロバート・ウィルソン作品で再び日本に来ることができて、とてもうれしいです。「ガラスの動物園」のときと同じくらい素晴らしい反響が寄せられるだろうと思っています。彼が日本の演劇、特に歌舞伎の表現に大きな影響を受けたこと、日本の俳優たちと仕事をしたことはよく知られています。観客はこの舞台からいろいろ感じ取ってくれることでしょう。
──本作はロバート・ウィルソン氏と創作された最後の作品となりました。ユペールさんにとって、どんな思い入れの詰まった作品でしょうか?
確かに、本作が私たちが一緒に創作した最後の舞台作品となりました。でもこの作品のクリエーション以降も彼は私に他のプロジェクトへの参加を依頼してきました。例えばルーアン大聖堂の音と光のショーがありました。彼のおかげで知ることができた詩人マヤ・アンジェロウのテキストがテーマでした。ロバート・ウィルソンが映像をデザインし、私がナレーションを録音しました。ナレーションには、時折彼自身の声も差し挟まれていました。2024年のイベントです。私たちはそのナレーションをスタジオで録音したのですが、彼は続いてマヤ・アンジェロウについての舞台作品を創る構想を抱いていました。会うたびに、その話をしてきました。今年3月にニューヨークで「Mary Said What She Said」のツアー中に最後に会ったときも、その話をしていました。彼は私に「私たちはマヤ・アンジェロウについての作品を作らないといけない」と言いました。私たちはドイツでラジオ番組の仕事もしました。Deutschlandfunk Kultur局のためにアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」にインスピレーションを得た「ユビュ」ラジオ版を作ったのです。「ユビュ王」は1896年に書かれた、専制政治、強欲、権力の乱用を描いたグロテスクな作品です。ドイツの女優アンゲラ・ヴィンクラーも出演しました。最終日の収録は公開で行われました。ほとんど舞台公演のようなものでしたが、かなり楽しい経験でした。
私たちは常に共同のプロジェクトを進めていました。彼は私と一緒に「ハムレット」もやりたがっていました。そんな中でもやはり私は「Mary Said What She Said」には特別な思い入れがあります。多くの人々がこの作品を見て、観劇中に何かが自分の中を通り抜けた、一種のトランス状態になったと私に話してくれました。この作品は、人々の心に強い印象を残したと感じています。そしてまた2019年当時、ロバート・ウィルソンの作品としては斬新で、人々がまったく予想していなかった作品でもありました。今でも、この作品を観た観客から感想が寄せられます。ボブ・ウィルソンの演劇にあまり詳しくなかった人、彼の作品を知らなかった人でも、本当に強い印象を受けたというのです。この作品には、特別なエネルギーがあります。私たち2人に、そして私たちの間に起きたことに起因するエネルギーなのです。
プロフィール
イザベル・ユペール
フランス・パリ出身。映画界でキャリアを始めるや瞬く間にフランスと世界で注目される存在となり、クロード・シャブロル、ジャン・リュック・ゴダール、ミヒャエル・ハネケ、フランソワ・オゾン、タヴィアーニ兄弟ら、名だたる映画監督のミューズとして「ピアニスト」「主婦マリーがしたこと」「沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇」「エル ELLE』などに出演。カンヌ国際映画祭女優賞を2度、セザール賞、ゴールデン・グローブ賞などを受賞。第62回カンヌ国際映画祭、第34回東京国際映画祭では審査委員長を務めた。舞台では「オーランドー」でロバート・ウィルソン演出作品に出演ほか、ハイナー・ミュラー「カルテット」、ベネディクト・アンドリュース演出ジュネ作「女中たち」ほか。イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出「ガラスの動物園」で来日。ロバート・ウィルソン演出作品は本作が3作目となる。
「ロバート・ウィルソンの舞台とは、その中に流れる時間と空間そのもの」
文 / 小澤英実
今年7月31日に逝去したロバート・ウィルソンは、60年代後半のニューヨークに、舞台芸術や演劇とは無縁の場所から突如として現れ、ジャンルを越境する革新的な手法でアートシーンをがらりと塗り替えた不世出のアーティストだった。ドイツの演劇学者ハンス=ティース・レーマンが、物語や戯曲に縛られた従来の演劇から脱却した<ポストドラマ演劇>の最重要作家にウィルソンを据えるとおり、彼は観客の情緒に訴えかけるブロードウェイやクラシック・バレエ、自然主義的な演劇の手法を徹底的に嫌い、作品に直線的な物語や解釈可能な意味を込めるかわりに、観客が全身で体験し、自由に考えるための時間と空間をデザインすることを重視した。
<イメージの演劇>と呼ばれるその作品は、ウィルソンいわく、「ラジオとサイレント映画の組み合わせ」。照明や音楽や美術や衣装の重要性を、俳優や戯曲と完全に同等に位置づけた彼の作品は、演劇というより建築やインスタレーションに近い。直観と想像力に溢れた大胆な演出、度肝を抜く舞台美術と息をのむような様式美。遊び心ある即興性と数学的な緻密さが同居する驚異的な舞台は、ウィルソンにしか作りえないものだ。
その目覚めたまま観る夢のような魔術的舞台は、フランスではシュルレアリズムの作家ルイ・アラゴンに「自分たちが夢見たものの到来だ」と激賞されたし、アメリカでは戯曲中心主義を脱却する前衛演劇やパフォーミング・アートの刷新に繋がっていった。時間的にも経済的にも途方もないスケールとコストで制作された5時間のオペラ「浜辺のアインシュタイン」は、それを観たローリー・アンダーソンの制作手法に決定的な転機を与えた。トム・ウェイツやデヴィッド・ボウイ、レディ・ガガなどのミュージシャンや、マリーナ・アブラモビッチ、スーザン・ソンタグといったジャンルを超えた作家たちとのコラボレーションを通して舞台芸術の枠を押し拡げたウィルソンが、現代文化に与えた影響ははかりしれない。
日本との関わりも深い。ヨーロッパでウィルソンの作品に触れ大いに触発された寺山修司、長年に渡る協働で世界演劇のネットワークを構築した鈴木忠志のほか、例えば維新派の壮大なスケール、リズムの反復とメカニカルな役者の身体には、ウィルソン作品との近接性が感じられる。
ウィルソンの舞台とはすなわち、そのなかで特異に流れる時間と空間そのものだ。客席で身をもって体験しない限り、作品を観たことにはならない。「Mary Said What She Said」は、照明をはじめとする空間美術も楽しみだが、注目はなんといっても、ウィルソンが絶大な信頼を寄せた女優であり、93年にはシラー版「メアリー・スチュアート」を演じたイザベル・ユぺールが見せる超人的演技だ。新たなユペールの代表作を目撃し、ウィルソンが遺した演出でシアターの醍醐味を味わうことが同時に叶う、貴重な舞台であることはまちがいない。
プロフィール
小澤英実(オザワエイミ)
翻訳家・文筆家。東京学芸大学准教授。専門はアメリカ文学・文化、現代日米演劇。利賀演劇人コンクール審査員のほか、東京文化発信プロジェクト東京アートポイント「長島確のつくりかた研究所」やアジア女性舞台芸術会議実行委員会の立ち上げに関わる。近年の著訳書に「英語で読む村上春樹」(NHK出版)や「キンドレッド グラフィック・ノベル版」(フィルムアート社)のほか、KAAT・KUNIO 共同製作 KUNIO15「グリークス」(2019年)の翻訳も手がけた。