ダミアン・ジャレと名和晃平のコラボレーション作品第3弾「Planet[wanderer]」が11月に東京と京都で上演される。ダンスを軸に美術家やミュージシャン、映画監督、デザイナーなど多彩なクリエイターと協働している振付家 / ダンサーのジャレと、“セル(細胞・粒)”という概念で世界を捉える彫刻家の名和は、2016年の「VESSEL」を皮切りに10年にわたって共同クリエーションを行ってきた。今回上演される「Planet[wanderer]」は、2021年にフランスで初演された作品で、「古事記」に登場する“葦原中国”を参照しつつ、彷徨いながらも生きる人たちの姿を描く。
ステージナタリーではジャレと名和にインタビュー。2人はこれまでのクリエーションを振り返ったほか、互いに対する信頼を語った。なお本作の東京公演は、芸劇オータムセレクションとして舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」にて上演され、京都公演はロームシアター京都の10周年記念事業の1つにラインナップされている。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 吉見崚
「ぜひとも協働しなければならない」と感じた
──お二人の創作は2015年の「VESSEL」のクリエーションからスタートしました。まずはコラボレーションのきっかけを教えてください。
名和晃平 ダミアンとの出会いは、2013年に僕が「あいちトリエンナーレ」に出品した「Foam」という泡のインスタレーションを観た彼が、連絡をくれたことがきっかけです。「あいちトリエンナーレ2013」のテーマが「揺れる大地──われわれはどこに立ってるのか:場所、記憶、そして復活」で、「Foam」は僕自身の震災後の反応として現れてきたインスタレーションでした。それを観たダミアンが、僕のWebサイトに「何か一緒に作りたい」と連絡をくれたんです。
その後、「札幌国際芸術祭2014」の折に、ゲストディレクターをされていた坂本龍一さんを介して実際に会うことができました。2015年にはダミアンが京都に来て、「VESSEL」のプロトタイプのような作品を実験的に創作しています。それをシアターサイズに展開したことで、2016年に「VESSEL」が誕生しました。「VESSEL」はロームシアター京都で初演され、その後ヨーロッパを巡演し、アジアでも上演しています。
ダミアン・ジャレ 私は2005年8月ぐらいから日本を定期的に訪れるようになり、パフォーマンスも発表してきました。名和さんとの出会いは、彼が言った通り2013年の「あいちトリエンナーレ」で名和さんの作品を観てからで、「ぜひとも彼と協働しなければならない」という確信を得ました。その後、「札幌国際芸術祭2014」で「BABEL(words)」を上演した際、坂本龍一さんのおかげで名和さんにお会いすることができ、協働作業が始まったわけです。ただ私は彼に、「セノグラフィーを手がけてください」と依頼したわけではありません。私たちのバックグラウンドは異なりますが、共通しているものがあると感じたので、まずはお互いがこだわっているものを共有し合ったんです……とはいえ、最初は名和さんにかなりの説得をしなければなりませんでしたが(笑)。あれから10年、私たちのクリエーションは今も続いています。ここまで来られたことを、非常にうれしく思っています。
──名和さんが、ジャレさんとの協働に確信を持ったのはどのタイミングでしたか?
名和 対話を始めてからですね。正直、実際に彼に会うまではよくわからない部分も大きかったのですが、いざ話を始めると、お互いの頭の中にたくさんイメージが出てきて、一緒にクリエーションができるのではないかという思いが強まりました。
──名和さんは、学生時代にダンサーの田中泯さんが主宰していた「アートキャンプ白州」(編集注:1988年から2010年まで山梨県の白州町で行われていた野外芸術祭)に学生ボランティアとして参加されていたそうですね。ダンサーの身体に対する興味は以前からあったのでしょうか?
名和 はい。京都市立芸術大学に通っている頃、毎年夏に開催されていた「アートキャンプ白州」に参加したんです。そこには、世界中からさまざまなダンサーやパフォーマーが集まってきており、ダンスをはじめとしたクリエーションをラディカルに捉え直そうという実践がなされていました。机の上で考えるだけでなく、土の上で身体一つで何ができるのかをやってみるという、表現の根本を掘り下げていくような場が繰り広げられていて、そこでの体験は自分自身の彫刻の原点にあると思います。
レジリエンスの象徴として描かれる、揺らぐ葦
──「Planet[wanderer]」は2021年にフランス・パリ国立シャイヨー劇場で初演されました。2016年初演の「VESSEL」、2021年に映像作品として発表された「Mist」、「Planet[wanderer]」と、3作とも「古事記」に着想を得た作品です。最初からシリーズ化を考えていらっしゃったのでしょうか?
ジャレ いえいえ、とにかく2人が一歩踏み出して、創作の過程に一緒に身を置いてみることが重要だったので、「VESSEL」の元になった短いパフォーマンスが生まれなければその後の大きな作品は実現しなかったと思いますし、一歩、また一歩と創作を重ねて今に至ったという感じです。
──「Planet[wanderer]」では“黄泉の国(死者の世界)”と“高天原(神の住処)”の間にあるとされる、“葦原中国(人間が住む世界)”にインスピレーションを受けているそうですね。葦原中国は、植物の葦がたくさん生える未開の地だったとされています。
ジャレ 「VESSEL」と「Mist」はそれぞれ“黄泉国”と“高天原”が、「Planet[wanderer]」は“葦原中国”がインスピレーションになっています。葦は2021年にパリで「Planet[wanderer]」の創作を始めたときから重要な要素で、レジリエンスの象徴として描かれます。作中には、地面に足を固定されたダンサーたちが左右に激しく揺れ動く、という重要なシーンがあるのですが、ダンサーたちが風を感じながら動く様は、地面に根を張りながらしなやかに抗うパンデミック期の人々の姿と共鳴して、ヨーロッパ各地で上演するたび、観客から驚くべき反響を得ました。
名和 実は「Planet[wanderer]」を作るにあたって、重要なできごとがありました。石巻で行われた「Reborn- Art Festival」に、京都芸術大学の学生たちと参加した際、僕の彫刻作品「White Deer (Oshika)」が設置された荻浜という浜辺で、ダンサーたちと一緒にサイトスペシフィックなワークショップを行ったんです。「Reborn- Art Festival」は、東日本大震災の被災地である石巻の復興に、アート、音楽、食といった芸術を通じて加わろうというフェスティバルです。荻浜は津波の被害が非常に大きく、僕たちが訪れたときも、浜辺にはまだ流された大木が残っており、森の中に入ると家具や日用品、テレビなどの電化製品が散乱していました。その様子は、破壊された文明の痕跡のようにも見えました。それを受けて、ワークショップでは、浅瀬に沈めたプラットホームにダンサーの足を固定し、海面で揺れる植物のように見える状態をつくりました。その傍にはピアノを置き、ピアニストの中野公揮さんによる即興演奏の中、ダンサーたちが揺れて倒れたり、起き上がったりするのです。これが、先に述べた「Planet[wanderer]」の重要なシーンにつながっていきました。葦は湿地帯や浅瀬に生える植物で、吹き荒ぶ風に耐えて立っているのですが、その姿と、人間という生物が生きづらい環境の中で懸命にもがく様子が重なり、舞台にとっての重要なインスピレーションをもたらしました。
──お二人のクリエーションはいつもどのように進められるのですか? ジャレさんが最初にシーンの構成や振りを考えられて、そこに名和さんが素材や美術を提案したり投入していくのでしょうか?
名和 まず素材と身体を合わせるためのワークショップを行って、そこから得られたイメージや要素を汲み取りながら一緒にシーンを組み立てていきます。実験を通じて、表現の要素を1つひとつ探っていくわけですね。
ジャレ 名和さんとのコラボレーションは化学的、物質的、解剖学的、物理的です。たとえば「Planet[wanderer]」では、片栗粉を水に溶かし混ぜることによってある質感の物質ができ、それをダンサーの動きと組み合わせることで、葦が水の動きに拮抗するような動きが生み出されました。ほかにも砂やスライムを使ったりと、多様な素材とダンサーを対峙させてきました。ダンサーは本当に毎回、素材と“対峙”して何らかのイメージを連鎖させながら想像力を働かせ、シーンを立ち上げていく。さまざまな要素に対するダンサーたちの反応からいろいろなシーンが作られていきました。
──ちなみにジャレさんは「古事記」に書かれている世界の捉え方を、どのようにお感じになりましたか?
ジャレ 私はいつも、想像と現実の世界を行き来しながらクリエーションについて考えていくのですが、神話や儀式にはいつも魅了されます。想像というのは、無意識から特定の要素を捉えようとする行為で、神話的かつ古代的なものだと思います。私はその無意識的なものに興味があって、それは現実に存在し、現実に作用するものでありつつ同時に神秘的でもあります。また神話は、説明不可能なものを説明可能にする手段でもあります。私たちは神話に基づく文明に生きているとも言えますし、地域の神話を探究することは非常に興味深いことだと思っています。
私はメキシコやアイスランド、ギリシャなどさまざまな国で仕事をして来ましたが、どこにも“黄泉”と似た考え方はあり、水が黄泉を象徴しています。物質的な世界、物理的な世界と観念の世界がつながっていて、すべてが自然界につながっているとも考えられるわけです。「Planet[wanderer]」では水がない砂漠のような状態が中心ですが新作「Mirage」では水が出てきます。水というのは生命の創造であり水なしでは生活様式が変わってしまう。どの都市も川によって発展していますし、文明は水辺に築かれます。神話は自然の原理に基づいて構築されているわけです。
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流星塵や隕石がより集まってできた“Planet”