木ノ下歌舞伎「勧進帳」木ノ下裕一と杉原邦生が思う、複雑で曖昧で矛盾した人間の“生”の尊さ (2/2)

2023年の今だからこそ感じる“境界線”の重要性

──2023年の今、本作について考えると、どうしてもロシアとウクライナの問題やコロナ禍から生まれた分断のことが頭に浮かんでしまいます。初演時から掲げているテーマ“境界線”の捉え方については、今どのように考えていらっしゃいますか?

杉原 今、社会はどちらかというと境界線をなくそう、シームレスにしていこうという方向に進んでいると思いますが、そうすると逆に、自分の無意識下にある排他的な意識や差別感情みたいなものに気付かされることがあり、“境界線”というテーマが個人的にもアクチュアリティを持ってしまうところがあって。なので、今「勧進帳」に取り組むことは、僕にとってはある意味自然な感覚というか。

木ノ下 2016年の時点では“分断”という言葉はまだ目新しい言葉というか、気が付いていなかっただけで分断って確かに世界のそこかしこにあるよね、と認識を新たにされていくような時期だったように思うんです。今や分断はあることが当然、という意識に変わってきました。また邦生さんがおっしゃったように、境界線をなくしていこうという動きがある一方で、境界線をある意味正当化していく動きもあると思うんですね。「これは大事な境界線なので、あっていいんです」というような論調というか。

杉原 境界線をずらしているだけ、ということもあるよね。

木ノ下 そうですね。「これは分断ではなく区別です」という感じでさまざまな不安を煽りながら、ジェンダーや国と国の問題など、境界線を引くことをみんなに支持させるような動きもあると思うし、2016年よりだいぶそれが複雑化してきたと思います。その点で、2023年に「勧進帳」を上演するからには、ただ「分断がありますよ」と提示するだけではない描き方を、これからの稽古で考えていかなればいけないとは思います。

木ノ下裕一

木ノ下裕一

──2010年の舞台美術は1本道の真ん中にラインが引かれていましたが、2016年ではそのラインもなくなりシンプルな白い道になりました。2016年のインタビューで杉原さんは「目に見える境界線は具体的に踏んで越えれば良いけど、今の境界線はもっと目に見えないものだから、目に見える境界線はなくていいと思った」と話していましたが、今回はそういった視覚的な面での変化はありますか?

杉原 美術自体は変えませんが、明かり(照明)を変えます。今回はもっとソリッドにというか、説明過多にならない範囲で見せるべきものをわかりやすくくっきり見せる必要があるとは思っています。それはここ数年、大きな劇場で仕事してきた経験が影響しているかもしれませんが、観客の「わからない」という思いに対して、セリフで説明するとかではない方法で、作品をもっとクリアにできると思っています。そういう意味で、空間や視覚的なことをアップデートしたいなと。衣裳や音楽も、2016年から8年経っているので、今のお客さんがカッコいいと思うスタイルにしていきたい。振付も、今回(北尾)亘に入ってもらうので、詰め寄りのシーンをもう少しショーアップしたいなと思っています。

──杉原さんと木ノ下さんがクリエーションでご一緒されるのは久しぶりです。その間、木ノ下さんは糸井幸之介さんや岡田利規さんなどほかの演出家とも創作されていますが、久しぶりのタッグに杉原さんの変化を感じるところはありますか?

木ノ下 邦生さんの演出で、2020年に東京芸術劇場で「三人吉三」を上演予定でしたが中止になり、あのときはオンライン稽古だったので稽古場でもお会いしてないんです。という意味では本当に2018年の「勧進帳」フランス公演以来、5年ぶりくらいにご一緒するので楽しみですね。先ほど2010年から2016年の変化という話がありましたが、木ノ下歌舞伎のことで捉えると、2010年から2016年は上演している作品に変化が伴い始めた時期だと思います。それまではやんちゃな若いやつが歌舞伎を恐れ知らずにやっているみたいな……決してそんなつもりはありませんでしたが(笑)、認識のされ方としてはそうだったと思います。でも2010年から2016年の間に「義経千本桜」(2012年)や「東海道四谷怪談─通し上演─」(2013年)があったりして、「歌舞伎の芯を食っているんじゃないか」というような評価がつき始め、「歌舞伎座で観てよくわからなった部分が木ノ下歌舞伎を観て腑に落ちました」というようなお客さんが増えてきた時期でもありました。それはそれでねらっていたことの1つでありがたいのですが、責任のようなものが伴い始めた時期でもあり、2016年に歌舞伎の中でも代表的な演目である「勧進帳」をやるのは、2010年に比べて負荷が大きかったのは事実です。実際、2016年は歌舞伎俳優さんも観にきてくださいましたし(笑)。

杉原 「信州まつもと大歌舞伎2016」で中村屋の皆さんが同時期に松本に来ていたから、ずらっと観に来てくれたんですよね(笑)。

木ノ下 うれしかったですよね。その後、邦生さんとご一緒しなかった期間は、そういった負荷みたいなものとどう付き合っていくかを考えた期間で、邦生さんが商業演劇の場で仕事の幅や量、質が広がっていった傍で、木ノ下歌舞伎は公共ホールとご一緒することが増えていき、それぞれ今までのお客さんよりもう少し広く視野を持ち、確実にそのお客さんたちへ作品を届けないといけない、“伝わりにくいところへどう伝えていくか”みたいなことにそれぞれがんばった時期だと思います。その経験を経て、今回どんな化学変化が起きるのかは楽しみですね。

もう1つ今回力を入れているのは関連企画などお客さんとの向き合い方です。この5年、先ほどもお話しした通り、「木ノ下歌舞伎の作品は毎回発見をもたらしてくれる、勉強になる」という言われ方をすることが増え、うれしい反面、正解を求められているようで、そのことにしんどさを感じてもいました。関連企画やアフタートークがお客さんの答え合わせの場になっていたとしたら、それは想像力を奪っているということだから、申し訳ない。だから「桜姫東文章」では振り切って、関連企画やレクチャーなどを一切しないことにしたんですが、そうしてみたら今度は自身が全然満足しなくて(笑)。やっぱりある程度お客さんと作品についてコミュニケーションを取ったり、できた作品をもう1回一緒に眺めたりするような時間を持たないと、自分自身が楽しくないんだなってことがわかった。答え合わせの場にならないように、こちらがちゃんと企画の内容を考えたり、お客さんの感受性をもっと引き出していけるようなプレゼンテーションの方法を工夫したりは、きっとできるだろうから、「勧進帳」では逆に振り切って(笑)関連企画を盛り込みました。

杉原 チラシを折にしないといけないくらい、今回関連企画情報が多いもんね(笑)。

左から木ノ下裕一、杉原邦生。

左から木ノ下裕一、杉原邦生。

改めて聞く、「歌舞伎とは?」

──近年、杉原さんは歌舞伎公演での演出も手掛けられるようになりました。実際に歌舞伎俳優さんと歌舞伎演目に向き合い、そこへ現代的な演出でアプローチしていく中で、“歌舞伎の芯”と言いますか、「これぞ歌舞伎だ」「ここがブレなければ歌舞伎だ」と感じるポイントなどは見えているのでしょうか?

杉原 うーん……歌舞伎の現場にいて思うのは、まずは身体性だなと思います。僕が携わるものはスーパー歌舞伎など現代的な演目が多く、言葉も現代語の場合が多いけれど、「やっぱり歌舞伎だな」って思うのは身体。「バカヤロウ」とか「ウケるー」ってセリフを言っていたとしても、身体の使い方、運び方、決まり方、重心の置き方で歌舞伎になるんですよね(笑)。

木ノ下 これぞ歌舞伎、と感じるポイントは観る人や演目によっても違うでしょうね。例えば「摂州合邦辻」の場合は音楽性を抜いてしまうと「合邦」じゃなくなると思うけど、でも「合邦」じゃなくなることがイコール歌舞伎じゃなくなるということでもないかもしれない。僕にとっては例えば、「勧進帳」初演を観た江戸時代のお客さんが、どういう心の動き方をしたかを想像することがイコール歌舞伎である、ということにつながるんじゃないかと思っています。例えば「勧進帳」をすごく現代的な戦争の話に置き換えることは可能ですが、それはそもそも「勧進帳」にはなかった要素を付け加えることになるので、初演を観たお客さんと現代のお客さんでは感じることが変わってくる。そうではなくて、例えば「桜姫東文章」の桜姫を取り巻く陰湿な人間関係に感じる気持ち悪さはきっと初演を観た人も感じたはずで、その気持ち悪さを現代の観客がいかに擬似体験できるか、そこに潜り込んでいくことが歌舞伎なのではないかと思います。

杉原 僕の中でずっと共通しているのは、シェイクスピアをやるときも歌舞伎演目でも、舞台を1つの音楽として捉えていること。昔は今のように音楽を手軽に楽しむことはできなかったと思うから、舞台って聴く芸術だったんじゃないかと思うんです。だからこそセリフが韻を踏んでいたり、大きく抑揚がついていたり、(ロンドンの)グローブ座はスタンディングエリアがあったり、古代ギリシャ劇場はすり鉢状だったりと、聴くための作りになっていたんだと思います。なので僕も、作品全体の音の流れは常に意識して作っています。ただそれは歌舞伎演目に限ったことではないんですよね。またビジュアルの美しさも歌舞伎の重要な要素の1つだと思うけど、それも歌舞伎に限らず、どの作品でも考えていることです。と思うと、歌舞伎演目を演出するときに絶対的にこうしているということは特別なくて、逆に普段僕がやっていることが、歌舞伎らしさとして伝わるのかな……あ! でも、例えば邦楽や和楽器の演奏を聴いてある意味血が騒ぐ感じ、日本人だなって感じる瞬間がありますよね。僕たちが日本の古典に触れたときに感じる、血が沸く感じ。それをどう作るかは、木ノ下歌舞伎で演出するときにいつも考えているかもしれない。

杉原邦生

杉原邦生

木ノ下 ただフランスで上演したときにフランス人たちが「オオ、これぞ歌舞伎だ!」って喜んでいたのはどうしてなんでしょうね(笑)。

杉原 それはきっと歌舞伎っていうより、なんだか物珍しい、良いものを観たなってシンプルに思ってくれたんだよ!(笑)

現在の価値観とは異なる視座を与えてくれる、古典芸能の力

──初演以来、木ノ下歌舞伎の「勧進帳」は一貫して境界線をテーマに創作されてきた作品です。先程杉原さんは、富樫に対する思いをお話しくださいましたが、義経にしろ弁慶にしろ、四天王たちにしろ、それぞれ生まれ落ちた環境や場所からは逃れることができず、でもそのことを悲嘆するのではなく、自分の与えられた環境の中で、どれだけ自由に自分の世界を広げていけるかに奮闘していて、その姿に観客は胸打たれるのではないかと思います。と同時に「勧進帳」に限らず、杉原さんがこれまで手掛けてきた木ノ下歌舞伎作品の数々には、人間は複雑で曖昧で割り切れない存在であるということを肯定するような力強さを感じます。その目線は、もとの歌舞伎作品にあるものなのでしょうか、それとも杉原さんや木ノ下さんが作品の中で発見したものなのでしょうか。

杉原 個人的な問題意識も強いかなと思います。僕は小さい頃から性別や障害の有無も関係なく誰とでも遊ぶ子供で、“生”を肯定するという意識は常に自分の問題意識としてあった気がします。苦手な人、嫌だなと思う人もいないわけじゃないけど、だからと言ってその人の“生”を否定はできない、してはいけないなと思うんです。「勧進帳」では特にそういった僕個人の思いが強く出ているところがあると思いますね。多分、富樫がこのようなキャラクター造形になったのはそういう問題意識を持っていたからだし、でもまったく同じではないかもしれないけど木ノ下くんにもそういうところが共通認識としてあるから、ここまで一緒に作業が続けてこられたんじゃないかなと思います。

木ノ下 そうですね、そういう揺るがない共通意識があるから続いてきたわけで。じゃなかったらどう考えても共通点のほうが少ない2人なので(笑)。

杉原 あははは!

木ノ下 だから楽しい、刺激をいただきます! 人間の複雑さ、曖昧さという点については、古典がそもそもそういうものを内包しているというところもあるし、我々が好き好んでそういうところを切り出しているというところもあるし、時代ということもあると思います。「勧進帳」で言えば、もっと反体制のドラマにもできますし、「ホモソーシャル万歳!」みたいな感じにもできると思うんです。でもそうじゃなくしているのは、今の時代の感覚と邦生さんの問題意識によるところが大きい。またそもそも古典を観るという行為自体が、そういうことだとも思います。つまり、人間ってすごく矛盾を孕んでいるもので、自分たちが思っている“人間”“日本人”“常識”という概念はほんの150年下っただけで全然違うものなわけで、自分が把握している“人間”がいかに今の価値観に囚われたものであるかということを古典は教えてくれる。という意味で、人間が生まれてくることの残酷さと世知辛さ、それでも生きていく矛盾、尊さみたいなことを木ノ下歌舞伎の作品は全般的に謳っていると言えるし、僕自身が古典にそうやって救われてきた、ということも関係しているとは思います。

杉原 そもそも江戸時代の観客も、ハレの日として舞台を観に行き、舞台からエネルギーをもらって生きる活力にしていたわけですよね。芸術ってそういうものだと思うんです。もちろん当時だって作る側はヒットさせたいという興業的な狙いもあったとは思うけど、作品を観てもらうことでお客さんに前を向いてもらいたいとか、生活の活力にしてほしいという、アーティストが持っている芸術に対する精神は、当時も絶対にあったと思います。その思いは、僕たちも同じです。

左から杉原邦生、木ノ下裕一。

左から杉原邦生、木ノ下裕一。

プロフィール

木ノ下裕一(キノシタユウイチ)

1985年、和歌山県和歌山市生まれ。2006年に古典演目上演の補綴・監修を自らが行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。代表作に「黒塚」「東海道四谷怪談—通し上演—」「三人吉三」「糸井版 摂州合邦辻」「義経千本桜—渡海屋・大物浦—」など。また渋谷・コクーン歌舞伎「切られの与三」の補綴を務めたほか古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動を展開している。「三人吉三」再演にて読売演劇大賞2015年上半期作品賞にノミネート、2016年上演の「勧進帳」にて平成28年度文化庁芸術祭新人賞を受賞。2024年にはまつもと市民芸術館の芸術監督団団長への就任が決定している。

杉原邦生(スギハラクニオ)

1982年東京生まれ、神奈川県茅ヶ崎市育ち。演出家、舞台美術家。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)映像・舞台芸術学科 同大学院 芸術研究科 修士課程修了。学科在籍中の2004年にプロデュース公演カンパニー・KUNIOを立ち上げ。これまでに「エンジェルス・イン・アメリカ」「ハムレット」、太田省吾「更地」などを上演。木ノ下歌舞伎には2006年から2017年まで参加し、「黒塚」「東海道四谷怪談―通し上演―」「三人吉三」などを演出した。近年の主な作品にシアターコクーン ライブ配信「プレイタイム」(梅田哲也との共同演出)、PARCO劇場オープニング・シリーズ「藪原検校」、さいたまゴールド・シアター最終公演「水の駅」、COCOON PRODUCTION 2022 / NINAGAWA MEMORIAL「パンドラの鐘」、ホリプロ「血の婚礼」、「シブヤデマタアイマショウ」(コーナー演出)、歌舞伎座「新・水滸伝」などがある。2018年度第36回京都府文化賞奨励賞受賞。