木ノ下歌舞伎「勧進帳」木ノ下裕一と杉原邦生が思う、複雑で曖昧で矛盾した人間の“生”の尊さ

歌舞伎演目を、歴史的文脈を踏まえつつも、鋭い考察に基づく現代的な演出で色鮮やかに立ち上げている、木ノ下裕一率いる木ノ下歌舞伎。中でも杉原邦生が演出する「勧進帳」は、木ノ下歌舞伎の代名詞的作品としてたびたび上演されてきた。

鎌倉幕府将軍である兄・源頼朝に謀反の疑いをかけられ奥州を目指す源義経一行と、彼らを待ち受ける関守の富樫左衛門の攻防を描く、歌舞伎演目の中でも特に人気の高い本作。木ノ下歌舞伎は2010年の初演以来、“境界線”というテーマを掲げて「勧進帳」にアプローチしてきた。世界の分断が進む2023年秋、木ノ下と杉原はどんな思いで再び本作に臨むのか。これまでの「勧進帳」の軌跡を振り返りながら、2人に話を聞いた。なお本公演は「東京芸術祭2023 芸劇オータムセレクション」のプログラム演目として、東京公演を皮切りに全国ツアーが行われる。

取材・文 / 熊井玲撮影 / おにまるさきほ

大きな転換点となった「勧進帳」リクリエーション版

──木ノ下歌舞伎「勧進帳」は2010年に初演され、2016年にリクリエーションされました。初演時から一貫して“境界線”というテーマを掲げていますが、リクリエーションにより大きく作品が変化しました。当時のインタビューを読むと、2016年の上演ではお二人ともかなり手応えを感じていたと思いますが、初演から再演で大胆なリクリエーションに至ったのはなぜだったのでしょうか?

木ノ下裕一 あれは、邦生さんの推進力が大きかったと思いますね。そもそも2010年初演時も“打って出よう”という思いが強かった公演で、“京都×横浜プロジェクト”(編集注:京都を活動拠点とする木ノ下歌舞伎が関東進出を目指し、滞在制作を行うなど、2009年から3カ年計画で行ったプロジェクト)の一発目だったし、完コピ稽古(編集注:木ノ下歌舞伎では恒例の、歌舞伎の映像を観ながら歌舞伎俳優のセリフや動きをすべてコピーする稽古)を初めてやったのも2010年の「勧進帳」でした。その後2016年に再演することになり、邦生さんが初演の映像を見直して確か、「2010年版を演出した過去の自分を連れてきて説教したくなった」みたいなことを言っていたような……。

杉原邦生 言ってた!(笑)

左から杉原邦生、木ノ下裕一。

左から杉原邦生、木ノ下裕一。

木ノ下 「そうですか? 初演も面白かった印象があったけど……」と思って映像を見直してみたら、確かに邦生さんが言ってることはわかるなと(笑)。私も邦生さんもまだ二十代でしたから、2010年版は思い切りの良さや勢いがあって、それはそれで面白い。けれど、三十代にさしかかり“境界線”とか、古典と現代の問題とか、それぞれのテーマをもっと深めて提示する必要があるんじゃないかなと思って2016年版ではセリフをほぼすべて現代語訳することにしたんです。それも木ノ下歌舞伎にとって初めてのことでした。しかも邦生訳。「今まで見たことがない木ノ下歌舞伎の作品を作ろう」と邦生さんが自分に自分で負荷をかけて、2016年版は出来上がりました。

杉原 当時はまだ木ノ下歌舞伎のメンバーだったし(編集注:杉原は2017年まで木ノ下歌舞伎のメンバーだった)、当時の木ノ下歌舞伎の活動という面でも、演出家としての自分なりのスタイルという意味でも、定まった形みたいなものが見えてきたところではあって、そこに対して自己破壊というか、変化を起こしたいという気持ちがあったんだと思います。今だったら、例えばこれまでにやったことのないタイプの作品、経験したことのない規模のお仕事をいただくことで変化することはあるけれど、当時は自分で変化を起こすしかなかった。普段から僕は、アーティストは自己批評して自分を変え続けていかないといけないと思っているので、2016年の時点では自分でそうするしかなかった、というところもあったと思います。

木ノ下 あと2016年は木ノ下歌舞伎10周年に向けた「木ノ下“大”歌舞伎」をやっていて(編集注:2016年春から2年間にわたり、全国各地でさまざまな演目を上演したプロジェクト)、邦生さんはそこに対する意識も強かった。参加する演出家の中で唯一木ノ下歌舞伎の“メンバー演出家”だから「つまらないものは作れない」って言ってましたよね? 「自分が作るものが木ノ下歌舞伎の最新形じゃないと意味がない、木ノ下歌舞伎の新しい側面が見えてくるものでなければ」と……本当にありがたいメンバーです(笑)。

杉原 あははは! 当時のこと、思い出してきました。

木ノ下歌舞伎「勧進帳」(2016年)より。(撮影:井上嘉和、提供:KYOTO EXPERIMENT事務局)

木ノ下歌舞伎「勧進帳」(2016年)より。(撮影:井上嘉和、提供:KYOTO EXPERIMENT事務局)

富樫を“発見”したときに作品の輪郭が見えた

──その後2018年にはフランスのポンピドゥ・センターでも上演されるなど、「勧進帳」は木ノ下歌舞伎を代表する作品になりました。稽古の段階から良い作品になるという確信はありましたか?

杉原 最初に僕が書いたのは全然違う台本で、もう少しオモシロに寄っていたというか……義経が超気弱な人物で関所を前に気絶するっていうシーンがあったりもしたんだけど(笑)、稽古を重ねるうちにだんだんと台本が固まってきて、その頃から僕は手応えがあったかな。

木ノ下 そうですね。

杉原 で、最終的には義経一行が関所を通ることを許した後、富樫が両手にコンビニ袋を提げて帰ってくる、というシーンを思いついたとき、これはいけるかなって思った。富樫の人物像が自分の中でクッキリしたんですよね。つまり弁慶一行の団結力と、自分のチームにはない信頼関係に心打たれてしまって、それを素直には出せないんだけど、思いを分かち合いたいと思って、戻ってくる。そこに希望というか、願いがあるんじゃないかと。

杉原邦生

杉原邦生

木ノ下 そうですね、原作の中に、孤独な富樫像を発見したときに手応えを感じていたと思います。まあ弁慶じゃなくて富樫に注目するところが邦生さんらしいですが(笑)。2016年のときに邦生さんがボソッと「自分の作品はどれも好きで楽しく観ているけれど、一番気持ちを持っていかれるのは『勧進帳』なんだよね」と言っていたのが印象的で。コミュニティの中での富樫の佇まいとか、ボーダーを越えるために一歩踏み出すという感じが、邦生さんの琴線に触れたんだと思いますが、「勧進帳」に自己投影する演出家は珍しいなと思いました。

杉原 あははは!

木ノ下 また演出的な発見は、関所を通ろうとする義経を富樫が呼び止めるシーン。あれを3回繰り返すというアイデアを思いついたとき、演出的なギアがガッと入った感じがしましたね。

杉原 あそこは稽古場でもけっこう試した感じがありますね。

──2010年から2016年の間には、何度も上演され国外ツアーも行われた、もう1つの木ノ下歌舞伎の代表作「黒塚」も上演されました。コンパクトな空間で色数も限られた演出、登場人物たちそれぞれのドラマが細やかに描かれるなど、「勧進帳」リクリエーションに影響を与えたのではないかと感じるのですが、その点はいかがでしょう?

杉原 主役以外の登場人物も横並びで描きたいという思いは、木ノ下歌舞伎で最初に上演した「yotsuya-kaidan」(2006年)から、現在、ギリシャ悲劇でコロスを描くときなどにも続いているのでその視点は以前からあったものだけれど、「黒塚」でよく覚えているのは、稽古帰りに「(自分たちの活動の)現状にフラストレーションを感じていて、それを打破できるようなものを作らないとダメだと思う!」と先生(木ノ下)に横浜駅のベンチで話したこと(笑)。

木ノ下 「自分の想像を超えるような、もっとグロテスクだったり爆発力があったり、自分でもびっくりするようなものが作りたい。『黒塚』をそういう作品にしたいんだけど、登場人物は5人しか出てこないし、劇場も小さいからどんな爆発が起こせるだろう」って話をしてましたね。

木ノ下裕一

木ノ下裕一

杉原 「黒塚」は、老婆が抱えている絶対に見られたくないものを周りが見たがるっていう、人間誰しもの中にもある汚い部分が描かれているから、その人間の姿を起爆剤として物語と空間をガッと動かすことができるんじゃないかと思ったんですよね。スペクタクルを小さな劇場でも起こせるんじゃないかなと。物理的に大道具がバッと変化するとかじゃなくて、内面から起きる大きな変化によってスペクタクルを作れる、劇場が小さくても宇宙にできるって思ったときに、演劇の強みみたいなものを再獲得していったような感覚があって。それ以降、作品1つひとつに対してもそうだし、自分の演出家としてのキャリアに対しても自分の想像の範囲を超えるようなことをし続けていきたいと、強く思うようになりました。

その点では、2016年のリクリエーションと2018年のフランスでの上演から5年経って、その間に僕も何本も作品を作っているし、社会も大きく変わったから、「勧進帳」という作品を自分もお客さんも、どう新しい刺激として捉えることができるのか、よく考えないといけないなと思っていて。アーティストの思いが前に進んでいかないと作品も演劇界自体も進んでいかないと思っているので、どうやったら2023年の上演をより前に進められるかを考えているところです。