2018年9月に、「ダークマスター」と「地獄谷温泉 無明ノ宿」の2作品をフランス国立演劇センター ジュヌビリエ劇場にて連続上演した、タニノクロウ率いる庭劇団ペニノ。海外ツアーの多いペニノだが、2作品連続上演は初めての挑戦となる。その手応えについて、タニノに話を聞いた。
2作品連続上演は光栄なこと
今回、「ダークマスター」と「地獄谷温泉 無明ノ宿」の2作品を上演することになったのは、フェスティバル・ドートンヌ・パリの芸術監督、マリー・コランさんとジュヌビリエ劇場 芸術監督、ダニエル・ジャヌトーさんの提案です。フェスティバル・ドートンヌでは2016年にも「地獄谷温泉 無明ノ宿」を上演していて関係性があったのですが、コランさんがこまばアゴラ劇場で上演された「ダークマスター」を観に来てくれて、そのときに2作品をやろうと言ってくれて。
そんな光栄なことはないなって思いましたね。というのも、本番になると意外と演出家ってやることがなくて暇なので(笑)、「こっちのホールでは仕込みをやって、あっちのホールでは本番をやって」というように、会場を行ったり来たりする体験なんてなかなかできないし、単純にカッコいいなって(笑)。また「ダークマスター」のメンバーは海外が初めてという人がほとんどだったのに対し、「地獄谷温泉 無明ノ宿」のメンバーはツアーが多くて海外慣れしている人が多かった。その違いも面白いと思いました。
現地での反応は、正直なところよくわからないところもありますが、おおむねよかったと思います。どちらの作品も、フェスティバル・ドートンヌ・パリが作成してくれたパンフレットが充実していたんです。作品に踏み込んだインタビューをしていただきましたし、お客さんに対して言葉の面でのサポートがすごくよくできていた。なので観客の理解は深かったと思います。
言葉の違いを超えて、身近に受け止められた「ダークマスター」
「ダークマスター」は、途中でマスターがイヤホンから流れてくる聴覚だけの存在になり、視覚と聴覚に訴えかける作品です。字幕をどうしようかと考えて、結局、日本で上演した通りにマスターの声はそのまま日本語で、字幕を使ってフォローすることにしました。観客には青年とマスターの対話を、字幕で内容を理解しつつ、目では青年を追い、耳では“聞き慣れない日本語の声”を聞く、という感じで体験してもらったんです。情報量が多くてお客さんにとってストレスにならないかと心配しましたが、作品構造が“命令する人と従う人”という形でわかりやすいからか、大丈夫だったようです。ただボケとツッコミの、テンポのいいやり取りで展開していく作品なので、ツッコんで笑わせることを字幕化する際の言葉の選び方が、とても難しかったですね。
「地獄谷温泉 無明ノ宿」は、舞台美術の老朽化により、18年を最後の上演の年、と決めていました。初演から約4年、紆余曲折がありながらも上演を重ねることによって得たものが多い作品だったので、無事に公演を終えられてよかったなと。僕も含め、関わった人たちがそれぞれ成長できたと思うので、そういう意味での感慨はあるのですが、込み上げるものは意外と少なかったですね(笑)。それよりは、先々の展開やスケジュールのほうが気にかかっていたというか。
2作品を比較すると、おそらく「ダークマスター」のほうがウケがよかったと思います。遠い国の知らない温泉宿を舞台にした「地獄谷温泉~」より、ふと入ったレストランで奇妙な出来事に巻き込まれる「ダークマスター」のほうが、世界観として身近に感じられるという声を聞きましたし、実際そうじゃないかと思います。個人的には、今回2作品を同時に上演できたことは非常にいい経験になりました。とにかくジュヌビリエ劇場が素晴らしい。芸術監督もそうですがスタッフの質も高くて、僕たちのクリエーションに興味を持って接してくれる。いい関係性が築けていると思います。
いつかジュヌビリエ版「ダークマスター」を
今後の僕の大きな希望としては、「ダークマスター」を同時多発的に、いろんなところでやれたら面白いなって思ってるんですよね。劇場とか、レストランでもいいんですけど、世界中でわーっと同時に、っていうのが面白いなって(笑)。また「ダークマスター」は時代の変わり目、古いものが新しいものに取って代わられるようなときに似合う作品だと思うんです。ジュヌビリエは今、飽和状態になったパリを逃れて家を構えようとする人たちが集まってきていて、街がどんどん再開発されています。新しいマンションの建設ラッシュで、きっとこの2、3年ですごく変わる街だと思う。そういう意味でも「ダークマスター」が似合うんじゃないかなって、フランス滞在中にいろいろなレストランに入りながら思っていました。今ちょうど、富山版「ダークマスター」を制作中ですが、いつかジュヌビリエ版ができたらいいですね。
2019年2月27日更新