「それ無茶だろっていうギリギリの線を突きたい」倉持裕が自身の演出で挑む2021年版「イロアセル」

倉持裕が、新国立劇場のフルオーディション企画に登場。自身が2011年に新国立劇場に書き下ろし、鵜山仁が演出した「イロアセル」を、今回は自身の演出で立ち上げる。言葉の匿名性に着目しつつ、笑いとファンタジーを交えて描いた本作について、「10年前にも起きていたことが今、さらにエスカレートしているのでは」と話す倉持。その視線の先にあるものとは? さらに特集の後半では、本作を倉持と共に立ち上げるスタッフ陣が、それぞれの目線から「イロアセル」の作品世界を語る。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 川野結李歌

迷いに苦しんだオーディション

──「イロアセル」のオーディションは、1カ月かけて行われました。始まる前に倉持さんは、ご自身の中で何か方針を決めて臨まれたのでしょうか?

始まる前に持っていたものと、やりながら決まっていった部分と両方ありましたね。

──「この役はこういう人」というようなイメージを持って臨んだというより、実際に候補者と会う中で「この人が合うな」と思う人が出てきたのでしょうか?

自分の書いた本ですし、全部の役に最初はイメージを持っていたはずなんです。でもそれが明確にあると思いきや、たくさんの役者に会ったらだんだんと選択肢が増えていっちゃった感じです。あと、自分があらかじめ頭の中で考えた理想の人をただ選ぶっていうことがつまらないというか、もったいなくも感じられて。だからオーディションの中で役のイメージが何度も何度も更新されていった感じがします。また最終オーディションに近付くにつれ、キャストの組み合わせが2通りに決まってきて、つまり囚人役をどの路線でいくか、囚人役と看守役の組み合わせをどうするかが、1つの基準というか指針になっていったんです。Aグループ、Bグループ、どちらの組み合わせを選ぶかで、作品の色合いも随分変わるだろうなと思って非常に悩みました。

──実際に何人くらいの候補者に会ったのですか?

300人くらいですかね。「イロアセル」の台本を使って、一次審査はモノローグ、二次審査はダイアローグをやってもらいました。会った人数は一次のほうが多かったけど、圧倒的にしんどかったのは二次審査です。本当に、迷いの苦しみでした(笑)。

倉持裕

倉持裕

見ていたのは、演技より演劇に対する姿勢

──最終的に、囚人役は箱田暁史さんに決まりました。そこからほかの役も連鎖的に決まっていったのでしょうか。

そうですね。囚人役が決まると早かったかな。ただ、アズルとライに関しては、囚人役との関係性というより、2人がどういう組み合わせに見えるかでまた悩みました。すごく魅力的な子たちが残ったんだけど、舞台経験がある子を取るのか、あまりない子を取るのかでも悩みましたし……。アズル役に決まった永田凜さんも、ライ役の福原稚菜さんも舞台経験の少なさを補ってあまりある魅力があったので。

──今回のオーディションで、倉持さんが特に意識して見ていたのはどんなところですか?

演劇に対する姿勢みたいなところですかね。どういうふうに演劇を捉えているのか、何を面白がっているのか。特にそういう質問をして回答を得たわけじゃないんですけど、こちらの演出に対する反応とかセリフの言い方でだいたいそういうことってわかるので。そこをまず大事に考えました。

──これまでも一部キャストのオーディションという形ではご経験があると思います。フルキャストと一部キャストでは、違うものなのでしょうか?

相当違いますね。一部キャストのオーディションは、主軸になる俳優はだいたい決まっていて、その人が作品の基準になるから、その人に合わせてほかを考えればいいのでそんなに迷わないです。でもフルキャストの場合は、判断基準から考えることになるから、非常に悩みました。

──作家によっては、キャスト先行で物語が浮かぶという方もいらっしゃいますし、キャストに関係なく、テーマ先行で執筆される方もいらっしゃいます。倉持さんは普段、執筆時にキャストについてどのように考えていらっしゃいますか?

圧倒的に当て書きが多くなってきて、当て書きに慣れてしまったからそちらのほうが書きやすいというだけで、もともとはそうではなかったかもしれないですね。役者が決まっていなければ勝手にキャラクターを決めて書くこともできるし、どちらかというとそちらのほうが良いと思っているかな。ただコメディを書く場合は、キャストが決まっていたほうが書きやすいということはあります。またキャストが決まっていたとしても、僕自身があまり知らない役者さんという場合もあって、だから執筆時にイメージしていたものと、実際に稽古が始まってみたらその人の芝居がちょっと違うなと感じることもあります。そういうときは、役を役者さんに寄せていくように演出で変えていくこともありますね。

──「イロアセル」の稽古が始まって数日経ちますが、普段の稽古と今回の稽古で、違いを感じるところはありますか?

二次審査、三次審査でちょっとした稽古を一緒にやったような感じだから、それを踏まえて本当の稽古初日を迎えたような感覚がありますね。だから妙な探り合いとか緊張みたいなものがなくスタートできました。また今回は役者それぞれの得手不得手みたいなことも飲み込んで選んでいるので、ある芝居をちょっと苦手そうにやっている人がいてもそれは承知の上っていうか。こちらの受け止め方もだいぶ違うと思います。

──逆に考えると、普段のクリエーションでまったく“はじめまして”の相手と、たった1カ月間で濃密な作品世界を立ち上げるって、すごいことですね。

本当にすごいことですよね。現場によっては、稽古の前半でお互いの信頼関係をどう固めていくかに注力することもあるんですが、フルキャストオーディションではそれがないのが良いなと思います。

匿名の言葉の力は、10年前より激化している

──「イロアセル」は2011年に倉持さんが新国立劇場に書き下ろした作品で、演出を鵜山仁さんが手がけました。今回、フルオーディション企画でこの作品を、という提案は芸術監督の小川絵梨子さんからあったそうですが、初演時はどのようなことを意識して書かれた作品だったのでしょうか?

初演は東日本大震災の直後だったんですけど、震災以降、Twitterの中で語られることがガラッと変わった感じがしたんですね。ユーザーも一気に増えたし、そこで繰り広げられる会話も、友達同士の他愛ないやり取りから社会性を帯びた政治的な発言にどんどん変わっていき、みんなが少し、争い出したと感じたときでした。自分が生活するうえで直接関係ないことに対して、右と左で分かれるような意見がSNS上で語られるようになり、それがどんどん顕著になってきて、ちょっと危機感を感じていたんです。まさに芝居の中で書いていることですが、顔が見えない人たち、匿名の言葉がなんでこんなに影響を持っているんだろう、怖いなと。また、メディアも匿名の言葉を取り上げるようになってきたし、名前と顔を晒して意見している人たちの言葉より匿名の言葉のほうが強いという逆転現象も起き始めているなと感じていました。

倉持裕

倉持裕

──今回改めて台本を読んで、現在を予見しているようなセリフがあるなと感じました。

予見しているとは思わないけど(笑)、10年前にも起きていたことがさらにエスカレートしているのが現状ですよね。「イロアセル」で言えば、自分の発言に色がついて発言者が明確になる島の人たちが、色がない、匿名性のある言葉を持って発言する力を手に入れるくだり、あそこは面白いなと思いましたが、匿名性を持った“あと”の世界は、もう現実と一緒ですね。

──言葉に色がつく、というアイデアは何かイメージソースがあったんですか?

執筆時のことはほとんど覚えてないんですが、何かメモに書いていたと思います。1人ひとり固有の色があって、それが上空に浮かんでいるというようなイメージ。舞台上でそういう光景が浮かんでいる芝居はどうかなって。そもそもは、鵜山さんから「最近新聞やテレビのようなマスコミが勢いをなくして、インターネットの匿名の言葉の勢いに押されているから、それについて書いてみませんか」と言われたことが発端で、そこから“匿名=無色、無色の対義語としての有色”という感じにつながっていったのだと思います。

──演出については、当時鵜山さんと何かお話しされましたか?

あまりしてないと思いますね。僕自身、人に託す台本のときは、自分ではどうやるか想像がつかないようなものを書いたほうが良いんじゃないかと思っていて。自分が演出するときは、やり方がだいたいわかっているものを書くんですけど、それだとつまらないなって。だから「イロアセル」のときも自分ではどうやるかわからないものを書いたんですけど、鵜山さんは特に台本について質問してくることもなくて、立派だなと思いました(笑)。

──今回の演出については、倉持さんの中でもう決まってきていますか?

はい、だいぶできあがっていますね。もちろんやってみないとわからないところもあるから、劇場に入るまでに試行錯誤しているところです。