ドラゴッシュ・ブハジャールが語る「守銭奴」 / 山本卓卓×北尾亘×矢内原充志が解体・再構築する「となり街の知らない踊り子」 (2/2)

解体・再構築によって立ち上げられる2022年版「となり街の知らない踊り子」
山本卓卓×北尾亘×矢内原充志 座談会

範宙遊泳の山本卓卓とBaobabの北尾亘が2015年に生み出した「となり街の知らない踊り子」は、北尾が老若男女に電車、犬など25役をも演じ分けながら、大量のセリフと動きを放出するエネルギッシュかつアグレッシブな作品だ。これまでにTPAM2016、フェスティバル / トーキョー16をはじめシドニーやニューヨークでも上演されてきた同作が、日本で久しぶりに上演される。初演から7年、今や次代を牽引する作り手となった彼らが、矢内原充志ら新たなクリエイティブスタッフを迎えて臨む今回の上演について、山本、北尾、矢内原の3人にクリエーションに対する思いを聞いた。

最初のアイデアは、“北尾亘1人の身体で群像劇を”

──山本さんと北尾さんは大学からの関係性だそうですね。この作品の初演は2015年ですが、いつかがっぷり四つで作品を作ろう、と思われていたのですか?

山本卓卓 大学時代、学内でやっていた範宙遊泳に亘くんが客演してくれたり、有志で立ち上げたユニットに僕が誘ったりという感じで、それまでは基本的に僕から亘くんに声をかけることが多かったんです。「となり街の知らない踊り子」に関しては、まずSTスポットと範宙遊泳で「何か一緒にやりましょう」と計画していく中で、劇団ではなく僕のソロとして取り組もうと考え、参加者13人くらいの生い立ちからこれまでの人生の歩みのようなものを聞くワークショップをやったんです。で、それを1本の群像劇にしようと思ったのですが、一方でダンスと演劇をミックスにしたようなものをやりたいという漠然とした思いもあり、そこで北尾亘がパッと思い浮かんで(笑)。彼はもともと子役をやっていたから演技もできるし、ダンスもできる。それで彼1人にフォーカスを当てて、彼で群像劇を作るというアイデアが浮かびました。

山本卓卓

山本卓卓

北尾亘 範宙遊泳に携わらせていただいた時期から数年は、ただ友人としての時間があって。でも2014年くらいに卓卓くんがふとBaobabの公演を観に来てくれたときに「ちょっと一緒にやりたいことがあるかも」と声をかけてくれたんです。「Baobabの主宰として、振付や演出をし、出演もする亘くん以外の側面をあぶり出してみたい」と言ってもらったような記憶がありますね。

──2014年や2015年というと範宙遊泳もBaobabも作品数が多く、カンパニーとしての活動が盛んで、観客の注目が高まり始めていた時期だったと思います。その時期にソロでの創作をやろうと思ったのはなぜだったのでしょう?

北尾 僕としてはそれまで一緒に範宙遊泳で物作りをしてきた感じと、この時は全然違うスタンスでクリエーションが始まったので、「これはどこに行くんだろうな」と思いながらぼんやりと身を委ね、身を捧げた感覚でしたね。なので、カンパニーの活動とは切り分けてクリエーションに臨んでいました。

山本 僕は今もその傾向が強いんですけど、劇団でできることと別の欲望みたいなものが常にあって。だから劇団でやりたいことからはみ出してしまう欲望みたいなものが、例えばこの間KAATでやった「オブジェクト・ストーリー」のような形で出てくるんですけど、劇団で活発にやればやるほど「自分がやりたいことはまだある」と気付くんです。「となり街の知らない踊り子」もそういった思いから生まれた作品の1つです。

左から矢内原充志、山本卓卓、北尾亘。

左から矢内原充志、山本卓卓、北尾亘。

初演から7年、作品を俯瞰できるようになってきた

──初演から7年。その間上演を重ねているものの、初演時と現在では作り方も考え方も変化しているのではないでしょうか?

北尾 そうですね。僕は「となり街の知らない踊り子」という作品に覚醒させてもらった感覚がありました。初演時は、戯曲や演出を通して僕個人の中に怒りという感情が存在していることを教えてもらったような気がしていたんですけど、上演のたびにだんだんと整理がついてきた感じですね。最近では2020年にニューヨークでやらせてもらいましたが、その時はもう少し感情を“手懐けられるようになってきた”というか。30歳を超えたこともあるかもしれませんが、距離が生まれた感じがあり、今回このタイミングで久々に日本で上演できることになって、また新しく再検証する時間を過ごせているのが心地よいです。

「となり街の知らない踊り子」過去公演より。(撮影:鈴木竜一朗)

「となり街の知らない踊り子」過去公演より。(撮影:鈴木竜一朗)

山本 初演時を振り返ると、特に僕の場合は、世の中に対しても僕自身に対してもめちゃくちゃ怒っていて、とにかく怒りが満ちていたような感じがします。チラシにも書いていますが、この作品は2015年にシリアで起きた日本人記者人質殺害事件を意識しながら作られました。当時その事件を巡っては、みんなネットで自己責任論だとか、饒舌に自分の意見を言う状況が繰り広げられていました。何が正しいのかわからない中で、ただはっきりしているのは、今1人の命が失われゆくということなのに、その命を見つめるというより、みんな人の命を経由しながら自分のポジションを獲得するために正義を貫こうとしているのがとても許せなくて、そういう世の中に起きている無関心さがいやだと思っていたんです。先日も、真昼間の駅のホームでくの字になって倒れているサラリーマンがいて、僕はすごく衝撃を受けて「大丈夫ですか」って声をかけたんですけど、ほかの人はむしろ邪魔だと言わんばかりにすれ違っていったんですね。僕はそのことにけっこう傷ついて。結局そのサラリーマンは酔っ払いだったんだけど、でも人が倒れていたら介抱してあげなきゃって思うんじゃないかなって。僕は人間1人ひとりに接する分には敵と思わないし好きなんですけど、人間という相対概念、大きな枠組みになると、人間社会の冷たさ、集団の冷たさみたいなものに嫌悪感が湧くんです。この作品はまさにそういった思いが書かれたもので、初演から7年越しに見直してみると、今はそこからもうちょっと距離ができてきてはいると思うんですよね。ただそれは「昔の自分は若かった」みたいなことではなく、単純に自分がちょっと怒りに対して俯瞰して見られるようになってきたということで、だから今回の上演は、これまでより大人びた感じがすると思います。作品自体は、若々しく荒々しく怒りたっぷりのエネルギッシュなものだけど、それに対して演出の幅ができた気がします。

ライフタイムを共に過ごしてみたいと思った

──初演からスタッフもだいぶ顔ぶれが変わりました。矢内原さんも今回が初参加となります。

矢内原充志 一緒にクリエーションをするのは初めてですが、僕は“家族の事情で”(笑)二十代前半から舞台業界に関わらせていただいていましたし、北尾さんのことも山本さんのこともお名前は知っていました。「となり街の知らない踊り子」については、これまで上演を重ねていることは知っていて、過去の映像も観たのですが、今はそれを意識しないようにし、取り組んでいます。

──現在はアートディレクターとしてのお仕事がメインの矢内原さんですが、衣裳担当としてのオファーにはどう思われましたか?

矢内原 舞台業界にはお世話になってきましたし、これまでも作家としてではなく裏方でもお手伝いしたいと思って横浜ダンスコレクションのPRを担当したり、TPAMの広報計画に携わったりはしてきました。でも、いわゆる衣裳を作るという形で関わるのは1・2年に1回できるかどうかのチャンス。僕にとって舞台制作に関わるということは、参加する人たちとライフタイムをシェアする行為だと思っているのですが、その感じはすごく好きなんです。家族でも親戚でもただの友達でもない、ちょっと特殊な関係が生まれますよね。そのうえで、今回、理由はわからないのですが、“存在は知っている”お二人とライフタイムをシェアしてみたいなと思った。僕にとってはそこだけです。

──これまでのディスカッションで、かなりお話が盛り上がったそうですね。矢内原さんのお話に刺激を受けたところはありますか?

山本 初っ端から面白かったですね、矢内原さんのお話は。「舞台における服とは何か」とか「服はこれが限界だと思うんだよね」という話をしてくれて、そんなことを服目線で考えているんだと面白かったし、この舞台を作るうえでの服とは何かを考えるようになったんです。それは、僕にとってはかなり大きな刺激でした。

北尾 この作品ではディスカッションの時間を最初から多く取っていて、僕らがこの作品を俯瞰する目線に充志さんが関わってくださったことで、あるシーンの衣裳をどうするかということよりももっと大きな目線でこの作品から何が立ち上がってくるのかということを話し合えているような感覚があります。それがすごく刺激的で面白いです。

矢内原 僕からすると、この話を面白いと感じてくれることがすごいなと思います(笑)。ただ、通し稽古を見たときに「もう作品ができているから、いわゆる“ザ・衣裳”みたいなものはいらないな」と思いました。衣裳でどう展開させようとか、こういうスタイルにしようという議論より、この作品が良い方向に進むことを考えて、例えば「服は死体にもなり得る」とか「なんでブランドというものがこの世に存在するのか」というような話をして、そのほうが演出にも振付にも何かの役に立つんじゃないかなと思いました。

矢内原充志

矢内原充志

──山本さんも北尾さんも、普段から着るものについてこだわりを感じますが、矢内原さんのお話はその視点とはまた別のものだったのでしょうか。

山本 服には3つ、機能があるんじゃないかと思っていて。それは服としての着心地の良さという意味での機能性、そしてその服を着ることで得られる精神性、あとはある服を着ることで成り立つ社会性。そういう視点で考えていくと、今回の舞台ではどういう位置付けで服を着ることになるか、ということを検証しています。

北尾 服に関してこだわりが強いほうだと思いますが、その3つで考えると僕は精神性に偏った着方をしているなと感じます。自信がないから武装するように服に頼っているというか。そうやって見直しながらクリエーションを行っています。

矢内原 ……というような会話には、普通なかなかなりませんから(笑)。やっぱりすごいなと思います。お二人は例えば動きやすいことに違和感を感じたり、自由に動けることが演技の質を変えているんじゃないかというようなことをディスカッションしているんですね。その解像度、すごいなって。僕も世界中いろいろなところで仕事をしてきましたが、このくらいの解像度で会話できている場面ってあまりないと思います。

──そもそも現実を捉える解像度が高い作品だと思いますが、それをさらに深化させているわけですね。

山本 はい。1個1個、解体して調べていきたいんですよね。何で音が鳴るのか、なんで止まらないといけないのかというように、舞台上で起こることの1つひとつをちゃんと解体して、検証して、答えは出ないかもしれないけど、1つひとつに理由が欲しいんですよね。

北尾 そうやって解体した結果、また同じ形に戻っても良いもんね?

山本 そうそう。

北尾 そういう過程を経たかどうかは作品の密度につながっていくし、僕も1人で舞台に立たないといけないので、作品を改めて検証できるのはありがたいです。

北尾亘

北尾亘

──そういった検証を経て、どんな衣裳になりそうでしょうか?

矢内原 なんてことはない格好になると思います。あと今改めて考えているのは、機能的な服は、もうこれ以上作らないということですね。先程のお話に続けると、スタイルがどうこうというより、なぜ着替えないといけないのかとか、なぜここに袖を通すことができないものが存在しているのかとか、そういうことを皆さんとのディスカッションの中で詰めていきたいなって。でもそうやって観る人にとって考えるレイヤーを増やす状況を作るのが僕の役割じゃないかなと思います。

──このような解体・再構築の作業が、衣裳だけでなく舞台美術や音響、映像などすべてのセクションで行われているわけですね?

山本 そうですね。でもこれは初演ではできなかったことで。一度出来上がって何回もやってきた作品だから構築し直すことができるわけです。それが再演する意味なのかなと思うし、よく「変わらない味が良い」って言われるけど、僕は生きていたら味覚は変わるものだから、変わっていくのは良いと思うんですよね。

自分の中に“積み重ねる”大切さ

──チラシのコメントで山本さんが使われていた「経年」という言葉が、本作ではポジティブに響くのではないかと思いました。例えば、作品に影響を与えた実際の人質事件が生々しさを失い普遍的に捉えられるようになったり、北尾さんの身体が二十代から三十代の身体になったり、矢内原さん含め新しいスタッフが参加して新しい目線が入ってきたりすることで、作品の可能性も広がったのではないかなと。そのように時間をかけて作品に臨むことについて、皆さんはどのように感じていますか。

北尾 僕はカンパニーでも最近、再演やリクリエーションに時間をかけようという思考になっています。というのも、あまりにもこの世の中の時間の運び方、情報の変化や状況・情勢の変化が目まぐるしくなっている一方で、舞台芸術は人と人が顔を突き合わせて時間を共有し、いろいろなことをシェアする喜びに満ちた、アナログな世界だと思うんですね。でもそのアナログさの大切な部分を、取りこぼしているんじゃないかなと思って。また、舞台芸術が消費摩耗されるものとしてあってはいけないと思いますし、一度生み出したものを温め直して調理し直したい、育み直すとか生み直すってことが今の時代において人を豊かにするんじゃないかと思っています。今回は充志さんとご一緒させていただくことで新たに考えることもありますし、そうやってかけた時間がこの作品にダイレクトに反映されるのではないかと思うので、そういう意味でも時間をかけてクリエーションできることはありがたいです。

山本 僕は、人は歳を取るだけ良くなると思っているんですね。考えれば考えるほど、時間をかければかけるほど、1つのものの厚みが増して大木のようになっていくのではないかと。そういう意味では作品も、時間をかければかけるほど良いはずなんです。ただ、人との関係性は必ずしもそうではないと思うので、その点はわかりませんが、1つの作品をずっと作り続ければ、作品はどんどん大きくなっていくと思います。また、例えば稽古を30回するとして、それを1カ月半に収めるのではなくできれば4カ月かけてゆとりを持って稽古したいと思っているんですね。その間に、例えば俳優たちが世の中のことを考えたり、身内に何かがあったり、野菜だけを食べる生活になったりして、思いが変化することもある。どんな生活をしているかは、作品に反映されると思うから、その点でも時間をかければかけるほど良いと思います。

矢内原 コレクションをやっていた二十代、三十代前半は、テーマから立ち上げて1ヵ月ぐらいで多い時は100、少ない時は50くらいの新しい型を引き、サンプルを作ってショーをして展示会をやってプロダクトアウトして受注を取って……というのを4・5ヵ月サイクルで回さないといけなかったんです。あの頃はまさに常に新しいものに追われている感覚でした。でもあるとき、「これは何かに騙されているな」と感じて(笑)、山本さんが言っていたように、木が育っていくためには何かを積んでいかないといけないのに、そういう感じがしなかったんです。その後、現在はアートディレクターという形で常に10本以上の仕事を抱えてはいますが、どんな仕事であっても、ちゃんと自分の真ん中で捌くということを大事にしています。僕はずっと合気道をやってきたので、身体の大きさや力の強さではなく、自分の中に芯があるかどうかだという、合気道精神に強く影響されています。よく、無理をしてたくさん仕事していた人がメンタルをやられてしまう話を聞きますが、そうならないように僕自身、自分の真ん中で捌き、自分の中に何かを積んでいく働き方をしたいと思います。あとね、僕は運が良いんです(笑)。山本さんも北尾さんもそれほどよく知っていたわけではないけど、いきなり仏教や服の可能性について話が通じてしまって、そんな人とはなかなか出会えないですよ(笑)。

左から北尾亘、山本卓卓、矢内原充志。

左から北尾亘、山本卓卓、矢内原充志。

言葉と身体、そしてその他の要素が作品の中でどう関係すべきか

──北尾さんは約25の登場人物を、舞台の中心からあまり動かない状態で多彩に演じ分けます。改めて台本を読むとかなりセリフ量も多いと感じますが、本作では、舞台にいる間の北尾さんは俳優とダンサー、どちらの感覚が強いですか?

北尾 難しいですね……一概には言えませんが、多分俳優の意識のほうが強いです。ただ上演のたびにそのバロメーターは変わっていると思いますし、動きの根源はすべて戯曲にあって、時間の流れ方にせよ演じ分けにせよ、役を演じ分ける中で生まれる感覚は演劇的な思考で立っているなという感じがします。またこれまでの上演では、セリフがなくなって身体だけで舞台上にいるシーンだとちょっとスイッチが変わって、「ここは主戦場だ」というような感覚になりそうになるのを自分の中で押さえつけるような葛藤があったんですが、今回はそれが軽減しているかもしれないです。“ただここに存在する”という感覚により近いかなと。ダンスと演劇という棲み分けをやめてみようという俯瞰的な意識が生まれたのかもしれないです。

──山本さんは「となり街の知らない踊り子」を演出する際、ほかの作品との意識の違いはあります?

山本 毎回自分が作るものの語り方は変えていて、だから「今回はこの作り方」という感じではあるのですが、一番の違いは稽古場で俳優に「踊ってください」と言って、北尾くんはすぐ踊ってくれることですね(笑)。先日も、亘くんがセリフを発している声を録音して、「セリフの声を音楽だと思って身体を動かしていてください」とお願いしたら、北尾くんはすぐにできる。なので僕が考えるのは振付ではなく振付の内側っていうか、なぜ踊るのか、なぜ立つのかみたいなところを考えていきたいですね。

──今年の東京芸術祭は、詩人の詩を身体で立ち上げる「夢と錯乱」や、ムーバーとスピーカーを切り分けた「嵐が丘」など、言葉と身体の関係性に注視した作品が並んでいると感じました。本作もまさにそこに着目した作品だと思いますが、言葉の力と身体の力はどのようなバランスが理想的だと思いますか?

山本 それはまさに僕が今興味を持っていることで、1時間でも話したい話題です(笑)。今たどり着いている答えの1つは、例えば動きながら言葉を発するときに、言葉と身体の情報が一緒だと面白くないということです。観客は目と耳を使って、座って舞台を観ていますが、身体と言葉が同じ条件で動かされていたり同じものを表出していると、どちらかを塞いでも良いという感覚になり、観客が食い入るように能動的に舞台を観ることを阻害してしまう。だから僕は極力、目で見る情報と言葉で聞く情報がズレているほうが良いと思いますし、身体と言葉の力が対等であるほうが良いと思う。それが今、僕が身体と言葉の関係で面白いと思える着地点で、そのことをまさに今回、やろうとしています。

北尾 今回の上演に結びつくかはさておき、自分の感覚としては言葉の力と言葉による影響力をすごく大事にしている振付家でありダンサーであるという自負があります。また卓くんはいつも言葉と身体の関係性について、僕にない発想を提案し持ち込んでくれるので、今回の上演はその最前線にあるものになると思いますし、僕はとにかくそれをやるだけ。観てくださった方の声を聴けるのが楽しみだし、そこから自分にとっての言葉や身体を考察し直していきたいと思います。

矢内原 僕、今のやり取りでわかってきました!

山本北尾 (笑)。

矢内原 言葉と身体で考えると、身体にビジュアルが含まれると考えるのが普通だと思いますが、「となり街の知らない踊り子」では、実は服なんか着ていなくても成立する、むしろ何も着てないほうが良い場面もけっこうあります。ですが、演出家から今、言葉と身体が同じ情報を表出しているのでは面白くないというお話があったので、衣裳などのビジュアルも、身体や言葉と対等な関係性になれるようにしたいなって。ということであれば、今向かっている方向性とズレていないとロジックとして確認できたので、この座談会に参加できて良かったです。

山本 まだこれから詰めていく部分もありますけど、ビジョンは共有していると実感しています。なのでまったく心配はないです!

左から北尾亘、山本卓卓、矢内原充志。

左から北尾亘、山本卓卓、矢内原充志。

プロフィール

山本卓卓(ヤマモトスグル)

1987年、山梨県生まれ。劇作家・演出家。範宙遊泳代表。2007年に範宙遊泳を旗揚げ。以降、国内外で作品を発表。劇団活動の傍らでソロプロジェクトも多数手掛けている。2019年から2020年にかけてACC2018グランティアーティストとして、アメリカ・ニューヨーク留学。「幼女X」でBangkok Theatre Festival 2014 最優秀脚本賞と最優秀作品賞を受賞。「バナナの花は食べられる」で第66回岸田國士戯曲賞を受賞。

北尾亘(キタオワタル)

1987年、兵庫県生まれ、神奈川県育ち。2009年にダンスカンパニー・Baobabを旗揚げし、全作品の振付・構成・演出を担当。ダンスアーティストへ向けたフェスティバル「DANCE×Scrum!!!」を主催し、自らディレクターを務める。俳優4人の演劇ユニット・さんぴんのメンバーとしても活動。「横浜ダンスコレクション2018」コンペティションIでベストダンサー賞を受賞。2020年に「となり街の知らない踊り子」にてベッシー賞(ニューヨーク・ダンス&パフォーマンス賞)OUTSTANDEING PERFORMANCE部門にノミネートされた。

矢内原充志(ヤナイハラミツシ)

1975年、愛媛県生まれ。桑沢デザイン研究所を卒業後、1997年よりNibrollのディレクター・衣裳担当として活動。2002年から2009年にNibroll about Street名義で東京コレクションを発表。2011年に企画・デザイン会社スタジオニブロールを始動。国内外のさまざまなプロジェクトを手がけている。