執筆と演出を引き剥がす
──澄井さんと羽鳥さんは、17年ほど前から交流があると伺いました。また、ダンス系のパフォーマンスフェスティバル「Whenever Wherever Festival 2011」にて、継続ワークショッププロジェクト「よく演出しあう」を共同で開催したご経験もあります。2人の演出家が手がける「とりで」が連続上演されること、かつ、お互いをよく知る澄井さん、羽鳥さんが同じ作品を演出することについて、澄井さんと羽鳥さんはどのように捉えていらっしゃいますか?
澄井 私は“わかりやすい”作品を作れないタイプの演出家なので、もう一方が物語をしっかりたどるタイプの演出家の方だと、私自身もバランスを取ろうとしただろうし、観客の方も作品のギャップで混乱してしまう可能性があったのではと思いました。ですが、今回は羽鳥さんがもう一方の演出をされるということで、思う存分、演出的なチャレンジができるのでとてもありがたいです。
羽鳥 「とりで」という戯曲は、村社さんが主宰するカンパニー・新聞家でも上演されているし、大阪の高槻で活動している、あした帰ったという市民劇団が稽古で用いているという話も聞きました。今回、もう1人の演出家が澄井さんであることは特に意識していないのですが、すでにいろいろな方が取り組んでいる戯曲なので、その中でもまた違ったバリエーションをお見せできる組み合わせだと思います。
仲村 羽鳥さんは関東、澄井さんは東海地方にお住まいということもあり、本公演のときはそれぞれ稽古期間が異なるのですが、可能であれば稽古や本番でお互いの作品を観合っていただき、それが良い刺激になればと考えています。
──村社さんは、ご自身の戯曲を演出したり、出演者と共同で作品を立ち上げたりすることが多いと思うのですが、今回はこれまでの創作と異なり、「とりで」のテキストを澄井さんと羽鳥さんのお二人に委ねます。
村社 自分の中ではどうしても執筆と演出が一緒くたになってしまっている部分がありますし、執筆と演出を引き剥がす機会はあまりないので、お二人の演出版を観られるというのは率直にすごく楽しみですね。
“戯曲”の捉え方は三者三様
──AAF戯曲賞には「戯曲とは何か?」というテーマが設定されています。短編から中編、長編まで、モノローグからダイアローグまで、さまざまな種類・形式の戯曲がありますが、クリエイターのお三方は、戯曲をどのようなものだと捉えていますか?
村社 “戯曲”という言葉の定義の話ではなく、戯曲が存在することで普段自分が救われていることの話になるんですけど、稽古場で戯曲を繰り返し読むうちに、自分の認識が裏切られることがあるんです。そういう機会をもらえるという意味で、戯曲というのは非常に興味深い素材だなと思いますね。
澄井 私はいつも、“台無しになる“ということを大事にしています。元々あるものに対して、何かを足したり、逆に足りないものにしたり、“台無しになる”ことで世界に疑いを持てるようになったら良いと思っています。また、それが演劇を上演する意味だとも感じていて。戯曲というのは、テキストをわざわざ人の前でしゃべることで、余分な力を世界にかけることができる装置だと認識しています。自分がテキストを書かないことも関係していると思うのですが、戯曲は「こういうふうに世界を壊していいよ」「このように、世界に何かを足したり消したりしていいよ」と背中を押してくれる存在と言えるかもしれません。
羽鳥 戯曲とは、戯曲が存在しなければ言わないだろうことを、言ったりやったりするためにあるものだと思います。自分が言いそうなことを言うためだったら、戯曲は存在しなくていいと思うので。
私が演出するチームの上演には、近年、劇団どくんごのテント芝居で全国ツアーをしていた石田みやさんが出演してくれます。どくんごの芝居は決まったテキストが先にあるものではなく、俳優それぞれが稽古の中でシーンを作り、それらを組み合わせて立ち上げていくものでした。戯曲なしに演劇を作る経験も豊富な、石田さんのような俳優とあえて戯曲を使ってクリエーションするのが今から楽しみです。
──12月に愛知県芸術劇場 小ホールで開催される本公演に先駆け、3月15日に愛知県芸術劇場 大リハーサル室でワークインプログレス試演会が行われます。試演会を観劇する方に向けてメッセージをいただけますか?
澄井 自分のカンパニーで作品を制作するときもそうなんですけど、この作品を観て良かったとか楽しかったとかじゃなくて、“みんなで一緒に困れたらいいな”と思っているんです。公演を観てから1週間後、2週間後ぐらいまで、困ってくれるといいなって。なので、試演会を観に来てくださる観客の方と「この作品をどうやって受け止めたらいいんだろう?」って一緒に考えられたらうれしいです。“壊す”とか“困る”とか、言葉選びが毎回不穏ですみません(笑)。
羽鳥 試演会の会場は、本公演を行う小ホールではなく、大リハーサル室ということで、無防備な、良く言えば親密な環境での上演になります。それは出演者にとって勇気のいることだし、作品と出会う方にとっても緊張感のある空間になると思うので、皆さんぜひとも、“励まし、励まされに”来ていただけたらありがたいです。
村社 先ほど仲村さんが、複数の演出家によって上演される作品を連続で観てもらいたいとおっしゃっていましたが、今回の「とりで」はまさに戯曲について考える良い機会になると思うので、作家としてもいち観客としてもすごく楽しみにしています。
プロフィール
村社祐太朗(ムラコソユウタロウ)
1991年、東京都生まれ。演劇作家。新聞家主宰。2020-2022年度にTHEATRE E9 KYOTOのアソシエイトアーティストとして作品を複数制作。2024年2月、京都芸術センターにて茶会の形式を借りた新作「生鶴」を発表した。
澄井葵(スミイアオイ)
岐阜県生まれ。演出家。自身のユニット・,5(てんご)を東京で旗揚げした。2011年に地元へ戻り、愛知県名古屋市を中心に活動している。近年の演出作に、,5(てんご)公演「黒門児童遊園」「ジとジ」などがある。
羽鳥嘉郎(ハトリヨシロウ)
1989年、ベルギー・ブリュッセル生まれ。演出家。けのび代表。サハのメンバー。ワークショップ「自治」シリーズや、石をおかずにご飯を食べる「おかず石」などを各地で展開している。編著に「集まると使える—80年代 運動の中の演劇と演劇の中の運動」(ころから、2018年)がある。女子美術大学非常勤講師、立教大学兼任講師、「東京芸術祭」ドラマトゥルク。
羽鳥嘉郎 Yoshiro Hatori (@hatoriyo) | X
仲村悠希(ナカムラユウキ)
愛知県出身。2008年から2024年までSPAC-静岡県舞台芸術センターに所属。企画制作、アウトリーチ事業チーフを務めるほか、舞台俳優として活動。2024年7月に愛知県芸術劇場プロデューサーに着任し、演劇事業を担当している。