「囚われた国家」| “エイリアンに支配されてから9年後”の物語が、現代社会に警鐘を鳴らす!瀬名秀明と樋口真嗣の証言で紐解くディストピアSFの問題作

コラム

SF映画の中に持ち込まれた、社会へのメッセージ

フリッツ・ラングの「メトロポリス」に始まり、「華氏451」「未来世紀ブラジル」など、近未来を舞台としたディストピアSF映画は数多く作られてきた。過去の名作がそうだったように、本作にもSFというジャンルを通した社会へのメッセージが込められている。

市民はエイリアン=統治者に埋め込まれたデータチップで監視され、違反行為をした者は地球外へ追放──。現実とかけ離れた設定に聞こえるが、監督のルパート・ワイアットは「現代の監視社会、国民の自由が制限されたり、セクシャルマイノリティや宗教的マイノリティが排除されたりする風潮に通じるものがあるのかもしれない」とコメント。また自身の住むアメリカ社会について「民主主義社会のはずなのに、市民の自由がどんどん奪われていっている」と厳しく言及している。

本作で描いたものは「民主主義と抑圧」だとまとめるワイアット。「必ずしもエンタテインメント向きではないテーマを、面白く描かれたSF映画の中にこっそりと持ち込みたいと思った」という彼の狙い通り、本作は観客に、現代社会について考えるきっかけを与えることだろう。

なお、エイリアンのビジュアルや、スタジアムが大混乱に陥るスペクタクル場面のほか、本作の見どころの1つには、緊張感たっぷりにつづられるテロ計画の描写がある。新聞広告、ラジオの選曲、伝書鳩などを駆使したアナログな情報伝達がテンポよく進められていくさまは、スパイ映画好きにもたまらない。

レジスタンス=自己犠牲によって社会を変えようとする人

今回ワイアットは、特に2本の映画から影響を受けたという。1つは、第2次世界大戦中レジスタンスの一員だったジャン=ピエール・メルヴィルが、ナチスの仏占領に対する戦いを描いた「影の軍隊」。複雑な物語を最小限の説明で見せていく「囚われた国家」の手法はメルヴィルに通ずる。また劇中でレジスタンスが検査をかいくぐる方法にも、「影の軍隊」のオマージュが隠れている。

そしてもう1本が、仏占領下のアルジェリアで戦った人々を映し出す、ジッロ・ポンテコルヴォの「アルジェの戦い」だ。同作から受けた印象を「レジスタンス運動に身を投じた人たちを英雄と捉えるのは当然のこと。でも反対の立場から見れば、彼らもまたテロリストなんだ。それは掘り下げる価値のあるグレーゾーンだと思う」と明かすワイアットは、戦いの代償をもリアルに描き出した。

“自己犠牲によって社会を変えようとしている人の思い”を伝えたかったというワイアット。「本当のリーダーシップとはそういう思いの強さのことだと、私は考えています。今のアメリカ社会で言うならば、どういう人がリーダーであるべきか?と投げかけたつもりです」とメッセージを送っている。

「囚われた国家」より、レジスタンスたち。