「東京芸術祭2018」近藤良平&矢崎広が観た「野外劇 三文オペラ」稽古場|こんな経験ができるなんて、役者としてうらやましい

ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ&宮城聰 コメント

「三文オペラ」が、私のところにやって来た
「野外劇 三文オペラ」演出 ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ

ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ

今回は私にとって、信じられないような“旅”となっています。私は日本語を話せませんので、言葉の細かいところまで立ち入ることはできませんが、言葉の意味や俳優の存在を感じ取ることはできますし、演劇は言語を超えたところで伝達できるということを実感しています。
今回のキャストは、オーディションで私が選びました。言葉もわからず、東京の演劇界についてもほとんど知らない状態で、250人から260人の方々の中から選出したんです。興味深かったのはこのオーディションがオープンだったこと。それは宮城さんが私に出した条件の1つでもありました。オーディションでは、開かれた柔軟な役者さんであるか、コミカルなものを持っているか、想像力があるか、歌唱力があるかなどを精査していき、最終的にこの顔合わせとなりました。
演目を「三文オペラ」にしたのは、「三文オペラ」が“私のところにやって来た”から。宮城さんに「東京芸術祭で仕事をしませんか」とメールをいただいて、そこにいくつかの条件と「三文オペラはどうですか」と書かれていました。それを読んで、「これは『ミッション:インポッシブル』だ!」と(笑)。今回の上演では、現代の東京を前提に作っています。翻訳の大岡(淳)さんは現代を生きる若者の若者言葉にインスピレーションを受けて翻訳を作ってくださいました。あとはラップを取り入れたり、「街からそのまま登場したんじゃないか」というようなものを使おうと思っていて、オープンカーや軽トラック、スクーター、ショベルカー、スクリーンが付いたビジョンカーなども使う予定です。 「三文オペラ」にいらっしゃる方たちには、舞台を観てぜひ大笑いしてもらいたいと思っています。ただそこで、何が自分たちを笑わせているのか、明確に意識してほしいとも思っています。つまり舞台と客席は鏡のような関係にあって、お客さんは自分が笑っている対象の中に自分自身を観ているのです。舞台の中に、私たちが囚われている社会のメカニズムを観てほしい。そう願っています。

コルセッティさんの舞台は活気と美を兼ね備えている
東京芸術祭総合ディレクター / 「野外劇 三文オペラ」総合ディレクター 宮城聰

宮城聰(撮影:新良太)

“池袋西口公園でのワンコインシアター”は、僕のディレクションによる東京芸術祭の目玉企画です。これはどうしても成功させたいと思いました。 しかし何しろ“公園をなんの囲いもなくそのまま舞台にして一流の芝居を上演する”というまったく初めての試みですから、初日までの過程でどんな障害が飛び出してくるか予想がつきません。よほどのフレクシビリティのある演出家で、しかもいかなる状況下でも美意識を貫徹できる強靭さを持った人でないと務まらないと考えました。
その点で、コルセッティさんほどふさわしい人はいません。例えば、劇場労働者たちのストライキによって開催が危ぶまれていた激動の2014年アビニョン演劇祭で、コルセッティさんは法王庁中庭でのオープニング作品を見事に成功させました。まさに「明日何が起こるかわからない」状況下で俳優たちの信頼を一身に集め、美意識を貫徹されていたのです。
これまで演劇に興味を持っていなかった通りがかりの人に覗き込んでもらうには「活気」と「視覚的な美しさ」が必要と思いますが、コルセッティさんの作る舞台はまさに活気と美を兼ね備えています。
さらに、「三文オペラ」の作者であるブレヒトについての深い理解にも信頼を寄せています。
また今、東京で大きな規模の芝居をつくる場合、観客を動員できる人気者、あるいは有力な事務所がバックにいる俳優たちがキャスティングされがちです。でも今回の出演者は、知名度とか動員力とかあるいは事務所とかの付随要素にはいっさい左右されずに、ひたすら、コルセッティ氏が「面白い」と思う俳優をオーディションで選び抜いたメンバーです。これほど「三文オペラ」にふさわしい役者たちがいるでしょうか? “寄るべき大樹なんて無い”15人が驚くほどの結束力と自発性を見せてくれます。
一方で音楽を担当するメンバーには、世界が認めた超一流が結集。ザルツブルク音楽祭で演奏するレベルのクオリティが池袋西口公園に炸裂するわけです。
そして衣裳がなんと澤田石和寛氏! 炸裂に輪をかけてくれます。
少数の「劇場に行く人」と、残りの「劇場に行かない人」の2種類にくっきり分かれてしまった今の東京で、その敷居を壊すのが今年からの東京芸術祭です。演劇、という言葉を聞いてなんとなく「こむずかしい」「古い」「偉そう」「ダサい」「既得権層の娯楽」と思う人たちも、演劇の起源が「お祭」であることに触れてくれさえすれば、きっと“人間って、捨てたもんじゃない”と感じてくださると思います。東京芸術「祭」は今の東京のど真ん中に演劇の起源を復活させます!