岩崎正裕・小㞍健太がモーリス・ラヴェルの人生を音楽・ダンス・演劇で立ち上げる「ラヴェル最期の日々」 (2/2)

そこに居て / 居ない存在のラヴェル

──ダンスは躍動感やエネルギーの発露といったものに人々を魅了する力があるのではないかと思うのですが、1人の“最期”を踊るときに、小㞍さんが意識することは何ですか?

小㞍 西尾さんや演出的な要素との関係性を感じながら、ラヴェルの心情や日常の動作から振付を考えて、ダンスにしていくことをイメージしています。この作品では、ラヴェルはそこに居て / 居ない存在で、西尾さんとやり取りをしながらもどこか時空が違う人間という感覚なんです。ラヴェルの存在を象徴した人物でいるために、身体の在り方があまりラフになりすぎないように意識して、目線の使い方を工夫することを心がけようと思っています。この前、初めて西尾さんを直視するシーンをやったのですが、次元が重なり合うような不思議な感覚になって。良い時間だったなと(笑)。

──小㞍さんはミュージカル「ロミオ&ジュリエット」(参照:黒羽麻璃央・甲斐翔真らが挑む「ロミオ&ジュリエット」開幕、ライブ配信も決定)の死のダンサー役や舞台「千と千尋の神隠しSpirited Away」(参照:橋本環奈・上白石萌音が完走誓う、舞台「千と千尋の神隠し」御園座で開幕)のカオナシ役などのご経験がありますが、これほど密に俳優との掛け合いがある作品はあまりなかったのではないですか?

小㞍 そうですね。ダンサーは特別枠として参加することが多いですし、これまでの舞台では別次元の存在を演じてきたので(笑)、共演者と目を合わすシーンもあまりなくて。今回も、役の生死のあいまいさはありますが、顔の角度や目線の持っていき方にこだわりたいなと思います。SandDの経験から、能楽の面(オモテ)をはじめ、日本舞踊など、日本では顔の位置や角度によって、お客さんが象徴的に受け取るものや、かき立てられるものがあると知ったので、それを生かせたらと思います。

シアター・デビュー・プログラム「ラヴェル最期の日々」クリエーションの様子。

シアター・デビュー・プログラム「ラヴェル最期の日々」クリエーションの様子。

一定のリズムの中でエネルギーが満ちていく「ボレロ」を新たな解釈で

──本作は、ラヴェルの楽曲を一度に振り返ることができる“ジュークボックスオペラ”的な作品になりますが、そこにダンスと演技の要素が入り、“聴かせる”と“見せる”のバランスをどう演出されるのか気になります。

岩崎 そこ、すごく悩んでいるんです。東京文化会館の小ホールは舞台としては狭く、抽象性が高い空間になるので、大掛かりな舞台美術の変容もありませんし、今まで音楽家と構成劇をいくつか作ったことがあるのですが、演奏家によっては音楽を絶対に語りと重ねたくないという方もいるんです。でも加藤さんにはそういった要望がまったくない。「重ねて重ねて」とおっしゃるので、困っています。

小㞍 あははは。

岩崎 もちろん、音楽をじっくりと聴かせるシーンもありますが、音楽に語りが重なることで、いつも東京文化会館にいらっしゃるラヴェルファンのお客さんは喜ぶのだろうかと。音楽劇なのか舞踊劇なのか、はっきりとカテゴライズできる作品ではないので、新しいコラボレーションだと思って足をお運びいただきたいなと思います。出演者・演奏家といった舞台上にいるすべての人たちの熱量が立ち上がってくる形が、作品にとって一番理想的だと思っています。

──ラヴェルの代表作の1つ「ボレロ」も披露されるそうですが、小㞍さんはコンパクトな空間で誰もが知っているような楽曲を1人で踊ることに、どう挑まれようとしているのでしょうか?

小㞍 僕は「『ボレロ』だけは嫌だ」と言ったんですが、避けては通れずで(笑)。この曲はエネルギッシュなので、ラヴェルが若い頃に描いたものかと思っていたのですが、実は彼が人生の終盤に、“自分の人生はどうなっていくのか”という不安の中で紡いだ作品なのかもしれないと思うようになりました。鼓動は鳴り続け、時は進み、一定のリズムの中でエネルギーだけが満ちていく。自分の中の新しい「ボレロ」の解釈で、例えば日常の雑音が鼓動につながっていくかのように踊れたらと思っています。僕はこの曲に「お前はどうしたいんだ!?」と言われているような気がするんですよ。タン、タタタタンというスネアのリズムの中で、「どうしよう」と不安に駆られながら、「自分は何がしたい? どうしたい? わからない。わからない……アアーッ!」っていう。その感情が動きに変わっていったら面白いと思っているのですが、どうでしょう?(笑)

岩崎 良いと思います(笑)。有名なモーリス・ベジャール振付の「ボレロ」は祝祭性に満ちていますが、今回は逆のような気がしています。

小㞍 この作品は、より人間的ですよね。

岩崎 “人間のエネルギーは死に向かって減っていく”というのは、多くの人が持っているイメージですが、本当にそうだろうかという疑問が僕にはあるんです。今回の「ボレロ」では、ラヴェルが人生の走馬灯の中でエネルギーに満ちて、宇宙に溶けていくという解釈もあり得る気がしていて。悲劇的であまりにも苦しい最期に、彼のエネルギーは増していったのではと今は考えています。

自分の中にある大切なこと、戻ってきた日常を確かめて

──今回の作品は中・高校生に向けた「シアター・デビュー・プログラム」の一環となります。今、表現の世界で活躍されているお二人は、幼少期に質の良い芸術に触れる大切さを実感されたことはありますか?

岩崎 学校教育だと音楽とダンス、演劇。それぞれの授業は分けられていますが、本来その3つは限りなく近いところにあって。だから今回、劇場でそれらが融合した姿を観ることによって、アートへの意識が深まると良いなと思っています。僕自身、今はセリフ劇ばかり書いていますが、高校のときはバンドを組んでいて、いつか演劇と音楽を融合させた作品を作りたいと思ってやってきたんです。今回のような舞台を作ることができて、高校生の頃の思いがやっと実現したという感覚があります。

小㞍 僕は3歳からバレエをやっていますが、発表会で舞台に上がったときの「なんだこれは!」という衝撃が忘れられなくて、嫌いなバーレッスンをがんばるような子供でした(笑)。ただ、舞台に上がることはなくても、子供の頃に劇場で楽しかった経験をすると、大人になって演劇をやったり、舞台を観に行ったりするハードルが下がるのかなと思います。たとえ内容がわからなくても、想像力を働かせるという体験をして、抽象的な表現に対して生まれた自分の感情や思いをかみ砕いて、創造性につなげられる機会にしてもらえたら。コロナや戦争がある現代で、“これがあれば私の人生は崩れない”という自分の中の大切なものを見つめてほしいというシンプルなメッセージが込められていますので、自分の心に触れられるような時間を過ごしていただければうれしいです。

岩崎 人生における感性の一番ピュアな時期って、中・高校生だと思うんです。彼らが受け入れられるものは、各世代にとっても素敵だと思えるはず。プログラム上は中・高校生向けとなっていますが、実は僕はそう思って作っていないので(笑)、大人の鑑賞に耐え得る作品になっています。それに、指揮棒を振るかのようにクリエーションの場でも周囲にアンテナを張り巡らせている加藤さんのおかげで、現場がギクシャクしないので、チームが確信を持って進んで行けています。コラボレートの創作の場では雰囲気がギクシャクしてしまいがちですが、今回は誰も排除しない現場で生まれた作品を目撃していただけるのではと。そうやって膝を突き合わせて作った舞台作品になるので、この数年コロナでつらかった日本の社会状況下で、日常がしっかりと戻ってきたことを確認する良い機会にもなると思います。

プロフィール

岩崎正裕(イワサキマサヒロ)

1963年、三重県生まれ。劇作家・演出家。劇団太陽族の代表。1997年に「ここからは遠い国」で第4回OMS戯曲賞を受賞。社会的な事件や現象をモチーフに、人々が抱く閉塞感や猥雑な人間関係を描く作風に定評がある。2022年度より大阪現代舞台芸術協会理事長に就任。自身が作・演出を手がけ、劇団太陽族の1年ぶりとなる新作公演「戻り道に惑う」が3月に東京・大阪で上演される。

小㞍健太(コジリケンタ)

1981年、千葉県生まれ。3歳よりクラシックバレエを始め、1999年ローザンヌ国際コンクールにてプロフェッショナル・スカラーシップ賞受賞をきっかけに渡欧。モンテカルロバレエ団やネザーランド・ダンス・シアター1に所属し、世界的振付家の作品で活躍する。2017年、他ジャンルのアーティストと協働リサーチやクリエーションを行うプロジェクト・SandD(Project“Surface and Destroy”)を始動。現在はバレエ、オペラ、ミュージカル、フィギュアスケートの振付など多岐にわたる活動を展開する。また3月から6月にかけて日英で上演される舞台「千と千尋の神隠しSpirited Away」に出演。4月より横浜赤レンガ倉庫1号館の振付家を務める。