岩崎正裕・小㞍健太がモーリス・ラヴェルの人生を音楽・ダンス・演劇で立ち上げる「ラヴェル最期の日々」

“音楽の殿堂”として知られる東京文化会館で、第一線で活躍するアーティストを起用して、青少年に向けたオリジナル作品を発信するプロジェクト「シアター・デビュー・プログラム」が展開中だ。2024年2月には、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルに焦点を当てた「ラヴェル最期の日々」が披露される。ラヴェルの生き様を音楽・ダンス・演劇の要素を掛け合わせて掘り下げる意欲作となる。

ステージナタリーでは、演出・脚本を手がける劇団太陽族の岩崎正裕とクラシックバレエを土台にさまざまなジャンルで世界的に活躍するダンサー・振付家の小㞍健太に話を聞いた。

取材・文 / 大滝知里

“幸せな最期を迎えているわけではない”ラヴェルへの、それぞれのアプローチ

──フランスの作曲家モーリス・ラヴェルを題材にすることを提案されたのは、本作の音楽監督・加藤昌則さんだったそうですね。岩崎さんは演出・脚本のオファーを受けて、どのようなイメージで執筆を進めていったのでしょうか。

岩崎正裕 私は、ラヴェルと言えば「亡き王女のためのパヴァーヌ」や「ボレロ」を知っているくらいでしたので、加藤さんにいろいろと教えていただきながら調べていきました。すると、やはり彼の“最期”が物語の核になるという気がしたんです。というのも、彼はパリでタクシーに乗っているときに事故に遭い、そこから記憶障害に陥ってしまったという、決して幸せな最期を迎えているわけではない人なんですね。頭の中で鳴っている音楽が譜面に起こせなくなるという困惑や憤りに、どうたどり着くかを描くために、障害が軽かった時代から最期の日々までを見せることが1つの命題であると思いました。

──リサーチや執筆を進めるうちに、改めてラヴェルという人物や作品に魅力を感じることはありましたか?

岩崎 ありましたね。昨年4月から月に1度ミーティングの機会を持って、まずは音楽家の加藤さんと私が楽曲の打ち合わせをしながら、それぞれの考えやアーティスティックな価値観を擦り合わせるという作業をしていきました。そのときに、自分は良い曲だと思っていたラヴェル初期の「亡き王女のためのパヴァーヌ」を、加藤さんは「若い頃の曲で技巧が先走っているから、『いい曲でしょう』と作者が言っているようで、あまり好きではない」とおっしゃったんです(笑)。最初はそれがよくわからなかったのですが、あとから子供のための楽曲集「マ・メール・ロワ」や「ピアノ協奏曲」を聴いて、確かに「亡き王女のためのパヴァーヌ」のような“情緒たっぷり感”ではない、胸に迫る良いフレーズがたくさんあるなと。作曲家の視点でのラヴェルの楽曲分析を聞くうちに、私の中でラヴェルへの理解が深まり、評価すべき軸が変わってくるという、面白い経験を1年かけてさせていただきました。

シアター・デビュー・プログラム「ラヴェル最期の日々」クリエーションの様子。左から岩崎正裕、伊奈山明子(演出助手)、小㞍健太、西尾友樹(俳優)、加藤昌則(音楽監督・作編曲・ピアノ)。

シアター・デビュー・プログラム「ラヴェル最期の日々」クリエーションの様子。左から岩崎正裕、伊奈山明子(演出助手)、小㞍健太、西尾友樹(俳優)、加藤昌則(音楽監督・作編曲・ピアノ)。

──小㞍さんはラヴェルの“最期”を描く作品だと聞いて、どう思いましたか?

小㞍健太 天才的な音楽家や芸術家が精神的に不安定になっていくのは割とある話ですが、僕はラヴェルに対して、“パリの幸福な作曲家”というイメージがあったのです。実は今回のお話をいただいて、そのイメージだけではないことを知り、彼がどういう人物だったのかに興味を持って、いろいろと調べるようになりました。

──今回、小㞍さんはさまざまなラヴェルの楽曲を踊られますが、ラヴェルの楽曲に対して特別な思いなどはありますか?

小㞍 実は、あまりラヴェルの音楽で踊ったり、作ったりしたことがないんです。ですが、ラヴェルの音楽には、フランスで学んだ音楽の形式を根強く残しながらも、さまざまな土地を旅して、違う文化や音楽を取り入れていった変遷が感じられる。まったく違うジャンルに手を出すのではなく、すでにある技術にプラスして、“高める”ために新たなものを吸収するという点は、僕も興味があるところです。最近は「コンテンポラリーダンスの人」と言われますが(笑)、根幹にはクラシックバレエがあって、その身体を持ちながら、新しい身体表現を模索しています。そして僕の場合、まず音とイメージがつながり、リズムが生まれ、音楽と動きが交わることで、ダンスとなっていく。ラヴェルの音楽には、特徴的なリズムやメロディがいくつもあるので、想像力を使って動きに変えていくという作業が楽しいですね。ラヴェルがどういう気持ちでこの音楽を描いたのか、このリズムから彼は何を思い出すのか、どのような影響を受けたのかなど、想像がかき立てられます。

“真の創作”が繰り広げられたクリエーション

──劇中では、ラヴェルの実在の隣人で劇作家だったとも言われるジャック・ド・ゾゲブを語り手に、ラヴェルの最期からさかのぼるようにその人生が紐解かれていきます。音楽・ダンス・演劇の要素が絡み合う作品になりますが、先ほどおっしゃっていた月に1度のクリエーションでは、どのように創作が展開していったのでしょう?

岩崎 演劇的な要素とダンスの要素を加えたいとおっしゃったのは、加藤さんです。さらに加藤さんの中には加藤さんの脚本があったみたいで(笑)、最初は決め事というよりもクリエーションの場としてそれぞれの専門性から落とし所を見つけていこうとしました。例えば、「ボレロ」を入れることは初期に決まっていたのですが、今回は少人数の楽器編成ですし、打楽器も使用しません。ただ「ボレロ」では、途中に不協和音のような音が入るんです。それをどうやって表現しようかと悩んでいたら、加藤さんが「バンドネオンの音色が入ると再現性があるんじゃない?」とおっしゃるんですよ。ふとした思い付きが、クリエイティブにつながっていって。さらに小㞍さん、俳優の西尾(友樹)さんが参加することで、「わあ、すごいものが立ち上がるぞ」というところにやっと今、たどり着いたという感覚です(笑)。(編集注:取材は2023年12月末に行われた)

加藤昌則

加藤昌則

小㞍 僕は何度かZOOMで参加させていただいたあと、9月末に実際のワークショップに入りました。そこで岩崎さん、加藤さん、西尾さんなど皆さんのラヴェル像や方向性を聞き、お互いの材料を見せ合って、何ができるか意見交換しました。それから「じゃあやってみよう!」という雰囲気で(笑)。振り返ると、かなりのコミュニケーションの場となっていたと思います。ワークショップのためのネタを用意して行っても、実際に身体を動かすと予想外の感情が湧き上がったり、西尾さんとの絡みや音楽の流れで受け取るものが変わったりして、すごく面白い“体験型クリエーション”でした。

──小㞍さんは他ジャンルのアーティストとリサーチやクリエーションを行って作品を立ち上げるプロジェクト・SandD(Project“Surface and Destroy”)の活動もされています。それとはまったく違う環境だったのでしょうか?

小㞍 さまざまな方とコレクティブなプロセスをしていくところでは同じですが、SandDで創作をするときは、踊り手というよりも作家側に回ります。というのも、作品創作では第三者の客観的な視点が大事になると考えているので、あまり演じる側(ダンサー)の感情や心情を取り出して主観的に反映させたくないんです。今回は、ワークショップを通じて表掲的なものが人の目にどう映り、作品の中でつながっていくかという部分を観ていただけるので、とても勉強になります(笑)。

岩崎 今回の作品では音楽が鳴り、語りもありますが、ダンサーの存在って舞台においては圧倒的なんですよね。舞台を観ていてどこに目が行くかというと、ダンサーなんです。

小㞍 (照れ笑い)

岩崎 ですから、小㞍さんが入って初めて、舞台上で起こるさまざまな現象が見えてくるところがありました。執筆する段階で、“ラヴェルに語らせない”という構想はありましたが、ジャックの視点からラヴェルを追いかけることで、お客さんの想像の中で像が結ばれていくと良いなと。小㞍さんがラヴェルとして出てくる一方で、西尾さんが語りながらふとピアニスト(加藤)に視線を向けると、ピアニストがラヴェルに見えてくる。「ダフニスとクロエ」のシーンでは小㞍さんがニジンスキーに見えても良いように仕上がっていくのではないかと感じています。また、中・高校生向けプログラムと銘打たれた作品ですが、ラヴェルの輝かしい日々だけを見せてもしょうがないと思っているんです。若い人たちにはきっとこれから、いろいろな苦難が立ちはだかるはず。ラヴェルが苦難とどう闘い、その命が潰えていったのかということを、音楽・ダンス・演劇を一度に体験しながら観たときに、自分の人生を考える機会にもなると思いますし、記憶に残るものになってほしいなと思います。