「神楽というハレの場を楽しんで」柳沼昭徳が語る 烏丸ストロークロックと祭「祝・祝日」

フィールドワークをベースに、短編から長編へと長い創作時間をかけて1つの作品を立ち上げていく烏丸ストロークロック。練り込まれ、選び抜かれたシーンの数々は、観客の脳裏に焼き付いて離れない。そんな烏丸ストロークロックの作品群の中で一際異彩を放つのが、神楽をモチーフとする「祝・祝日」だ。神に奉納するため奏される神楽は日本各地に見ることができ、修験者が伝えたとされるものも多い。時代の変化を受け入れながら、地域ごとに発展を遂げてきた神楽に魅せられ、烏丸ストロークロックは、2018年の宮城初演以来、広島・兵庫・京都・三重・沖縄で「祝・祝日」の上演を重ねてきた。今回再びの三重公演では、初の野外公演に挑む。三重県総合文化センターの日本庭園で繰り広げられる、たった2日間の“祭”について、主宰の柳沼昭徳に話を聞いた。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤田亜弓

演劇と神楽の違いや共通点はどこにあるのか

──「祝・祝日」は神楽にフィーチャーした作品です。烏丸ストロークロックのWeb対談シリーズ「道草」(参照:道草 | 烏丸ストロークロック Karasuma Stroke Rock)では、柳沼さんと神楽を結びつけたのは、宮城県仙台市のアーティスト・八巻寿文さんだと書かれていました。そもそも八巻さんと柳沼さんの出会いのきっかけは何だったのでしょうか?

柳沼昭徳

八巻さんを紹介してくださったのは、実は三重県文化会館 副館長の松浦(茂之)さんなんです。2015年に京都芸術センターからの委託で作品を作ることになり、東日本大震災のことを取材しようと考えていたところ、松浦さんに相談する機会があり、「八巻さんに会うと良いよ」と紹介していただきました。当時八巻さんは、せんだい演劇工房10-BOXの2代目工房長を務めていらっしゃり、ちょうど3月11日頃だったので、震災関連のイベントで忙しくされていたんですが、電話口で「こことこことここに行くといいよ」と教えてくださったんです。それでせんだいメディアテークとか、その中にある市民の映像などを集約した“3がつ11にちをわすれないためにセンター”などに行きました。そのあと、八巻さんがお手伝いされていた、地域の婦人会の方による朗読イベントにもお邪魔し、そこで八巻さんと少しだけお話できたのですが、そのときは神楽の「か」の字も出ませんでした。そして2017年に10-BOXで作品を作らせていただく機会があり(参照:烏丸ストロークロックが仙台の俳優とクリエーション「まほろばの景」)、そのとき八巻さんが相当な神楽マニアであることがわかって(笑)、そこから神楽の話をいろいろと聞くようになったという感じですね。私はせんだいメディアテークで神楽と“ファーストコンタクト”しているんですけど、八巻さんの導きがなければ出会ってはいなかったわけで、不思議なご縁だなと思います。

──最初は神楽のどんなところに興味を持たれたのですか?

我々の演劇は、規模は小さいけれどどこまでいってもショーであり、ビジネスが絡んできます。でも神楽はショーではなくて神事なんですね。例えば福島県北部にある福田十二神楽は、子供がやる神楽なんですけど、舞うときに観客のほうを向いていることが少なくて、獅子舞の獅子頭に向かって舞うんです。つまり、人に向けてやっているのではなく、神様や人外の存在に行為を見せていて、演劇や舞台とは違う目的を持っているんです。さらに神楽は地域のコミュニティをつなぐ存在でもあって、福田十二神楽は、原発事故で一時的に引っ越したお子さんが「神楽をやりたいから戻りたい」と言ったそうで、土地に戻ってくるきっかけの1つにもなっており、コミュニティをつなげるアートとしても機能しているんだなと感じました。という点を踏まえて、我々がやっている演劇と神楽の間には何か共通点があるのか否か、あるいは私たちが神楽から学ぶことがあるとすればそれは何なのか、という具合に、どんどん興味が引かれていったんです。

しかも神楽って、部類としては踊りに入るのかもしれないですけど、上達する先にあるのが舞を綺麗に舞うとか、洗練させていくだけではないところがあって。例えば私が見た神楽の中で、県の指定文化財になっているようなものでさえ、お面の耳が欠けていたらボール紙で直したり、ポスターカラーのようなもので色を塗ったりって感じで(笑)、中にはびっくりするぐらい(舞が)下手だったこともあって、こちらが「そんな感じでいいんですか?」と聞いてしまったくらい。でも60過ぎくらいのおじちゃんたちが神楽を必死に舞っている姿は、日常を凌駕するエネルギーに満ちていて、「確かにこういう面白さって演劇でもあったな。うまい下手とかじゃなくて、“そのパッションが欲しい!”みたいな時期が自分にもあったな」と思い出されたりして。演劇って、できあがったものを綺麗にまとめて商品として見せる良さだけじゃなく、目の前で人が人ならざるものに変化する、その様を見せる面白さもあったなと感じたんです。

烏丸ストロークロックの中で神楽がどう変化していくか

──神楽は全国に根付いていますが、柳沼さんはいろいろご覧になったのでしょうか?

そうですね。そんなに多くはないですけど、でも行く先々に神楽はあるので。例えば東北だったら、早池峰神楽(はやちねかぐら)を中心とした山伏神楽や法印神楽がメジャーですし、広島では石見神楽を起点とする神楽が多数あります。ただ神楽って、農閑期に同時多発的に行われるので、なかなかいくつも一遍に観ることはできないんですけど。

──神楽を観客として観ることと、実際にご自身の作品として上演するのとでは、アプローチの仕方に距離があると思うのですが、どんな意識の変化があったのですか?

「鶏舞」の様子。(撮影:井上嘉和)
「諷誦の舞」の様子。(撮影:井上嘉和)

確かに距離がありますね。最初は「怒られても良いから模倣から始めよう」という感じでした。でも模倣と言いつつ、中川裕貴という現代音楽のミュージシャンがメンバーに入っている時点で、すでにオリジナルではないんですよね。また神楽などの郷土芸能は能や歌舞伎と比べると、そこまで厳格に伝承しているわけでもないものも多く、時代に応じてちょっとずつ変化しているんです。先ほどお話した福田十二神楽も、最初は子供の神楽というわけではなくて、明治の徴兵制によって戦争のたびに青年団の若者が集落からいなくなってしまったため、芸能を存続させる手立てとして子供が舞うようになり、それに応じて表現方法も仕組みも変わっていった。結果、それが地域の事情に即した地域の特色ある芸能になっていったんじゃないかと思うんです。

なので、現代演劇の文脈を持つ烏丸ストロークロックというコミュニティの中に神楽が放り込まれて、我々がそれとどう向き合うのか、また10年神楽を続けることでどんな変化が起きるのか、ということを試している感じですね。実際の上演でも、劇場によって「こういう表現のほうが良いな」とか、同じ振りをするにも「ここは止まったほうが良いけれど、そこは激しくしよう」という感じで、毎回少しずつ変化を加えているんです。今はおそらく、ほとんどの舞がオリジナルとは別物になっているのではないでしょうか。でも変化しつつも、神楽の真髄といいますか、“神を降ろす”行為の最中に舞手や囃子手が神がかりのような状態になることはあるので、そういった大きな目的は大事にしながら、それをより効果的にうち出すにはどうしたら良いのかを考えています。特に今回は野外なので、また全然違う変化が、神楽にも我々にも起きるんじゃないかなと。神楽じゃなければ、私は野外でやるという発想は絶対持たなかったんですけど、変化を受け入れる神楽だからこそ、野外でやってみようと思ったんです。

山伏の強さ、たくましさに惹かれる

──烏丸ストロークロックは綿密に作り込まれた戯曲と演出が魅力の1つだと思いますが、神楽に対してはかなりアプローチの姿勢が違うんですね。

そうですね。例えば神楽は、俳優の舞台での立ち方にも関わってくるところがあります。普段俳優は、観客に向けてどうアピールするのかを考えて舞台に立っていると思うんですけど、神楽を経験したことで、観客ではないものにも表現を向けるようになったというか。劇場空間など、観客とは別のものに対して表現を向ける視座が生まれたことで、表現そのものに奥行きが増したと思います。

日常でも「神がかる」と形容されるものはありますが、私は、神楽というのは人が人ならざるものへ近づく、つまり神がかるための“行為”だと思っていて。やることはすべて決まっていて、そのルーティンに没頭することで、自意識を介在させる余地がなくなっていく。よく俳優にとって邪魔なものは自意識だって言われたりしますが、神楽の複雑な舞を正確に体現しようとその“行為”だけに没頭していくうちに、舞手自身の意識というものから離れていく。俳優にとっても“神楽を舞う”という1つの技を身に付けることになるので、ブレない自分を築くきっかけになるのではないかと思います。

柳沼昭徳

──日本全国に多様な神楽がありますが、「祝・祝日」は東北の山伏神楽をベースにしています。東北神楽の魅力をどんなところに感じていますか?

1つには素朴さですね。石見神楽のように大蛇が出てきて火を吹く、というようなきらびやかな神楽とは違い、東北の神楽は地産地消といいますか、自分たちの地域の神社や地域コミュニティとの関係が濃厚だと思います。だからあまりサービスをしないというか(笑)、ショーというより“行為”としての神楽の側面が強い。自分たちがやってきたことを、ただそこでやるだけ。それは、我々烏丸ストロークロックの目指したい姿でもあります。そのシンプルさに舞台文化のルーツを感じますし、そこで見えてくる、信仰と芸能の関係性を探っていく中で登場する山伏という存在に惹かれたところもあります。山伏の歴史、これには諸説あるので一概には言えませんが、仏教が伝わる以前の自然崇拝がもとになっていて、その後時代の変遷と共に密教や道教などと結びつきながら変容していきました。山に入り山を駆け巡って修行する、その身体に重きを置いた考え方には日本の根源的な精神性を垣間見ることができます。山伏は明治で禁止されますが、時代の変化を受け入れつつ柔軟に形を変えながら現代にまで伝わっている。そこに時代を生き抜く強さやたくましさがあるし、そういった山伏の精神は、神楽にも反映されているように感じます。

霊的……っていうと途端に胡散臭くなる感じがしますが(笑)、人間の心が中心になっている世界がしんどいなと感じることがあって。自分の外に何か相対的なもの、人以外のものがあって、そこに心を預けられると楽になるんじゃないかと思うんですよね。仏教が目指すのは無我ですが、お坊さんなら座禅、山伏だったら山を駆け巡ること、神楽なら集中して舞うことで自我をそぎ落とす。そうやって自我がなくなった状態の人に、人は感動すると思いますし、我々のやっていることがそうなれば良いと思っています。