彩の国さいたま芸術劇場の“ゴールド”な挑戦|ノゾエ征爾、岩井秀人、菅原直樹が語る「高齢者演劇」の現在

いかに生活者のまま、舞台に乗せられるか

──菅原さんはこの取材の前に会場の下見と、出演するゴールド・シアターのメンバーとの初顔合わせをされたそうですね。

菅原 はい。ゴールドの方3名と会ったんですけど、話が長いっていうのは岡田さんと一緒でしたね(笑)。OiBokkeShiは高齢者の劇団員が岡田さんだけなので、もっとどんどん輪を広げて高齢者劇団みたいな形になっていけたらって話を、以前岡田さんに提案したことがあるんです。そうしたら岡田さん、「高齢者は話が長いし、文句ばっかり言うから1人でいい」って。自己分析がよくできてるなって。

一同 あははは!(笑)

菅原 と同時に、今日3名の方とお会いして、やっぱり演劇って力があるんだなと改めて感じる部分がありました。演劇との出会いを聞いたら、皆さんすごく生き生きと「こんな決意をして締め切りギリギリに応募した」って話をしてくださって。皆さんにとって演劇がとても大切なものだってよく伝わってきました。表現するってそれだけ楽しいものなんだなと改めて実感した感じです。

岩井 確かにみんな話が長い! でもちゃんと聞いたらけっこう面白いんですよね。こっちは全然聞いてなかったとしても。

一同 あははは!(笑)

岩井 あれはもう、僕がいなくてもいいんだと思うな。言った瞬間に本人がもう何か癒され始めてるんだと思います(笑)。今稽古をしていると、例えばそういうやり取りの中で「これも絶対に取り入れたほうがいいな」みたいなことがたくさん出てくるんです。昨年、子供が書いた台本を大人が形にするっていう「なむはむだはむ」という作品をやったときにも、例えば子供が「い」って書いたんだろうけどどう見ても「り」としか読めない字だったときに、それを正すのがいいのか正さないほうがいいのかってことをよく考えました。どこまでを作品として扱うのかってことなんですけど、それはやっぱり稽古場である程度のルーズさがないと難しいなって。

ノゾエ征爾

ノゾエ そうですよね。しかも繰り返して洗練させようとすればするほど弱まるものがあって、実は素人である状態が一番面白いと思ったり。言い慣れてないセリフを一生懸命言った瞬間が一番面白くて、でも練習してうまく言おうとしてしまうと、次に言ったときはただの下手な俳優になってしまうんです。でもどうしても経験を積んでいってしまうし、僕も積む作業をしようとしてるので、どうするのが本当にいいのかなって、僕自身何を求めてるのか、ときどきわからなくなる。いわゆる正解を目指すことだけじゃなく、いかに生活者のまま、その延長線上で繰り広げられることが舞台上に乗せられるかなんだよなと。

菅原 おかじいもかなり向上心があって、意識はプロの俳優ですね。「プロですよね?」って言うと「いやいや私なんか」って謙遜するのもまたなんかプロっぽい(笑)。本当に普通に「舞台の上で死ねたら本望だ」って言いますし「俳優に定年はない、歩けなくなったら車いす、寝たきりになったら寝たきりの役、棺桶に入ったら棺桶に入る役ができる」って。「いつまで俳優続けますか?」って聞くと「お通夜の晩まで」って言いますからね。意識はかなりプロの俳優です。

渡辺 すごいねえ。

岩井 でもさ、みんな若い素人だったら、あんなにいろいろ許せる?

ノゾエ いや、もう全然違いますね。どうしてですかね。

岩井秀人

岩井 台本書けって言ってろくなもの書いてこなかったら、「ろくなもの書いてこなかったね」って言っちゃうもんね(笑)。だからどっかで「もう先が長くない」みたいなことを勝手に思ってるのかもしれない、ひどいけど。

菅原 それはあるかもしれないですね。僕も岡田さんと稽古してるときに、91歳だからいつ何があるかわからないと思って、1回1回の稽古を大切にしようって思います。まず稽古が始まる前に、生きてるかどうかの心配をしますからね。「電話が通じないけど大丈夫かな」って。

岩井 そうだよね、ただの電話が通じない、じゃないもんね。

菅原 そこで倒れてるかもしれないってそわそわしながら岡田さんの家に行くことが、稽古のたびにあるので。

ノゾエ ゴールド・アーツ・クラブだと大人数だけに、参加しなくなる率が高いんですよ。2月の発表会のときは冬だったということもあってほぼ毎日、辞退者が出た。インフルエンザになったとか脚立から落ちて骨折したとか。だからこの前が発表会で、次は本公演という組み立てではありますが、本公演には出られない人がそれなりの人数出てくるだろうなって思いますし、となると、ただの発表会じゃないっていうことは彼ら自身も思っていると思います。2月のWS成果発表会ではお手紙を書いて読んでもらうシーンがあったんですけど、「この発表会が終わったら、ガンなので次の日から入院します」って人もいたりして……。

渡辺 それはゴールド・シアターも同じですね。みんな病気を抱えながら参加している。

岩井 手術の日を延ばしたりしてね。

渡辺 「これが最後だと思って」というのは皆さん同じですよね。だから僕らも芝居以前のことに気を遣うようになりました。密に連絡を取って「どうしてますか」という確認をしないといけないなと。

「高齢者」から「共に演劇を作る仲間」に

菅原直樹

菅原 OiBokkeShiを始めたときに岡田さんは88歳で、そのときに気をつけようと思ったのはあんまり負荷をかけない演出にしようということだったんです。セリフ覚えもあまりしなくてよくて肉体的負荷もあまりかけず、出演シーンもおいしい感じで最初と最後だけに……って考えて作ったのが1作目。でも回を重ねていくうちにだんだん負荷をかける演出になっていってしまって(笑)、別に意地悪でそうしようとしてるんじゃなくて、一緒に演劇をやってると、最初はおじいさんとして見てたのがどんどん普通に演劇仲間って感じになってきて。

ノゾエ岩井 ああー!(深くうなずく)

菅原 いろいろできることがわかってきたので、この間の「ポータブルトイレットシアター」では1時間半、ずっと出ずっぱりしゃべりっぱなしで(笑)。どんどん肉体的負荷をかけるようになってしまいました。

ノゾエ ご本人もどこかでそれを求めてるんですか?

菅原 求めてますね。バタバタで作ったのでゲネで初めて通したんですが、40分くらいの芝居にしようと思ってたのが気付いたら1時間30分くらいになってて(笑)、さすがに「もうちょっと短くしましょう」って話をしたら「いやいやもっとやりたい」と。

一同 あははは!(笑)

菅原 なので、最初はセリフが出るかどうかを心配してましたけど最後は体力が持つかどうかを心配してました。

ノゾエ 「これが最後かもしれない力」ってすごいですよねえ。

菅原 そうですね。あと演劇をやると元気になるっていうのはありますね。頭が痛いって言いながら稽古に来て、始まると元気になるっていう。

渡辺 それが数値化できるといいんだけどね。演劇やると元気になるってことを、なんとか世間に証明したい。

菅原 介護予防としては、頭と体を使って人と交流して、しかも人に感動を与えるというのは大きな生きがいになります。あとやっぱり死ねないですよね、本番が決まったら。

ノゾエ そこの意識が、ゴールド・アーツ・クラブだとすごくバラつきがあって、1人くらいいなくなっても……みたいな感覚の人もいる。「今日は稽古に行かなくてもいいか」みたいな。本番にも来るかどうかわからないから、「けっこういいセリフを与えてるのになあ」って思いながら、誘導で入ってくれている若手の俳優さんに急遽セリフを言ってもらったりして。

渡辺 ほかの作品でもそうなんですが、ゴールドの公演ではさいたまネクスト・シアター(編集注:蜷川幸雄が2009年に立ち上げた若手演劇集団)によく一緒に入ってもらってて。きっかけとかがわからなくなってしまった出演者を、若手が側でサポートし、教えてあげるんです。ゴールドを通じて、そうやって高齢者を下支えするスタッフや若手の共演者が必要だってこともわかってきました。すると高齢者だけでやるよりも、そこからの広がりが生まれてきてすごくいいことだ、大事だなと思いますね。

菅原 僕もよく、俳優という名の介護者って言い方をするんですけど、舞台上でそういう役割ができたら面白いなと思いますね。

渡辺 ゴールド・シアターとネクスト・シアター、そしてかつて蜷川さんが作ったNINAGAWA STUDIOと、この3つのカンパニーを合わせると大体の世代がいることになるんですよ。蜷川さんは最後の頃、それを「大家族だ」と喜んでいました。そういう点でも、高齢者と演劇をやることが支え合いのピラミッドを生み出すということを、ゴールド・シアターを通じて学びました。

蜷川さんからの宿題は大きい(渡辺)

──一般の方を広く対象にした作品や屋外公演など、高齢者との関わり合いを深めながら、さいたま芸術劇場は今後、より開かれた創作の場へと発展していきそうですね。

渡辺弘氏

渡辺 そうですね。こういう活動をしていくと地域とのつながりも深まるし、スタッフの意識や劇場の気運も変わっていきます。ゴールド・アーツ・クラブは、実はオリンピックに向けて高齢者を元気付けようということを目的に立ち上げられたプロジェクトなんですが、それで終わらせてはいけないと思いますし、またどんどん歳を取っていくゴールド・シアターをどこまで支え続けるのかとか……すべてが手探りで実験です。

岩井 でも老いって1人で悩んでる人がものすごくいる問題だから、少なくとも悩み方だけでも共有できたほうがいいですよね。

渡辺 ああ、それはそうかもしれないですね。

ノゾエ 僕、ある参加者の方に「先生ね」って話しかけられて、「先生はやってて楽しいですか?」って。「僕たちはもう人生残り少ないところでこんな場があって、もちろん楽しいから来てるしうれしいんだけど、先生はこれからじゃないですか。まだいろいろ挑戦していかなきゃいけないときに、こんな老人たちの楽しみに大事な人生の時間を費やしてていいんですか」って。でも楽しいじゃないですか。ほかの演劇ではない得を、ちゃんとさせてもらってる感じがある。でもあちらはあちらでそういう気遣いがあるんだなって。

岩井 僕自身、昔はお肉を食べれば元気になってたのが食べ過ぎるとお腹を壊すようになって、ああ歳を取るとこういうことが起きるんだって、そんなところから老いを意識し始めて。でも、例えばある日突然、急に電車の席を譲られるみたいな形で「ああ!」って気付かされるのは耐えられないんですよ。だから半分冗談みたいに老いを受け止めていくのがいいんじゃないかって。

──菅原さんはまさに、「老いのリハーサル」というWSをされていますね。

菅原 まだ手探りですが、主にシニア世代と、一歩先の老いを演じるみたいなWSをやったりとか、明るく老いるために話し合ったり、芝居作りをしたりしています。

岩井 「おとこたち」(編集注:ハイバイにて2014年に初演、16年に再演。男4人の二十代から老後までを描く)を書いたときの動機はまさにそれでした! 25歳くらいから自分に対する感覚なんか全然変わってないのに、ある日突然やってきた自分の老いとか、認知症を受け入れられるのか?って考えたとき、思ったよりハードルが高いなって。だから老いのリハーサル、絶対に必要だと思う。

ノゾエ 稽古場でぜひパクらせてもらいたいです(笑)。

岩井  ホントだよねえ。

渡辺 今の話を聞いていても、高齢者演劇はものすごく可能性があるし、いろんな展開ができると思います。ただ、職員はどこまで付いていけるのかとか(笑)、いろいろ考えなきゃいけないことはありますが……そういう意味でも、蜷川さんの宿題はすごく大きいですね。ですので、皆さんよろしくお願いします!(笑)

左からノゾエ征爾、菅原直樹、岩井秀人、渡辺弘氏。
さいたまゴールド・シアター番外公演「ワレワレのモロモロ ゴールドシアター2018春」
さいたまゴールド・シアター番外公演「ワレワレのモロモロ ゴールドシアター2018春」

2018年5月10日(木)~20日(日)

埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO(大稽古場)

構成・演出:岩井秀人
出演:さいたまゴールド・シアター ユニット

渡辺弘(ワタナベヒロシ)
1952年栃木県出身。1980年より情報誌「シティロード」の編集など演劇ジャーナリストとして活動。84年に銀座セゾン劇場の開場準備に参加し、制作業務を担当する。89年にBunkamura開業準備に参加し、シアターコクーンの運営、演劇制作を手がけ、2003年には長野・まつもと市民芸術館の開業準備に携わりプロデューサー兼支配人として運営、制作業務を担当する。06年より埼玉・彩の国さいたま芸術劇場の業務執行理事兼事業部長。
岩井秀人(イワイヒデト)
1974年東京生まれ。劇作家、演出家、俳優。2003年にハイバイを結成。07年より青年団演出部に所属。12年にNHK BSプレミアムドラマ「生むと生まれるそれからのこと」で第30回向田邦子賞、13年「ある女」で第57回岸田國士戯曲賞を受賞。8月から9月にかけてハイバイ15周年記念「て」「夫婦」の同時上演、11月から12月にかけてフランス・ジュヌビリエ国立演劇センターにて「WAREWARE NO MOROMORO」を発表予定。NHK Eテレ「オドモTV」にレギュラー出演中。
ノゾエ征爾(ノゾエセイジ)
1975年岡山県生まれ。脚本家、演出家、俳優。99年にユニットとしてはえぎわを始動、2001年に劇団化。全公演の作・演出・出演を行う。12年「○○トアル風景」で第65回岸田國士戯曲賞を受賞。劇団外での活動も多く、近年の主な作品に「1万人のゴールド・シアター2016『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』」(脚本・演出)、「気づかいルーシー」(脚本・演出・出演)、SPAC「病は気から」(潤色・演出)、ニッポン放送「太陽のかわりに音楽を。」(演出)、文学座「鳩に水をやる」(脚本)など。また09年より世田谷区内の高齢者施設や障がい者施設を巡る世田谷パブリックシアター@ホーム公演に携わり、脚本・演出・出演を担当している。
菅原直樹(スガワラナオキ)
1983年栃木県出身。俳優、介護福祉士。青年団に俳優として所属(現在は休団中)。前田司郎、松井周、多田淳之介、柴幸男、神里雄大の作品などに出演する。2010年より特別養護老人ホームの介護職員となり12年に岡山に移住。14年より認知症ケアに演劇手法を活用した「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開し、同年岡山県にて「老いと演劇」OiBokkeShiを設立する。これまでの作品に「よみちにひはくれない」「老人ハイスクール」「BPSD:ぼくのパパはサムライだから」「カメラマンの変態」「ポータブルトイレットシアター」。なおOiBokkeShi×三重県文化会館による3年間のアートプロジェクト「老いのプレーパーク」が進行中。