彩の国さいたま芸術劇場の“ゴールド”な挑戦|ノゾエ征爾、岩井秀人、菅原直樹が語る「高齢者演劇」の現在

フィクションと現実の境が曖昧に(菅原)

──菅原さんは現在岡山を活動拠点とされており、講演会やWSを除いて、作品が関東圏で上演されるのは初めてですよね?

「よみちにひはくれない」より。 ©hi foo farm

菅原 そうですね。しかも作品の依頼はほぼ初めてだったので、今回オファーをいただいてすごくうれしかったです。僕はずっと俳優と介護福祉士っていう肩書きでやってきて、自分を演出家とか劇作家と名乗るには勇気が必要でした。というのも東京で俳優をやってたときに素晴らしい演出家や劇作家の方たちと作品を作っていましたので。でも今回お声がけいただいて単純にうれしかったし、岡山でやってきた活動を、埼玉という違う場所で、違う俳優さんと作り変えることができるなら、と思ったんですね。基本的には岡山で作ったバージョンをベースにするんですが、初演はけっこう人通りがなくなった寂しい商店街が舞台だったんです。今回はそれに比べるとかなり賑わっている浦和の商店街なので書き換える必要があると思ってます。出演するゴールド・シアターの方にとっては劇場での上演ではないし、商店街を舞台に認知症のおばあさんを探しに行くというストーリーがありますので、フィクションと現実との境目が曖昧になるようなお芝居になると思います。

ノゾエ まったく想像がつかないです……。

菅原 街歩き演劇のようなイメージだと思いますね。

──菅原さんはゴールド・シアターの公演や「1万人のゴールド・シアター」をご覧になっていますか?

菅原 まだなんです。もちろん新聞記事などで知ってはいたので、すごいことをするなあって。僕も介護とか老いをテーマに演劇をやってますが、相手にしているのはおかじいという、91歳の看板俳優・岡田忠雄さん1人だけなので。

岩井 え、今そんな活動をしてるの?

菅原 はい(笑)。岡田さんは僕が最初に「老いと演劇」のWSを開いたときの参加者なんです。

岩井 そのWSはどんなことをやるの?

菅原直樹

菅原 認知症の人は、人を間違えたり朝と昼を間違えたりするんですけど、そうしたときに失敗を正したり責めたりするんじゃなくて、受け入れる係も必要なんじゃないかと思って始めたのがそのWSでした。例えば介護者を時計屋さんって間違えたとして「いやいや、僕は介護職員です」って言うときもあるけれど、場合によっては“時計屋さん”を受け入れて演じてもいいんじゃないかと。認知症の方には中核症状があるので人を間違えたり朝と昼を間違えたりするのはしょうがない。でもその間違いをどんどん責められると、患者は傷ついて「ここは自分の居場所じゃない」と思って、もしかしたら徘徊が始まってしまうかもしれないんですよね。だから、僕らの常識からすると間違ったことでも受け入れてもいいんじゃないかっていう。演劇体験を通じて認知症の人との関わり方を考えたりヒントを得るWSなんです。

「発表会」なのか「作品」なのか

──一般の方が出演する作品の場合、観客としてはその作品が参加者たち自身にとっての発表会なのか、あるいは作品としてのクオリティを追求したものなのかが少し気になります。皆さんは創作段階で、その点についてはどのように意識されていますか?

ノゾエ征爾

ノゾエ やっぱり普段の作品作りとは確実に違うところがあって、さっき岩井さんが過程の話をされましたけど、僕も正直に言うと、過程そのものこそが真実みたいな部分があると思ってます。でも(舞台に)乗せる、お客さんの前で観せるってなったときにどうしてもいい部分をなくさないといけないと言うか、消えてしまうことが多々あって、そういうときに「ここで自分は何をやってるんだろうな」ってふと思ってしまう瞬間があったりしますね。きっと一緒にやっている、さいたま芸術劇場のスタッフの方たちもみんな「稽古場のこの状態が舞台に乗るといいな」と思ってると思うんですが、結局本番では“装う”ことになって、その装いがうまく運ばないこともあって……だから発表会か作品かという線引きはうーん……何が正解かってことがわからなくなりますね。

岩井 僕はそれについて考えることが、今回はすごく大きかった気がします。発表会でもいいのかなって気がするんですね。例えば僕、小金井市の交流センターで素人のオーケストラの演奏会を観たことがあるんです。自分たちが好きな格好をしてきていいってことで、みんないろんな服を着てて、それがその人たちの普段の生活が見えたようで面白かった。曲の完成度はそうでもなかったかもしれないけど、圧倒的に人間が見えたことが印象に残ってるんですね。だから、そういう個人の違いとかも含めて作品にするって考え方も、あると思うんです。「作品にする」ということだけ考えると、究極的には台本のためにすべてを犠牲にするのが一番いい考え方だと思うんですよ。でも台本通りやっててもはみ出る部分にゴールド・シアターの人たちの味があるし、台本をとにかくキレイにやるためだけだったら蜷川さんが本番でプロンプ(編集注:プロンプター。セリフを忘れた俳優にセリフを伝える役割の人)に立ったりしなかったと思う。そういう、できないんだけどやろうとする、でもやっぱりできないんだけどやろうとする、でもやっぱり……っていうところをやり続けているのが面白い気がするし、ゆくゆくは観る人が、これは発表会なのか作品なのかとかそういうことを気にせず並列に観られるようになるのがいいなってなんとなく思いますね。

左から岩井秀人、ノゾエ征爾、菅原直樹、渡辺弘氏。

菅原 僕はOiBokkeShiで芝居を作るときに、作品という意識で作ってます。ただこれまで5作品作ってきて、作品と発表会を行ったり来たりするような感じはとてもよくわかります。岡田さんは91歳なので、セリフを忘れますし、段取りも忘れるわけです。「カメラマンの変態」(2017年)では、もちろん作品として完成度の高いものを作ろうと思って臨んだんですけど、となるとミスが許せなくなってくるんですよね。

一同 あはははは!(笑)

菅原 脳梗塞で半身不随になっていて右側が動かないという役なのに、右手を動かしちゃうんですよ。すると「何やってるんだ!」って思ってしまう。あれだけWSで「老いを受け入れよう」って言っておきながら(笑)。で、本番前に「絶対に右を動かさないでください!」って僕も声を荒げるような感じで言ってしまったことがあって。あとで「91歳だから仕方ないな」って思い直して、その反省から新作の「ポータブルトイレットシアター」(2018年)では、間違えても許せるような、台本もセリフもないものにしようと思い、普段僕とやり取りしているのをそのまま再現するような感じの作品にしました。

岩井 インタビューみたいな?

菅原 そうです。僕が質問を投げかけてそれに答えてもらうような。それはどちらかと言うと発表会だったかもしれません。でもこういうようなあり方もいいのかなと思って。失敗とかハプニングがあったとしても、それを楽しむというのもありかなと思うんです。

岩井秀人

岩井 それ、すごく興味ある。今、自分たちで台本を書いてもらってそれをもとに稽古してるけど、ストーリーの内容に自分の記憶が近いと、稽古中でも勝手にそれぞれしゃべり始めちゃうのね。「そうそう、あのときのアメ公が持ってたオレンジがうまかったんだよ!」とか。劇団の公演とかじゃ絶対にないけど、やっちゃう人がいて、しかも実際に聞きたくなる話で、何より自然だから生かしたくなるんだよね。でも生かした瞬間に台本とはずれちゃうから、本当に途中でインタビューしたくなる!

菅原 そうなんですよねえ(笑)。

ある段階で、蜷川さんは開き直れた(渡辺)

渡辺弘氏

渡辺 蜷川さんの場合は、ゴールド・シアターのメンバーにあるクオリティを求めていて、それはプロの人がやるクオリティではなく高齢者ができる限りのレベルでのクオリティだったんですね。ただKERAさんの作品をやったときに、台本が初日の3日前に上がってきて、さすがに蜷川さんもこれはダメかもって思ったんでしょうね。“全部が稽古”っていう演出に切り変えて、プロンプターを劇場の中に配置し、ご自身も一緒に立った。あそこで開き直れたんだと思う。そういう意味ではKERAさんに感謝の部分もあるんですけど(笑)、だから蜷川さんも作品という形でゴールドにクオリティを求めてはいたけれど、どこかでそれを追求することは難しいなって諦めも持っていて、そのギリギリのところをやり続けていたんだと思いますね。ゴールドのメンバーがうまくやろうとすると怒るし、でもテンポが出ないと怒るしで、どっちなんだよと思いつつも(笑)、キワキワのところを探っていたのだと思います。また蜷川さんは作家を大事にする人だから、作家がせっかく書き下ろしてくれた戯曲を歪めてはいけないという意識も強くて、新作のときはゴールドの尻を叩きつつ、でも稽古中に役者たちからこぼれて出てくるものもすくい取りながら、葛藤していたと思います。

岩井 でもちゃんとこぼれがちな人たちを選んでると思いますよ。

渡辺 そうだね、確かに(笑)。

岩井 変な人多いもん。

一同 あはははは!(笑)

さいたまゴールド・シアター番外公演「ワレワレのモロモロ ゴールドシアター2018春」
さいたまゴールド・シアター番外公演「ワレワレのモロモロ ゴールドシアター2018春」

2018年5月10日(木)~20日(日)

埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO(大稽古場)

構成・演出:岩井秀人
出演:さいたまゴールド・シアター ユニット

渡辺弘(ワタナベヒロシ)
1952年栃木県出身。1980年より情報誌「シティロード」の編集など演劇ジャーナリストとして活動。84年に銀座セゾン劇場の開場準備に参加し、制作業務を担当する。89年にBunkamura開業準備に参加し、シアターコクーンの運営、演劇制作を手がけ、2003年には長野・まつもと市民芸術館の開業準備に携わりプロデューサー兼支配人として運営、制作業務を担当する。06年より埼玉・彩の国さいたま芸術劇場の業務執行理事兼事業部長。
岩井秀人(イワイヒデト)
1974年東京生まれ。劇作家、演出家、俳優。2003年にハイバイを結成。07年より青年団演出部に所属。12年にNHK BSプレミアムドラマ「生むと生まれるそれからのこと」で第30回向田邦子賞、13年「ある女」で第57回岸田國士戯曲賞を受賞。8月から9月にかけてハイバイ15周年記念「て」「夫婦」の同時上演、11月から12月にかけてフランス・ジュヌビリエ国立演劇センターにて「WAREWARE NO MOROMORO」を発表予定。NHK Eテレ「オドモTV」にレギュラー出演中。
ノゾエ征爾(ノゾエセイジ)
1975年岡山県生まれ。脚本家、演出家、俳優。99年にユニットとしてはえぎわを始動、2001年に劇団化。全公演の作・演出・出演を行う。12年「○○トアル風景」で第65回岸田國士戯曲賞を受賞。劇団外での活動も多く、近年の主な作品に「1万人のゴールド・シアター2016『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』」(脚本・演出)、「気づかいルーシー」(脚本・演出・出演)、SPAC「病は気から」(潤色・演出)、ニッポン放送「太陽のかわりに音楽を。」(演出)、文学座「鳩に水をやる」(脚本)など。また09年より世田谷区内の高齢者施設や障がい者施設を巡る世田谷パブリックシアター@ホーム公演に携わり、脚本・演出・出演を担当している。
菅原直樹(スガワラナオキ)
1983年栃木県出身。俳優、介護福祉士。青年団に俳優として所属(現在は休団中)。前田司郎、松井周、多田淳之介、柴幸男、神里雄大の作品などに出演する。2010年より特別養護老人ホームの介護職員となり12年に岡山に移住。14年より認知症ケアに演劇手法を活用した「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開し、同年岡山県にて「老いと演劇」OiBokkeShiを設立する。これまでの作品に「よみちにひはくれない」「老人ハイスクール」「BPSD:ぼくのパパはサムライだから」「カメラマンの変態」「ポータブルトイレットシアター」。なおOiBokkeShi×三重県文化会館による3年間のアートプロジェクト「老いのプレーパーク」が進行中。