4時間の上演時間を“生きる”
徳永 この作品には優秀なクリエイターがたくさん関わっていらっしゃいますが、中でもセノグラフィー、振付で参加されているcontact Gonzoの塚原悠也さんについてお聞きしたいです。塚原さんが岡田さんの作品に参加されたのは初めてだと思うのですが、クリエーションがスムーズだったことが観ていてよくわかりました。
岡田 そうですね。互いの美学が全然違って、でも互いのやってることをいいと思っているからだったんじゃないでしょうか。僕がやるようなことを塚原さんは絶対にやらないし、塚原さんがやるようなことを僕はできないので。塚原さんは演劇っていうコードを壊そうとしにいく。それがよくて、壊し方がカッコいい。でも実は僕は、演劇は絶対に壊れないという完全なる自信がある。だから「プラータナー」においては僕は、コンサバなことだけやればよかった。つまりお話がちゃんとわかるようにしようとか、根本的なコンセプトが崩れないようにしようとか、そういうことだけを。
徳永 劇中では脚立や電気コードなど、小道具が常に動かされますよね。おもちゃ箱をひっくり返したような状態から始まって、どんどん物の位置が変わっていく。気が付くと風景がガラリと変わっているその様子が、ちょっと飛び出す絵本みたいだなと感じました。
岡田 それいいですね! 「プラータナー」の飛び出す絵本!
徳永 (笑)。また上演時間が4時間と長く、その中にさまざまな時間と空間が詰め込まれていて、決して、わかりやすくない。チェルフィッチュの作品を観慣れている人にとっても、違う感覚が求められるものではないかと思います。「プラータナー」を見るコツを、岡田さんはどのようにお考えですか。
岡田 長いのをやりたくてこうなったわけではないんです。この小説を舞台化すると決めた時点で長くなることは運命付けられていた。最初に読んだとき、これは上演時間が6時間になるなと思ったんですよ。それが4時間になったんだから僕からすると、“すごくダイエットがんばりました”って感じなんですけど(笑)。
徳永 あははは。
岡田 まあ4時間は確かに長い。でも長さに意味はあります。というのはこの物語は1人の人間が人生に疲れていく話なので。だから観ているあなたも疲れよう、という。
徳永 実は私は、上演時間が極端に長い芝居が大好きなんです。劇場まで足を運ばせて、同じ場所に座らせて、食べるのもしゃべるのもスマホを見るのも禁止で、何時間も前を向いていろ、という強制力を働かせられるメディアって、今はもうそんなにないですよね。それをやれる演劇って、いいなと。終わると、観客同士にかすかな連帯感も生まれたりしますし(笑)。
岡田 “生きるってことは疲れることだ”とも言えます。だから「疲れた」ってことは、「生きた!」ということじゃないかと。
原作者ウティット・ヘーマムーンとは?
1975年タイ中央部サラブリー県ケンコーイ生まれのウティット・ヘーマムーンは、バンコクのシラパコーン芸術大学絵画彫刻版画学部を卒業。2009年に発表した3作目の長編小説「ラップレー、ケンコーイ」にて作家としての地位を確立し、同年の東南アジア文学賞とセブン・ブック・アワードを受賞したほか、CNNGoにてタイで最も重要な人物の一人として掲載された。13年に京都・京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで実施されたアーティストワークショップにて、タイの映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンと共に講師として参加し、日本のアーティストとの交流を通じて中編小説「残り香を秘めた京都」を執筆。17年6月に新作長編小説「プラータナー:憑依のポートレート」を発表した。なお同年8月にはバンコクにて、自らのドローイングと絵画による展覧会も開催するなど、多彩な活動を繰り広げている。
ヘーマムーンの自伝的小説「プラータナー:憑依のポートレート」は、16年のバンコクに住む画家のカオシンと、モデルの若者ワーリーとの関係を軸に、カオシンの過去の性愛や当時の社会背景などが描かれる。なおタイでの初演時にヘーマムーンは「岡田とすべてのスタッフの創造から生まれる、この作品の濃密な情動と感情。ぼくは、それを受け取った観客の反応を空想してみた。そこに、満足と喜びがあふれていた」とコメントを寄せている(参照:約4時間のパフォーマンスが展開、ヘーマムーン×岡田「プラータナー」タイで開幕)。また6月22日19:30より東京・ジュンク堂書店 池袋本店にて「『プラータナー 憑依のポートレート』(河出書房新社)刊行記念 ウティット・ヘーマムーン×岡田利規 トークイベント」が開催される。
自分たちの「足」はどこにあるのか?
塚原悠也コメント
Q1. クリエーションにあたり、原作小説から得たキーワードなどはありましたか? もしあれば、そこからどんなイメージが膨らんだのか教えてください。
原作にはとてもダイレクトな性的な単語が大量に出てきます。普段の社会生活ではあまり聞かない類の身体のさまざまな部位や行いに関する単語で、その世界観をどう反映させるのかということを考えました。パーソナルな距離感での皮膚感覚というのか。「怠惰な」という単語に想起する速度感をそこから得ました。近くで見るものは遠くで見るよりも遅い、とかそういうことですかね。
Q2. 岡田さんとのやり取りや創作の中で、印象深かったエピソードがあれば教えてください。
岡田さんが、セノグラフィーに関する一切を任せてくれたことですね。もちろん、何か提案してそれは楽しそうだとか、それはちょっと違うかもとか、現場でいっぱい話すのですが、当初予想していた以上の裁量と責任の大部分を引き受けました。あとはやっぱりバンコクで一緒にみんなでご飯を食べるのがたのしかったですね。僕は家庭の都合で5歳の長男も連れて行ったのですが岡田さんにもめっちゃ遊んでもらい助けられました。
Q3. 物語の内容もさることながら、タイの魅力的な出演者や照明、映像、音響など、さまざまな要素が詰まった「プラータナー」。今回が初見となる日本の観客に向けてぜひ、楽しみ方のアドバイスをいただけますか?
物語に登場する個人であれ、社会背景であれ、普遍性のある作品です。日本のあり方と照らし合わせてもかなりリンクする部分があります。僕自身はアジア圏の住人として(また美学専攻としても)特に共感したのは、自分たちが西洋の美術の文脈と自分自身の距離感をどう認識するのかという点でしょうか。憧れ満載ではやはりどこか不調をきたします。自分たちの「足」がどこにあるのかという点を改めて考えたいです。
- 塚原悠也(ツカハラユウヤ)
- 1979年生まれ。関西学院大学文学部美学専攻修士課程修了。2002年より大阪に拠点を構えたNPO法人ダンスボックスで運営スタッフとして活動。ダンサー垣尾優と06年にcontact Gonzoを結成する。現在は集団として活動し、パフォーマンス作品だけでなく映像、写真、インスタレーションの製作など活動は多岐にわたる。個人の名義として丸亀市猪熊弦一郎現代美術館でのパフォーマンス企画「PLAY」に参加し3年連続する3部作の作品を発表。また、ダンスボックスや東京都現代美術館などのパフォーマンスプログラムのディレクター、また20年より「KYOTO EXPERIMENT」の次期プログラムディレクターを務める。