自分のサイズ感を超えていけ!野村萬斎が語る、国立劇場養成所主任講師としての“覚悟”

2026年(令和8年度)に開講する国立劇場養成所第13期能楽(三役)研修の狂言方主任講師に、狂言師の野村萬斎が就任することになった。国立劇場養成所では、伝統芸能の伝承者を養成するため、1984年より、三役と呼ばれるワキ方、囃子方、狂言方の伝承者育成事業に取り組んでいる。能と狂言は室町時代に大成し、現在まで生き続ける舞台芸術だが、能楽という伝統芸能を未来につなぐため、萬斎は研修生たちにどのような期待を抱いているのか。主任講師としての“覚悟”を萬斎がたっぷりと語った。

取材・文 / 久田絢子撮影 / 須田卓馬

能楽は人と人とがダイレクトにつながれる、パフォーミングアーツの根源

──萬斎さんは、令和8年度から、第13期能楽研修狂言方の主任講師を務められます。現在の心境をお聞かせください。

これまで父(野村万作)が2回主任講師を務めまして、私は今回初めて主任を務めます。能楽の未来を担っていく方を養成するということで身の引き締まる思いですし、こんな時代だからこそ立派な能楽師、狂言師を育てたいなと思います。能楽をはじめ古典芸能、伝統芸能というものには基本的に“型”がありますが、つまりはそれだけ方法論が確立されているということです。その技術を身に付けることには多少なりとも時間が必要ですが、身に付けてしまえば非常に高性能な表現ツールとなり、しかも流行と関係なく一生付き合っていける。私の父が94歳まで現役をやっているように、非常に息の長いライフワークにすることもできます。もちろん、技術を得る過程には厳しい側面もありますし、現代日本人からすると伝統芸能の世界はまるで外国に留学するような感覚になる部分もあるかもしれません。しかし、そこはやはり日本に根付いた芸能ですから、やってみるとどんどん身に染み入るのではないかなと思います。能楽には特に、単純な構造だからこそ問われる部分、われわれが自分で積み上げなければいけない部分も多いのですが、単純な分、伝わればダイレクトに人と人とがつながれる感覚があります。これだけ便利な世の中になっても、パフォーミングアーツとしての根源を押さえていると感じられる瞬間です。

野村萬斎

野村萬斎

──能楽師、狂言師は、どのような人に向いている職業だと思われますか?

変身願望がある方にはぜひおすすめしたいですね。性別も超えられれば、神にもなれるし鬼にもなれますから。ある意味、コスプレ的なものができる、とも言えると思います(笑)。逆に、流行にばかり流されてしまう方というのはどうでしょうね。もちろん私自身は流行にも敏感なつもりですが、流行も意識しつつ、本質的なもの、押さえておくべき根源的なものに興味がある方がよいのかもしれません。そしてやはり、日本文化に対する気持ちがあれば、それに応えてくれる奥深い職業ではないでしょうか。それは寺社仏閣への興味でもいいですし、日本語への興味でもいいと思います。それから音楽的興味でもいいですね。囃子もシンプルな分、音楽性が非常に楽しいですし、掛け声や間については「宇宙に近い」という言い方をしたいところです。時には一拍が伸びたり縮んだりするという、ある種の法則性では割り切れない芸術性があり、それを探っていく面白さもあるんです。ですので、能楽は伝統芸能でありながら既視感というものがあまりないと思います。同じことしかやっていないように見えるかもしれないけれど、本質がわかり出すと毎回違って見えるんです。ローテクだからこそ、人間同士のコミュニケーションから生まれる、人間らしさがにじみ出るところがあるんですよ。

──万作の会でも養成研修修了者がご活躍されています。

万作の会では3名養成出身の能楽師がおりまして、彼らにすっかり頼っていて、いないと困ってしまいますね。彼らには共通して、芸へのひたむきさが非常にあると感じます。それはもちろん彼らに限らず、万作の会という1つのチームのカラーでもあるわけですが、芸をきちんとやる、芸で身を立てる、お客さんとコミュニケーションを取る、といったことを肌で一緒に感じてくれているな、という実感はあります。

──研修期間は基礎研修課程3年、専門研修課程3年の計6年となりますが、課程を終えた時点でどれぐらいの技術が身に付くのでしょうか。

基本技は6年あれば体得できると思います。その後は経験を積んでいくしかないですね。型だけやっていても、それがお客さんにどう受け取られるかは実践していかないとわからないことなので。3年経てばまず青翔会という能楽研修発表会の舞台に立てるようになり、4年目からはそれ以外の舞台にも立つことができるようになります。狂言の場合はいろいろな役があって、立衆という数人連れだって登場する役は4年目ぐらいからできます。

狂言「佐渡狐」より。左から高野和憲(第4期修了)、野村萬斎。

狂言「佐渡狐」より。左から高野和憲(第4期修了)、野村萬斎。

“巨大な先生”に直接教わり、自分のサイズ感を超えていく

──講師陣には有名な先生や、中には人間国宝もいらっしゃるというのは、非常にぜいたくなことだと思います。

やはりプロの先生に学べるということ、時には人間国宝の先生に直接お手ほどきいただける、お相手を願うこともできるということは、素晴らしくかけがえのないものなんじゃないでしょうか。自分だけで身に付けたものは自分のサイズ感を超えないですから、そういった先生方と一緒に舞台を勤めることで得るものは大変大きいわけです。“巨大な先生”の服を着て、それに合う体型になっていくという感覚でしょうか。つまり己のサイズ感を大きくしなければ埋められないというわけです。“巨大な先生”から直接教わることができる、こんなに夢のある場所はないんじゃないかなと思います。“学ぶ”という言葉は“マネブ”、つまり“まねる”から来ている。そういう意味で言うと、師匠のコピーをするというところが“型”を使った伝承の優れたところだと思っています。表現する方法論が確立しているので、それを習得してしまえば、自分を大きく表現できるようになるということですね。今これだけ自由な時代に、自分の表現をする前にまずは先生のまねをしないといけない、というのは少し不思議な感覚かもしれません。しかし、ゲームにたとえて言えば、まずはアバターにならないとゲームの世界に入れないのと一緒で、能舞台というシンプルな芸能の中に立つには、構えや歩き方という基本的な技術をマスターしないといけないよ、という言い方で伝わるでしょうか。

狂言「ぬけから」より。左から野村萬斎、深田博治(第4期修了)。

狂言「ぬけから」より。左から野村萬斎、深田博治(第4期修了)。

──主任講師になるにあたり、やってみたいことなど、何かお考えはありますか。

私は新国立劇場の演劇研修所でも教えているのですが、目的意識を与えて教えたほうが現代の子にはいいだろうな、ということは思いますね。ゴールをちゃんと見せてあげて、そこに行くためにこれが必要だ、という言い方をするとか。昔ながらの教え方だと、わからなくてもとにかくやってみろ、というやり方も有効なときはもちろんありますが、私自身が教える経験を重ねる中で、言葉にして伝える訓練をしてきたところがありますので、そこは一つ、私の教え方として持っておきたいかなと思います。

──能楽師、狂言師という職業がどのようなものかイメージが湧かない方もいらっしゃるかもしれません。

能楽師、狂言師になれば、外国の方も含めて老若男女とコミュニケーションできるよ、しかも身一つでほぼできるよ、ということはお伝えしたいですね。“トランクシアター”という言葉がありますが、特に狂言はスーツケースに装束を詰めて行けば、路上ライブだってできなくはないというくらいシンプルなんですよ。体得した技術で人を楽しませることができる。若い方には、もっと気軽に能楽とご自分の共通点を見いだしてもらいたいですね。狂言には、漫才やシチュエーションコントのようなものもありますし、リズムネタのようなものもあるんですよ(笑)。先ほども申しました通り、長く付き合うことができ、世界に認めてもらえて、多くの人とコミュニケーションを取ることができ、人に夢を与えられるという、とてもやりがいのある仕事だと思います。

700年の積み重ねがある能楽は簡単に壊れるものではない

──萬斎さんは近年特に、新作狂言にも精力的に取り組まれていて、能楽の可能性をさらに押し広げている印象です。

今はマンガが原作の「鬼滅の刃」や「日出処の天子」も能狂言としてやっていますが、決して伝統芸能としての能楽から離れたことをやっているわけではないんです。たとえば「鬼滅の刃」は鬼退治をするわけですが、ただ殺すということではなくて、鎮魂的なイメージがあるところが能と同じなんですね。日本の文化というのは、室町時代と今とで離れたものになっているかというとそんなことはなくて、やはり根本的にはつながっている。人間自体が大きくは変わっていないから、人間を描く、表現するという点ではとても息が長いし深みもある芸能なんです。能楽は700年前のものをやっているのではなくて、700年間生きてきたものをやっています。その時代に生きる人が演じ、その時代に生きる人が観る、ということを700年間やってきた。それだけ積み重ねてきたものは簡単に壊れるものではないので、戦争があろうがコロナがはやろうが、それを乗り越えてずっと続いてきたわけです。

狂言「人を馬」より。手前左から内藤連(第8期修了)、野村萬斎。

狂言「人を馬」より。手前左から内藤連(第8期修了)、野村萬斎。

──伝統芸能といっても古いものを大事にするだけではなく、そこに今を生きる人の生き様や思いをさらに積み重ねていく、という感覚でしょうか。

能楽は今や古典だけではなくて、新作をやること、最新のテクノロジーとコラボレーションすることだって珍しくありません。時間も国も宗教も文化も超えて人と結び合えるという、根源的なものを実感することによって、自分に対して大いなる可能性を感じてもらえるところが魅力だと思います。シンプルだからこそ技術の磨き甲斐があるし、そうやって己を磨いたうえで、その人間性が舞台に現れるという、ある種恐ろしいものではありますが、その点では少しスポーツにも似たようなところがあるのかな。身体で表現すること、声を出すことが好きだったら、その思いに非常に応えてくれる芸能だと思いますよ。堅いようでいて、ぶっ飛んでいるところもありますから(笑)。「舎利」という能の演目は、速疾鬼という盗みを働いた鬼を、韋駄天という足の速い神様が追いかけて捕まえる、というお話なのですが、お囃子の演奏に乗せて三千大千世界を走る場面は、宇宙空間を表現しているわけですよね。謡にはそうした物語の背景が書かれているので、それを理解して想像しながら観るととても面白い。人間の想像力で遊ぶことができるところが、能楽の最大の魅力であるのかもしれませんね。観たままではなくて、自分の想像力で補完する面白さがあるのだと思います。

能楽の型を習得すれば、表現の幅が広がる

──研修内容の中に実技として、ワキ方、狂言方、四拍子(笛・小鼓・大鼓・太鼓)、謡などが含まれています。三役のうちどれを専門にするかに関わらず、まずはそれぞれをまんべんなく学ぶことになるのでしょうか。

能楽は総合芸術なので、音一つ、響き一つ、声の質一つがとても大事になります。少ない情報を豊かにしなければいけないという意味でも、能楽を多角的に学ぶ必要があります。舞台を構成するものとして、狂言にも謡がありますし、謡を知らないと間狂言もできませんし、囃子方に出演してもらうためにはこちらも囃子を知らないといけない。やはり壮大で豊かな世界を描こうとすると、囃子は必要になります。特に「鬼滅の刃」や「日出処の天子」ではさまざまな要素が必要だったので、囃子方にもご出演をお願いしました。

──養成所に入られる方に期待することがあれば教えてください。

日本人としてのアイデンティティを感じられる職業なのではないかと思いますし、日本だけでなく世界中で人を喜ばせることができる、その瞬間瞬間がかけがえなく、やりがいのある職業だと思いますので、そういう誇らしい気持ちを持っていただけたらうれしいですね。そしていずれは重要無形文化財保持者になってもらいたいですし、それを荷の重さと感じるのではなく、晴れがましく思ってもらえたらいいですね。

──狂言方には万作さんをはじめ、九十代になられてもなお現役でご活躍の方がいらっしゃるので、きっと狂言は健康に良いのでは、と思っているのですが……。

それは私も思ったことがありますよ(笑)。実際に、能楽界の最長老は狂言方ばかりですよね。一つは笑いを扱うということがとても重要で、笑いは免疫力を上げるという説を証明しているのではないでしょうか。大きく笑って横隔膜を使い、発声し、適度に身体も動かしていて、でも決して過度なことをやるわけではない、というのもいいんじゃないかと思います。

──最後に、応募を考えていらっしゃる方へメッセージをお願いします。

お稽古自体は型にはまらなければいけないし、それを身体に入れ込むというのは大変な作業ではありますが、必ずや報われるし、達成感を感じられます。言うなれば、養成所は車の免許を取るようなものかもしれません。最初はあまり面白くないところから始まるかもしれないけれども、免許取ってしまえばどこにでも移動できるようになるし、行動範囲が広がるようになるのと同じで、型を身に付ければ表現する方法はいくらでも広がっていきます。そして、研修生と師弟関係になるということは親子に近いものでありますから、新たな家族を迎え入れるようなつもりで私も責任を持ってお預かりさせていただきますし、1人の立派な社会人になるべく育てる覚悟を持って、皆様のご応募をお待ちしております。

国立劇場養成所 第13期能楽(三役)研修生募集

国立劇場養成所 第13期能楽(三役)研修生募集のビジュアル。

国立劇場養成所 第13期能楽(三役)研修生募集のビジュアル。

募集期間:2025年10月1日(水)~2026年1月30日(金)
選考日:2026年2月12日(木)

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プロフィール

野村萬斎(ノムラマンサイ)

1966年、東京都生まれ。狂言師。重要無形文化財総合指定者。「狂言ござる乃座」主宰。東京藝術大学音楽学部卒業。国内外で多数の狂言・能公演に参加する一方、現代劇や映画・テレビドラマの主演、「敦-山月記・名人伝-」、能狂言「鬼滅の刃」「日出処の天子」など古典の技法を駆使した舞台の演出など幅広く活躍。1994年に文化庁芸術家在外研修制度により渡英。2002年から2022年まで世田谷パブリックシアター芸術監督を務め、現在は石川県立音楽堂アーティスティック・クリエイティブ・ディレクター。2018年、演出・主演作「子午線の祀り」で毎日芸術賞千田是也賞、読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞。