“鳥肌が立つ瞬間”を追い求めて 人形遣い・桐竹勘十郎が「平家女護島」で“本当の初役”俊寛に挑む「令和7年5月文楽公演」 (2/2)

「令和7年5月文楽公演」は大好きなキツネ尽くし

──「令和7年5月文楽公演」では、第三部「俊寛」のほか、第一部で「芦屋道満大内鑑」、第二部で「義経千本桜」が上演されます。「芦屋道満大内鑑」では、「加茂館の段」「保名物狂の段」「葛の葉子別れの段」「信田森二人奴の段」が上演されます。安倍晴明の母親でもある葛の葉を描いた「葛の葉」「二人奴」の上演は多く、また「保名物狂の段」も2021年に上演がありましたが、「加茂館」の上演は2009年以来のことです。

「加茂館の段」から上演することで、話はよくわかるようになりますよね。さきほど3人遣いの話が出ましたが、3人で遣うようになったきっかけが「二人奴」と言われてるんですよ。ここでは、保名の家来である人間の与勘平と、キツネが与勘平に化けた野干平という瓜二つの奴が、それぞれ上手下手から、同じかしらと衣裳で登場します。段切れのところで、この奴2人が、葛の葉姫と安倍童子を乗せた駕籠を持ち上げるんですが、そのときに3人遣いなら、手も足も使って、左右対象で決まれるんです……ちょっと再現してみましょうか(笑)。

駕籠を持ち上げる、奴の動きを再現してくれた桐竹勘十郎。

駕籠を持ち上げる、奴の動きを再現してくれた桐竹勘十郎。

「二人奴」のときに始まらなくても、いずれは3人遣いにはなっているかもしれませんが、この3人遣いの動きがお客さんに受けたことで、3人遣いが浸透していったようです。1人遣いのときは、人形に足がありませんでした。足がつくことで、より人間に近い動きができるようになったのは大きいですね。あと、私はキツネが大好きなんですけど、「保名物狂の段」にはキツネが出てくるのでうれしいです(笑)。

──「葛の葉」には葛の葉、「二人奴」には野干平と、人間に化けたキツネや、人間に近いフォルムのキツネが文楽にはよく出てきますが、「保名物狂の段」には動物のキツネの形をした、白狐が登場します。

第二部の「義経千本桜」にもキツネが出てきますので、キツネが出てこないのは「俊寛」だけ。あ、でも、島にキツネがいた可能性はありますよね。ひょっとしたら、奥のほうでキツネがウロウロしているかもしれません(笑)。

桐竹勘十郎

桐竹勘十郎

──第二部の「義経千本桜」は、三大名作の1つ。佐藤忠信が、落人となった源義経から静御前を託されるまでを描く「伏見稲荷の段」、船宿・渡海屋の主人に身をやつし、安徳天皇を守っていた平知盛と義経の対峙「渡海屋・大物浦の段」、そして忠信と静御前の旅路を描く舞踊「道行初音旅」が上演されます。今回は演じられませんが、文楽ファンとしては、「狐忠信と言えば勘十郎さん」というイメージです。

一番好きな時代物を挙げなさいと言われたら「義経千本桜」を選ぶぐらい、思い入れのある作品です。「菅原伝授手習鑑」も「仮名手本忠臣蔵」もそうですが、名作っていうのは、どの段を観ても面白い。忠信は、足遣いの頃に憧れていた役の1つで、端役の主遣いを配役されるより、主役の足をさせてもらえるほうがよっぽどうれしかったのを覚えています(笑)。タイトルにもある義経って、ギ・ツネとも読めるでしょ。狙ってつけたという説もあるんですよ(笑)。道行も名曲ですよね。本当はね、源九郎狐をやりたいんですけど……(今回、佐藤忠信実は源九郎狐を遣う吉田)玉助くんにはがんばってほしいですね(笑)。

──狐忠信への愛が、あふれていらっしゃいます(笑)。勘十郎さんは、「渡海屋・大物浦の段」の知盛を、吉田玉男さんに代わり5月10日だけ演じられます。知盛を遣うのは、2016年の本公演ぶりです。

知盛も、憧れの役の1つでした。「義経千本桜」というタイトルですが、各段に出てくるのは平家の武将たち。彼らが実は生きていた、というのが面白い発想ですよね。

俊寛の人形。

俊寛の人形。

俊寛の人形。

俊寛の人形。

俊寛の人形。

俊寛の人形。

あちこちに行くのは良いこと

──シアター1010で文楽公演が開催されるのは3度目です。劇場の印象はいかがでしょうか。

国立劇場の閉場後、最初に公演が行われたのがこの劇場でした。舞台も使いやすいですし、日比谷線、千代田線、JR常磐線、東武スカイツリーライン、つくばエクスプレスと、いろいろな線が入っている駅なので、来ていただきやすいのではないでしょうか。お客さんからは「お店もたくさんあって便利なところ」と伺っています。国立劇場に通われていたお客さんは、ちょっと行きづらいと思われるかもしれませんが、これまで文楽公演をあまりご覧になられなかった、劇場の近くにお住まいの方々が観てくださるので、あちこちに行くのは良いことだとも捉えています。

桐竹勘十郎

桐竹勘十郎

桐竹勘十郎72歳、新たな挑戦

──勘十郎さんは、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」へのご出演や、子供向けのワークショップを行ったりと、文楽の魅力を広く訴求されてきました。

信号待ちをしていたら、「いつも観てます」とお声がけいただくことも多く、うれしいですね。小学校でのワークショップも24年目になり、子供たちのどこかに、文楽の記憶が残ってくれたらありがたいと思っています。「にほんごであそぼ」は、撮影が冬の寒い時期だったり、真夏の炎天下だったりと、大変なことも多くて(笑)。それでも、子供たちが観てくれているというので、続けていました。撮影用に、犬やカッパ、タヌキなど、いろいろな動物の人形を作ったのも、楽しかったです。自分で言うのもなんですが、すごく出来がよくって(笑)。いつか舞台に出してやりたいなとは思っています。

──また昨年は、文楽とアニメーションのコレボレーション公演「『曾根崎心中』天神森の段」が上演されました。本作では、勘十郎さんが映像監修を担当し、「となりのトトロ」「この世界の片隅に」などを手掛けたアニメーション美術監督の男鹿和雄さんの絵を使用した背景美術が、大道具の代わりに使用されました(参照:アニメーション技術で深い森の奥へ観客をいざなう、「BUNRAKU 1st SESSION」上演中)。心中に向かうお初と徳兵衛の悲しい物語ですが、2人が入っていく深い森は美しいアニメーションで表現され、幻想的でした。3月に東京・有楽町よみうりホールで国内上演をしたあと、本作は昨年9月から10月にかけてアメリカ5都市で上演されました(参照:アメリカ5都市で文楽公演を実施、文楽×アニメコラボの「曾根崎心中」ほか上演)。

人形が負けるんじゃないかと心配してしまうぐらい(笑)、本当にきれいでしたね。映像に関しては素人なので、「気がついたことがあれば言います」という形でお手伝いさせていただきました。制作過程も本当に楽しくって。というのも、僕は男鹿和雄さんの大ファンなので、下絵を拝見した段階でもうドキドキしてしまって(笑)。「ご意見いただけたら、すぐ描き直します」と言ってくださって、恐れ多くも「このあたりに、少し紫を足していただければ」とお伝えしたら、すぐに素晴らしい絵が戻ってきて、感動しましたね。いつもの大道具とは違って、アニメーションなので、横に移動していったり、また奥に入っていくような映像になったりと、そういった視覚的な効果が素晴らしくて、大成功だったと思います。強いて言えば、お初か徳兵衛のどちらかをやりたかったなあ(笑)。文楽自体、時代と共に進化する可能性はまだまだあると思っています。例えば、「夏祭浪花鑑」の泥場なんかは、昔は本水を使っていたらしいのですが、今なら耐水の素材を使って復活させられるのでは……なんてことを考えています(笑)。

桐竹勘十郎

桐竹勘十郎

映画に“俳優”として初出演

──また昨年は、中尾広道監督の映画「道行き」に俳優としてご出演されました(参照:中尾広道×渡辺大知の「道行き」PFFでお披露目決定、人間国宝・桐竹勘十郎が映画初出演)。主人公の青年・駒井が、奈良・御所市に住む73歳の梅本から古民家を購入したことで、2人に縁ができるという物語で、駒井を渡辺大知さん、梅本を勘十郎さんが演じました。勘十郎さんにとって映画出演は、初挑戦でしたね。

「幕開き三番叟」では人形遣いとして声は出しますが、セリフを発したのは、1987年に姉(俳優の三林京子)と南座で一緒にやった父の追善(三林京子 吉田簑太郎 ジョイント公演「鏡影綺譚」)以来ですね。この追善公演も、私は謎の人形遣いという役どころで、本当はセリフも吹き替えの予定だったんですけど、本番前日に「やっぱりセリフを言ってほしい」と演出の方に言われて急遽セリフを言うことになったんです(笑)。映画の出演も「私は人形遣いですから、セリフなんて言えません」と最初は断ったんですけど、監督から「この梅本という人物は、勘十郎さんなんです」「セリフが覚えられないのであれば、カメラに映らないところに台本を貼りますから」と丸め込まれて(笑)。最終的に、こんなオファーが来ることはもうないだろうし、これも勉強かなと引き受けました。なるべくセリフは少なくしてくださいとお願いしたんですけど、台本を開いたらセリフが多くって。家の中を案内する長回しのシーンも、結局台本は貼らず、ちゃんと覚えました(笑)。役者さんというのは、大変な仕事やなと思いましたね。

──人形を遣われるときと、生身で演じられるとき、“演技”という面で違いはありましたか?

全然違いましたね。人形でしたら、どんな役でも思ったように動かせるんですけど、自分の身体だと、全然動かなくて。日常でやっているような動きでも、演技だとぎこちなくなってしまうんです。人形を遣ってるほうが、よっぽど楽です(笑)。

──俳優であるお姉さんからは、何かアドバイスは?

いえ。僕が映画に出るということで、姉は「台本、見せてみ」と言ってくれていたんですけど、見せませんでしたね(笑)。僕自身は、昔から人前で何かをやるとか、しゃべるということが全然駄目な、内気な少年やったんですよ。昔のアルバムなどを見ると、いつも親か姉の後ろに隠れているんです。僕が、人形遣いで本当に良かったなと思うのは、写真での親や姉のように、僕の前に人形がいてくれること。ここに人形さえいてくれれば、前に何万人いようが、もう全然気にならないんです。だから人形にはものすごく感謝していますし、人形がいたからこの仕事を選んだと思っています。

桐竹勘十郎

桐竹勘十郎

──もし、また俳優として演じるとしたら、どんなお役がよいでしょうか?

もうセリフはなくていいのですが(笑)、鎧を着るのは、子供の頃からの憧れですね。時代劇で、鎧を着て兜をかぶって、馬に乗ってみたいです。矢が刺さって落ちて、やられてしまう役でいいんです。

──勘十郎さんは人形遣いとして、新作にも精力的に取り組まれていらっしゃいますが、これからどんなことに挑戦されたいですか。

本当にやりたいことはいっぱいあって。そのうちの1つが、「レディホーク」という、昼夜で姿を変える騎士とお姫様を描いた映画を、文楽にするということ。昼はお姫様が鷹、夜は騎士が狼に姿を変えてしまうのですが、そのお姫様から鷹になる早替りを、お客さんの前でお見せできたら、とっても素敵で面白いんじゃないかなと。20年以上前から早替りの仕掛けを考えていて、模型も作ったことがあるんです。もし実現できるなら、僕はどんな役でもやります(笑)。

桐竹勘十郎

桐竹勘十郎

プロフィール

桐竹勘十郎(キリタケカンジュウロウ)

1953年、大阪府生まれ。二代桐竹勘十郎を父に持つ。1967年に三代吉田簑助に入門。1968年に吉田簑太郎の名で初舞台。2003年に三世桐竹勘十郎を襲名。2008年に紫綬褒章を受章。2021年に重要無形文化財「人形浄瑠璃文楽人形」保持者の各個認定(人間国宝)を受ける。2025年に日本芸術院会員に選出された。