5月に東京・シアター1010で上演される「令和7年5月文楽公演」には、高名な陰陽師・安倍晴明の出生の秘密が描かれる「芦屋道満大内鑑」、三大名作の1つ「義経千本桜」、そして流刑となった僧・俊寛の運命を描く「平家女護島」と、人気作がぎゅっと詰まっている。
ステージナタリーでは、「平家女護島」で俊寛を遣う人形遣い・桐竹勘十郎にインタビュー。勘十郎が1カ月の本公演で俊寛を演じるのは、今回が初めてのこと。「一度はやってみたいと思っていたお役」と話す俊寛への意気込み、そして“人形遣い”という仕事への思いをたっぷりと語ってもらった。
取材・文 / 櫻井美穂撮影 / 藤田亜弓
俊寛は“本当の初役”
──「令和7年5月文楽公演」では、勘十郎さんは第三部の「平家女護島」より「鬼界が島の段(通称「俊寛」)」で、主人公・俊寛を遣います。俊寛は、平清盛への謀反を企てた罪により、鬼界ヶ島に流された高僧です。俊寛は、一緒に島流しに遭った丹波少将成経、平判官康頼と共にわびしい暮らしをしながら、妻を残した都に帰る日を待ちわびています。俊寛をおやりになるのは、今回が初めてでしょうか?
本公演では初めてですが、山口県長門市で行われた1日限りの公演「第一回近松文楽」(2013年、山口・ルネッサながと)で1度だけやらせていただきました。ただ、そのときはあまりお稽古もできませんでしたし、足遣いも左遣いも経験がないので、今回が我々で言うところの“本当の初役”です。前々から一度はやってみたいと思うお役で、長門でやったときもうれしかったのですが、今回本公演として1カ月間勉強できるのは、本当にうれしいですね。ただうれしいのと、実際にどれだけ遣えるかは別物なので、しっかり準備はしたいです。また、人形浄瑠璃は、太夫さんと三味線弾きさんによって解釈が変わるもの。今回は、太夫を(豊竹)若太夫さん、三味線を(鶴澤)清介さんがなさるので、先代の(初代吉田)玉男師匠の俊寛を基本に、私も工夫をして挑みたいですね。父(二代勘十郎)も「俊寛」を数回やっていますが、圧倒的に敵方の瀬尾(太郎兼康)ばっかりでした。玉男師匠(の俊寛)とうちの親父(の瀬尾)の組み合わせでの「俊寛」は、すごく記憶に残っています。
──先代の玉男さんの俊寛は、どのような点が魅力でしたか。
無駄な動きがないところですね。俊寛は、島に流されて身体も弱っていますし、高僧でもあります。そういったイメージも、少ない動きの中から出したほうが伝わるのではと思います。ただ、僕は女方の人形でも、ちょっと動かしすぎる傾向にあるので、できるかどうかはわかりません(笑)。
──作品の見どころについてはいかがでしょうか。歌舞伎ですと、島に1人残されることを選んだ俊寛が、それでも去っていく船を追いかけてしまう「思ひ切つても凡夫心」という段切れが印象的です。
そこは文楽でも見どころでもありますし、播磨屋さん(二代目中村吉右衛門)がおやりになったのも観ておりますが、やることは(文楽と歌舞伎で)大きくは変わりません。ただ細かいところでどう気持ちを入れていくかで、全体が変わってくるかなとは思っています。僕としては、ほのぼのとした前半から、空気感が目まぐるしく変わっていく部分に魅力を感じますね。島流しという目に遭い、みすぼらしい姿で、大したものを食べていない俊寛たちですが、それでも彼らには、それなりの楽しみもある。成経が、婚約者として千鳥を連れてくる場面は、語りも幸福そうで、意外と楽しそうにやっているなと思っていただけるかと(笑)。そんな幸せなムードの中で赦免船がやってきて、もっと幸せになるはずなのに、ここからはどんどん悪いほうに進んでいきます。このジリジリした展開が、僕はすごく好きです。また、俊寛と瀬尾の立ち回りのシーンですが、あれは妻の死を知り、失うものが何もなくなったからこそ、俊寛に“見えない力”が働いたんだと思います。1時間ぐらいのお芝居ですが、場面はどんどん展開していきますし、俊寛の絶望感や葛藤も感情移入していただきやすいと思いますので、初めて文楽をご覧になる方でも、字幕なしでもわかると思います。
3人で遣う人形、大事なのは“呼吸”
──俊寛のかしらは、「菅原伝授手習鑑」の菅丞相にも使われる、丞相というかしらです。今回は、5月公演に出演する俊寛の人形を特別に持ってきていただきました。ちなみに、人形に“遣いやすさ、遣いづらさ”といったものはあるのでしょうか?
ありますが、初日が開いてしまえば、自分で組み立てた人形にぴったり合う動きを自分で作っていかないと、誰も助けてくれません。人形を遣うっていうのは摩訶不思議なものでして、初日から千穐楽まで、毎日同じように遣えているかと言われるとそうでもないんですよね。ときには人形遣いと人形が噛み合わなくて、人形が“動かなくなる”日もあります。そういうときは、人形遣い側に原因があるんです。雑念があるのか、体調が悪いのか……人形に見透かされているような気持ちになりますね。俊寛は無事に動いてくれたらと思いますが。
──また人形遣いは、主遣い、左遣い、足遣いの3人で人形を遣う必要がありますが、1つの役を演じるうえでどのように息を合わせているのでしょうか?
3人遣いの場合は、主遣いが左遣いと足遣いに合図を出しながら演技をしますが、その合図のタイミングや大きさを、人形遣いの経験値に合わせて送っています。主遣いには、人形だけではなく、左遣いと足遣いに対する責任もあって、例えばまだ慣れていない人と一緒の場合は、いつもより早めに、わかりやすい合図を出すといった心がけが必要ですね。でも、3人遣いは本当によくできた仕組みなんです。1719年に近松門左衛門さんが「平家女護島」を書いた頃は、まだ1人遣いだったんですよ。門左衛門さんさんが亡くなって10年後ぐらいに、3人遣いが考案されたんです。興味があって、1人遣いだった当時の人形を、残っている資料を見ながら復元したことがあるんですけど、思ったようには動かなかったですね。なので、3人遣いが考え出されて、本当によかったなと(笑)。
──3人で人形を遣うときのコツはあるのでしょうか。
技術的なことはやっていればだんだん上達しますが、難しいのは主遣いが表現したい“人物の性根”を、左遣いと足遣いが捉えることですね。役の気持ちを掴むために大事なのは、呼吸です。特に足遣いは足を動かしているとき、肘や腕が主遣いの腰に当たっているので、そこで主遣いの呼吸がわかるわけです。僕が足遣いをやっていた頃、自分の息遣いが師匠の邪魔にならないように、呼吸を合わせようとしていたんですけど、ぐっと息を詰める芝居のとき、師匠が息をしているのかわからないぐらい、薄い呼吸をしていることに気がついて。逆に自分が主遣いをやらせてもらうようになってから、役に合わない呼吸をすると、その人物にはならないということを理解しました。例えば気品のあるお姫様が、ハッハッハッハと呼吸をしていたら、お姫様には見えないですよね。激しい場面は激しい呼吸、だんだんと気持ちが高まっていくのであればそれに応じた呼吸、手負いになったら手負いの呼吸と、場面場面で変わる呼吸に合わせていけば、自然とその役に見えてくるんですね。最初から最後まで、3人全員の呼吸を合わせる必要はないと思いますが、ここぞというときには呼吸を合わせるのが理想的ではあります。
また人形浄瑠璃は、太夫の語りが肝心です。太夫の語りと三味線、そして人形の演技の“三業”で構成されていますが、それぞれがピタッと合った瞬間というのは、きっとお客様にも伝わると思うんです。僕は、師匠の足遣いをやっていて、鳥肌が立った瞬間が何回もあるんですけど、あれを味わうともうやめられないですね。僕らは毎日、その瞬間を追い求めてやってはいるんですけど、それが初日にあるのか、千穐楽にあるのか、何日目にあるのかは、誰にもわかりません。今回の「俊寛」では、太夫の若太夫さん、三味線の清介さんと一緒に、私も精一杯できればと思っています。
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