市川染五郎と齋藤雅文が新たに作り出す信康像、6月は「信康」で会いましょう

“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”をキャッチコピーに、コロナ禍でも工夫を凝らし、毎月多彩な演目を上演している歌舞伎座。6月は、市川染五郎が歌舞伎座で初主演を勤める「信康」に焦点を当てる。

徳川家康の嫡男で“悲劇の武将”と言われる信康を、これまでの荒っぽいイメージに加えて、理知的な人物というアプローチで立ち上げる今回。染五郎と演出の齋藤雅文は作品に対し、静かだが強い思いを抱いていた。

取材・文 / 川添史子

理知的で情熱的だけど内に秘めた考えもある、新しい信康像を

──「六月大歌舞伎」第二部『信康』で、染五郎さんは徳川家康の嫡男・徳川信康役を勤められます。戦国時代に翻弄される親子の運命、織田信長に謀反の嫌疑をかけられ、21歳の若さで切腹する信康の悲劇……ドラマチックな物語、楽しみです。これが歌舞伎座での初主演作品になりますね。

市川染五郎 緊張感はありますが、主役であろうが、脇役であろうが、役を演じる気持ちは常に同じです。信康という人物を丁寧に掘り下げて、物語をお客様にお届けすることだけに集中して演じたいと思っています。

市川染五郎扮する徳川信康。

市川染五郎扮する徳川信康。

──1974年(信康=澤村精四郎、現:藤十郎)、1996年(信康=市川新之助、現:海老蔵)に上演された田中喜三作「信康」が上演されるのは今回が3度目、約26年ぶり。今回は染五郎さんをイメージし、少し手を入れたそうですね。

齋藤雅文 手を入れたと言っても、具体的にいうとセリフの末尾についた「!」や「っ」を取る程度ですが(笑)、“信康”という歴史上の人物の魅力を、もっと多角的に、そして現代を生きる僕たちなりに捉え直して演出したいとは考えています。信康というと映画「反逆児」(※)も有名で素晴らしい作品ですが、舞台も映画も、いずれも荒っぽい男のイメージとなっています。でもそれが信康のすべてではないですし、もっときちんと対話をする、理知的な人物として造形しても良い気がして。情熱的だけど内に秘めた考えもある、新しい信康像を立ち上げたいと思っています。

※1961年伊藤大輔監督「反逆児」は大佛次郎の戯曲「築山殿始末」の映画化で、若さと野心あふれ、時に残酷で非道な振る舞いも見せる信康を演じたのが初世中村錦之助、後の萬屋錦之介。1964年には伊藤の脚色・演出でこの「反逆児」を舞台化。ちなみに2009年に上演された「反逆児」は、齋藤雅文補綴・演出、中村獅童主演。

染五郎 映画や過去の舞台映像を拝見したり、齋藤さんと相談し、いろいろと教えていただきながら台本を読んでいくと、どんどん信康の胸の奥にある思いが見えてくる気がしています。こうして感じたことを入れ込んで、現代のお客様にも共感していただけるような信康を見つけたいと思っています。

齋藤 「信康」は、織田信長という巨大な力、いつ攻め込んでくるか分からない理不尽な暴力を前に、家康とその息子が葛藤し、互いを思い合った末に迎える悲劇の物語です。今回台本を読んだ方たちからは「ロシアからの侵攻を受けているウクライナのことを考えた」とも言われました。そこに現代の若者である染五郎くんを重ねて演出していけば、自然と新しい輪郭が見えてくる気がしています。

齋藤雅文

齋藤雅文

市川染五郎

市川染五郎

「この辺りに信康が立っていたのかな」と想像しながら

──信康が城主を務めたことがある岡崎城、その後、家康に命じられて移った遠州二俣城、信康を供養するために家康が建立した清瀧寺など、お二人でゆかりの地を巡ったそうですね(参照:市川染五郎、自身が演じる徳川信康ゆかりの地を訪問「悲劇的な運命、強さを肌で感じた」)。

齋藤 岡崎城から二俣城までは、バスでもけっこうな距離なんです。僕にはそれが、息子を死なせたくない父親が苦悩しながら、「ここまでいけば息子は助かるだろうか」と、(信長のいる)安土城から遠い場所に移動させたように感じられて。実際にその土地を動きながら想像すると、グッとくるものがありました。石垣だけになった二俣城跡に立ってみると、天竜川がすぐそこなんです。僕たちが行った日はあいにく天気が悪かったのですが、雨に霞む天竜川と信濃の山並みを染五郎さんと傘を差して眺めながら「この川を越えたら信康も生き延びられたのにね」と話したんだよね。

清瀧寺にて、市川染五郎。

清瀧寺にて、市川染五郎。

二俣城跡にて、市川染五郎。

二俣城跡にて、市川染五郎。

染五郎 はい。「この辺りに信康が立っていたのかな」「あのセリフはこの風景を想像しながら言いたいな」と、現地に足を運ばないと想像できなかったこと、感じ取れなかったことがいっぱいありました。岡崎城では学芸員の方にご案内いただいて、家康のこともたくさん知ることができましたし、歴史の知識としての家康だけではなく、父親として血が通った人間・家康にも想像を巡らすことができました。

岡崎城にて、左から齋藤雅文、市川染五郎。

岡崎城にて、左から齋藤雅文、市川染五郎。

齋藤 「自分がここで死ななくては、自分の国、父のいる城が信長に攻められるかもしれない」と自刃を決意した信康の切なさ、凛々しさ、青春真っただ中での潔い決断……胸に迫るものがありますよね。当時、徳川家が家康派と信康派に分かれ、内部に政治的な対立があったという説もあります。でも切腹させるだけなら、わざわざ移動させる必要ありませんからね。すぐに命令を下すことができない父の迷いがあったんじゃないでしょうか。日本の歴史では「成功者」として語られる家康の人生に起こった、痛恨事だったと思います。