1976年に初演された、ミニマルミュージックの巨匠フィリップ・グラスと、マルチメディアを用いた空間演出の先駆者ロバート・ウィルソンによる異色のオペラ「浜辺のアインシュタイン」が、平原慎太郎の新演出で上演される。明確な物語はなく、繰り返されるフレーズの中でダンサーたちが紡ぎ出すシーンの連続は、舞台芸術が持つ無限の可能性を体感させてくれる。日本では約30年ぶりの上演となる今回の上演に、平原はどう挑むのか。ステージナタリーでは本作を平原と共に立ち上げる浜田純平・山本悠貴・渡辺はるかを交え、座談会を実施した。なお本作は、神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズの第1弾でもある。
取材・文 / 熊井玲
“ジャンプできる”メンバーと、大海原に飛び出す
──「浜辺のアインシュタイン」は、タイトルや楽曲はよく知られていますが、実際に上演される機会があまりない作品です。平原さんが本作に取り組まれようと思ったのはどんなところがポイントだったのですか?
平原慎太郎 神奈川県民ホールの方から、「浜辺のアインシュタイン」を上演する、ということが決まっている段階で演出の依頼があって、そこから僕も作品について調べ直したり、聴き直したりするうちに意欲が湧いてきて、お引き受けすることになりました。
──「one,two,three,four, one,two,three,four……」が繰り返されるフレーズを始め、フィリップ・グラスの楽曲はダンス作品によく使用されます。ダンサーの方にはなじみ深い楽曲ばかりなのではないかと思いますが、フィリップ・グラスの音楽についてはどのような印象をお持ちでしたか?
平原 ミニマルミュージックと言ってダンサーの頭にまず思い浮かぶのは、ローザスの影響もあってスティーヴ・ライヒだったり、僕の場合はデビッド・ラングだったりで、実はフィリップ・グラスやジョン・ケージはミニマルミュージックの中でもクラシックというか、“源流”のイメージです。だからこれまであまり取り組んでなかったところがあり、今回改めて聴き込んで新鮮な感じを受けました。
──1月にはキャストオーディションも行われました。多くの応募があったそうですが、選出のポイントはどんなところでしたか?
平原 僕の言語になりますが“ジャンプができる人”ですね。未知に踏み込み、自分が知らないことにも身を委ね、その後で着地できたりする人っていうことなんですけど、振付家が求めることに対して、着地点を見据えながら整合性を取ったうえで思い切った表現ができるような経験値がある人が良いなと思っていました。実際、オーディションにはすごく良いダンサーがいっぱい来てくれたんですけど、“ジャンプ”の経験については、ない人が多いのかなという印象でした。その点、今回選ばれたダンサーは皆優れていると思います。
──その厳しいオーディションを勝ち抜かれた皆さんにお伺いしますが、応募のきっかけは?
浜田純平 もとは上演時間4時間超の大作なので、かなり長い時間ステージに身を置くことになるだろうな、という覚悟はしていて、3・4時間舞台に居続けるとどういう感覚になるんだろうか、それを感じてみたいと思いました。またオペラに出演したことがなかったので、参加してみたいという思いもあって。でも蓋を開けてみたらかなり特殊なオペラだったようで……。
一同 あははは!
浜田 でも楽譜を手放せない稽古ってすごく新鮮です!
──楽譜を見ながらお稽古しているんですね。
浜田 はい。地図みたいなもので、ないとどこに行くかわからなくなってしまうんです。
山本悠貴 僕は普段は役者をやっていて、ダンスにはあまり関わりがなかったんですけど、平原さんのレッスンを受けてコンテンポラリーダンスに出会い、身体表現の楽しさを知って。今回、平原さんが振付を担当される作品だし、募集要項には一応「役者も可」と書いてあったので受けたんですけど、オーディションに行ったらみんなダンサーの人ばかりで……。
一同 あははは!
山本 オーディションも俳優のそれとは全然違って、振りを渡されて「じゃあ3人ずつ踊って」と展開が早くて、「あれ? ちょっと違ったかな」って戸惑ったんですけど、なんとか合格をもらいました。でも稽古に行ったらやっぱり全員ダンサーで(笑)、僕だけ動きについていけなくて毎日家で復習して……と日々奮闘してはいますが、でも表現すること自体は好きなので、楽しもうと自分に課して稽古に取り組んでいます。
平原 補足しますと、今回ダンサーのレベルが本当に高いんですよ。だから、(山本さんが)途中で泣き出してもおかしくないような現場だと思うんですけど、ちゃんとついてきていてすごいなって。
──得難い経験になりそうですね。
山本 はい! 現段階でもすごい経験になっているので、本番までにさらにレベルアップできるんじゃないかって思っています。
渡辺はるか 今回私がオーディションを受けたのは、私もオペラが初めてだったということと、さまざまなジャンルの方がいらっしゃる座組みで、かつ今日本でできる、それぞれのジャンルの“最高峰”が集まった時間になるだろうと思ったので、ぜひそこに参加したいと思ったからです。また私は普段ダンスカンパニーに所属しているのですが、今回はいろいろなところから熱量の高い人たちが集まって来るので、そういった人たちとバチバチやりたいなと思いました(笑)。
──フィリップ・グラスの楽曲についてはどんな印象をお持ちですか?
浜田 最初に音源を渡されたときは覚える気持ちでいたので、眉間にシワを寄せながら聴いていた感じだったんですけど(笑)、今は繰り返しながらもだんだんと楽曲が立ち上がっていく感じや物語が生まれていく感じがわかってきて楽しみながらやっています。
渡辺 ずっと同じフレーズが続きますが、耐えて耐えて耐えたところで最後にちゃんとご褒美を与えてくれるというか(笑)。待っていたら最後にすごく素敵なメロディがあるという印象で、今作もがんばって観てくれた方には、最後に良いことが待っていると思います!
2022年の日本で上演する意味を思考する
──今回の出演者は、ダンサーを中心にしつつもコンテンポラリー、バレエ、ヒップホップなどジャンルも多様ですし、俳優やバイオリニストも出演します。さらに年齢層も幅広く、非常にバラエティに富んだ顔ぶれになっています。
平原 ダンス作品ってフィジカルな面で見せようとすると、どうしてもある世代に偏ってしまうことがありますが、今回はオペラという冠が付いているので、多様的であるほうが良いだろうなと思いました。そしてそういう場にぜひ若いダンサーにも参加してほしいなと思って……ただ中学生のメンバー(杉森仁胡)は、大人と肩を並べられるポテンシャルを持った、とんでもないヤツですけどね(笑)。
──稽古の様子を拝見して、ダンサーそれぞれに求められるレベルが高く、かつスピード感と熱量がある内容で驚きました。また上演決定時の平原さんのコメントでは、アメリカの美術分野の黄金期に生まれたこの作品を、今の日本で上演する意味について「日本が今持ち得ているもの、失ってしまったもの。そしてこれから先に追い求めるものの三つを行ったり来たり」しながら思考しているとあり、さらに「素晴らしいスタッフと出演者と共に、過去の金字塔に臆することなく取り掛かり、今の日本に生きる人達に何かを残せるような、そして舞台の上に希望を見い出せるような、そんな作品を目指します」と意気込みが述べられていました。その思いを体現する仲間として、小澤征爾の教え子である気鋭の指揮者・キハラ良尚さんや翻訳の鴻巣友季子さん、演出補の桐山知也さん、空間デザインの木津潤平さん、衣裳のミラ・エックさんとそうそうたる顔ぶれが名を連ねており、また本作のビジュアルを大友克洋さんが担当されています。
平原 その点は県民ホールのスタッフの方に感謝しているんですが、アイデアにストップをかけないでいてくれたんですよね。今、何か立ち上げようとしたときにどこかでストップをかけられることが多くて、「こうしたら良いのにな、こうなったら良いのにな」と思うことがあってもなかなかそれを実現するチャンスがなかったんです。でも今回は僕が提案したことに「良いですね」と県民ホールの方たちが応え、ちゃんと打ち返してくれました。
また、ある種の時代性と言えるかもしれませんが、演出家ワントップで進めていくのではなく、みんなで考え、取り組むことで良いものが生まれることもあると思っていて。今回のクリエーションでも、最終的なジャッジは僕がしますが、スタッフやダンサーたちにある程度任せて、自分たちの中で生まれたものを作品に持ち込んでもらいたいと思っています。
──ロバート・ウィルソン版は高さを使った演出が印象的でしたが、今回は横を意識した演出となっていますね。横幅が特徴的な、県民ホールのステージを生かした演出となるのでしょうか。
平原 そうですね。美術の木津さんと劇場のスタッフの方たちと県民ホールに机を持ち込んで、舞台を横目に見ながら会議したんですけど、その時改めて、県民ホールの舞台面はかなりワイドだなと気づいて。その感覚は浮世絵や絵巻など日本画と重なりますし、そこへ時間軸を重ねるのは作品との相性が良いんじゃないかと思って。実際、パノラマを捉えるときって自分で視点を決めるというか、どこまでを視界に入れて見るかを自分で決めるので、そういった見方になるのが今回は良いんじゃないかと思ったんです。
──またウィルソン版に比べると動きにそこまでの“リピート感”を感じません。“物語がない”ことが代名詞のようになっている本作ですが、今回の上演版では物語性も感じました。
平原 単純な見た目の繰り返しは必要ないと思っています。またフレーズが繰り返すのはある種のセオリーだから、その中で例えば胴体はずっと8の字を描いているんだけど手先の動きが違うとか、観る人がふと「あ、今の動きは音楽と合っていたな」って感じる瞬間があるとか、そういう形での“リピート”を考えています。物語性に関しては、“物語がない”と言われるウィルソン版にも僕はやっぱり物語性を感じますし、今の日本で本作を上演するには“物語である種のわかりやすさを担保して、表現は抽象的である”というバランスが良いのではないかと思うので、ウィルソン版よりやや強めに物語性を感じるかもしれません。
──その“物語”は、ダンサーの皆さんにも言葉で共有されているのですか?
渡辺 はい。ただ、ストーリー以上に今回、それぞれのチームや役割がはっきりと分かれているので、平原さんにはその部分を説明してもらいました。
浜田 僕は清掃員……クリーナーという役と、偉人を表すフェイマスのチームではフィリップ・グラスの役をやっています。
一同 あははは!
浜田 なんで笑うんですか!(笑)
平原 いや、フィリップ・グラスのオペラで「フィリップ・グラスの役をやります」って、改めて聞くと面白いなって。
浜田 あははは、真顔で言ってしまいました(笑)。
山本 僕はファミリーチームの一員です。先程話題に挙がった中学生の杉森さんが僕の妹役で、そのほかにお父さんとお母さんがいて、僕はヤングアインシュタイン役になります。
渡辺 私はフェイマスチームの1人です。フェイマスはそれぞれ実在した人物を演じています。
──ウィルソン版ではアインシュタインを彷彿とさせる人物が出てきましたが、今回は?
平原 今回僕らが考えていることは、新しいアインシュタインをどうやって作っていくかということなんですね。というのも、アインシュタインや科学、未来っていう言葉が、僕らの先輩と僕の世代、僕の世代とさらに若い世代の間では全然違っていて、手塚治虫が描いたようなピカピカした未来に、現実の僕らは立てているのか? 彼らが描いたビーチにアインシュタインはいますか?ということが今回のストーリーライン。そしてフェイマスにカテゴライズされた過去の偉人たちは、偉人というある種のキャラクターを着ていて、そのカテゴライズからどう脱却するかがまさにポストモダン的なアプローチ。キャラクターをどうやって脱ぐのか、それをまさに今、稽古の中で模索しています。
──なるほど、そこでビニールを使った演出が生きてくるわけですね。
平原 僕は今外を歩いていると、誰も彼もビニールに覆われているとしか思えなくて。たまーに(浜田に視線を向けて)ビニールを着ないで歩いている人にも出会いますけど!
一同 あははは!
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