歌舞伎界を代表する立女方・坂東玉三郎は、恵まれた容姿、美学、圧倒的なセンスとそれを上回る芝居への熱い思いと探究心で、これまで幾多の舞台で観客を魅了してきた。当たり役は「桜姫東文章」の桜姫、「壇浦兜軍記」の阿古屋、「助六由縁江戸桜」の揚巻、「鷺娘」の鷺の精など、枚挙にいとまが無い。さらにその才能は俳優としてだけでなく、演出家、映画監督としても発揮され、まさに“瞬間の美”を描き続ける舞台芸術・身体表現のトップランナーとして舞台芸術の最前線を走り続けている。
そんな玉三郎が主演・監修を務めた話題作「源氏物語 六条御息所の巻」が9月26日、シネマ歌舞伎として上映される。昨年10月の上演時、玉三郎演じる六条御息所、市川染五郎演じる光源氏の平安絵巻から抜け出たような優美さはもちろん、六条御息所が嫉妬心に絡め取られ変容していく姿に、多くの観客は感動と共感で胸を熱くした。玉三郎の至芸に触れてみたい人、あるいは舞台とは違う臨場感でもう一度作品を楽しみたい人は、ぜひ映画館に足を運ぼう。
撮影 / 岡本隆史
類い稀なる美の体現者・坂東玉三郎
「一度、歌舞伎が観たいけれど……」「女方の美しさに触れてみたい」「でも理解できるかしら」という、興味はあっても一歩を踏み出す勇気の出ない初心者の方へ──この秋おすすめしたいのが昨年話題を呼んだ坂東玉三郎主演のシネマ歌舞伎「源氏物語」だ。同時代を生きながら、その舞台を観ないなんて実にモッタイナイ! まずは気軽に足を運べる映画館で、その芸に触れてみるのはいかがだろう。
すでにご存知の方には言わずもがな……とは思いつつ、重要無形文化財認定保持者(人間国宝)、つまり日本を代表する女方である玉三郎の、簡単なプロフィールに触れておこう。梨園の生まれではないにも関わらず、小さいころからお芝居が好きでこの世界へ。坂東喜の字を名乗っていた子役時代から演技派の評判高く、14歳で十四世守田勘弥の養子となり、五代目玉三郎を襲名。一つひとつの舞台をものにしながら歌舞伎界を代表する立女方(最高位の女性役を演じるスター俳優)になるまでには、恵まれた美しさと、類いまれな美的センスと、秀でた表現力のみならず、外には見せないたゆまぬ努力があったことは、想像にかたくない。若いときから常に第一線で活躍してきた稀代の歌舞伎俳優、類い稀なる美の体現者、光を放ち続ける存在、それが坂東玉三郎なのだ。
ステージナタリーでは2022年、立女方しか演じることができない大役、全盛の花魁・三浦屋揚巻(「助六由縁江戸桜」)を演じた際にインタビューする機会を得た。その時聞いた「10歳のとき、禿(花魁の身の回りの世話をする子ども)をやりました。あのころは終演が遅くても平気な時代でしたから、お化粧を落として帰るのが22時半過ぎ。そんな深い時間を子供が新宿で過ごすのは、なんだか心細かったことを覚えています。劇場に向かう手すりのある坂を歩いていく感覚も記憶にありますし。澤村宗十郎さん(当時訥升)がまだ二十代で揚巻をなさっていて、すごく良かった。思えばあっという間ですね。ついこの間のような気がしてしまうけれど」(玉三郎)という言葉は印象的だ。幼い日から、追求しても追求しても終わらない芸の道を歩み続けて数十年。常に“瞬間の美”を描き続ける舞台芸術、身体表現の世界で、玉三郎はトップランナーとして存在し続けてきた。
六条御息所の激しい嫉妬心が観客の心を浄化する
9月26日に公開される「源氏物語」の取材会では、光源氏を演じた若手俳優・市川染五郎について語る言葉の中に、後輩の成長に寄せる思いが滲んでいた。常に「直接会って話すようにしている」というこだわりを語りながら、自身の若手時代のことも振り返る。
私が染五郎さんぐらいの年頃のときは高度成長期で、さまざまなプロダクションで現代劇の方々との交流がありました。文学座や俳優座といった新劇、劇団四季などで仕事をする美術家や舞台監督や演出助手、そしてもちろん俳優の諸先輩方……舞台裏でお会いすると皆さんが、垣根を越えてすれ違いざまに気づかれたことを注意してくださいました。新派に出演させていただいたときには、初代水谷八重子先生にも直接教えていただきましたし。あの時代は自分にとっての掛け替えのない時間だったでしょうね。今はどこも縦割りで、横の交流が薄い時代なのではないでしょうか。やはり人間同士が会わないと、刺激も成長も生まれません。ですから染五郎さんとは必ず、メールや電話ではなく、会って話すようにしています。
こうした言葉の奥には、スポンジのように吸収し、夢中で探究せずにはいられなかった自身の修行時代の姿が透けて見える。光る才能か、燃えるような情熱か、真っ直ぐで瑞々しい向上心か──ジャンルは違えど、芝居を愛する者たちの間に響く“何か”があったのだろう。
今回公開されるシネマ歌舞伎「源氏物語」で玉三郎が演じたのは六条御息所。前東宮(将来の天皇)の妃という高貴な身分である六条は、容姿端麗で聡明。非の打ちどころのない女性である彼女は、夫の死後、年下である光源氏と恋に落ちる。しかし正妻である葵の上に対する激しい嫉妬に苦悩し、プライドゆえに傷つき、ついには生霊となり……。
過去には地唄舞「葵の上」も舞っておりますし、比較的、心情はすっと掴めました。源氏物語にはさまざまな女性が登場します。藤壺や浮舟なども演じましたけれど、ほのかで実に淡い物語が多いんですね。その点、六条御息所の持つ嫉妬心は、舞台上のドラマを動かす大きな原動力になると考えました。激しい恋心や相手を恨む想いという意味では、(人気舞踊である)「道成寺」や(恨みから復讐していくお岩が主人公の)「四谷怪談」にも通じる部分もありますし……いつの時代も、人間なら誰もが内面に抱えている思いが琴線に触れるのでしょう。以前、(「源氏物語」全54帖を現代語訳したことでも知られる)円地文子先生とお話したときも、「六条御息所の物語が一番ドラマチック」とおっしゃっていました。またお客様は、この激しい感情に触れることでカタルシスを得て、浄化されるような感覚も抱かれるのではないでしょうか。
愛する光源氏の顔を見ればうれしい、けれどもプライドが高いゆえに素直になれない、燃えるような愛情は相手をなじる言葉と変化し、やがて妄執へ。ひと色ではない感情をセリフと動きに見事に連動させ、階段を一つひとつ登るように嵐のような感情へとなだれ込み、幽玄の世界へ……玉三郎の繊細さとスケールの大きさが同居した演技を、シネマ歌舞伎ならスクリーンで堪能できる。原作では葵の上が恨みによって取り殺されるが、この「六条御息所の巻」では六条御息所は消え去り、光源氏と葵の上が永遠の愛を感じながら幕となる。行者の法力によって生霊が心をやわらげて終曲となる能「葵上」にも通じる、この意外なハッピーエンドについても教えてくれた。
当初は「野宮(光源氏と六条御息所の別れの場面)」まで描くことも検討したのですが、門口でお祈りしている姿ではどうにも幕が閉まらないのではないかと(笑)。葵の上を殺して終わるよりも、この方がお客さまに気持ちよく帰っていただけると考えました。
この玉三郎版「源氏物語」の魅力は、激しいドラマだけにとどまらない。久々の再会を喜び、仲睦まじく庭を散歩し、連れ舞に興じる六条御息所と光源氏……短い幸せではあるが、微笑ましい二人の様子は動く宮廷絵巻のよう。揺れる几帳の間を行き来する女房たちは色とりどりの衣裳をまとい、閑雅でたおやか。ここだけ時間がゆっくり流れているような、貴族の屋敷にタイムスリップするような感覚も、映像だとより没入感が増す。
一つの演出上のテーマとして「垣間見(平安時代の男性が垣根越しや御簾越しに室内の女性を見る行為)」を置いています。「源氏物語」の舞台化の難しいところは、どの場面も室内で展開するので、同じような絵面になってしまうこと。さまざまな検証を重ね、かなり苦心しました。最終的には舞台を几帳で飾り、舞台が廻ると全く違う雰囲気の家になるようにしつらえました。裾の長い衣裳で几帳を倒さないように動かないといけないので、女方の皆さんは大変だったと思いますが、見事にやってくださいました。
虫や鳥の声、そして十七箏の柔らかく華やかな音色──風雅な世界は耳からも味わえる。
音楽は大事なんです。今回は松竹に残っていた、過去の「源氏物語」の音楽資料を聴き直して構成していきました。シネマ歌舞伎はノイズも丁寧に除去し、立体的なサウンドで上映いたしますので、より臨場感ある音でお楽しみいただけると思います。
この作品では、人物を表す衣裳も重要なポイントだ。落ち着いた紫の地色に、華やかな牡丹、その横に腐食した樹木の木目を配した「朽木牡丹」という柄など、六条御息所の心を表すような衣裳にもご注目を。“人物を表す衣裳”と聞くと「源氏物語」がお好きな方にとっては、光源氏が愛する女性たちの姿や心映えにあった衣裳を選ぶ「玉鬘」を想起されるかもしれない。衣裳や柄に込めた思いはぜひ、特典映像「坂東玉三郎が語る源氏物語」でチェックいただきたい。
変わらぬ「いいものを作ろう」という想い
映像化における工夫にも触れておこう。最初に源氏が登場する場面と、六条御息所が生霊となって出てくる場面は、別撮りすることでより表現をブラッシュアップしたという。
光源氏は花道から登場しますので、どうしてもお客さまが映ってしまうんですね。歌舞伎十八番ならば大歌舞伎らしい臨場感として許されますが、「源氏物語」で現代的な映像が混ざると違和感が生じます。そこで終演後に染五郎さんに別撮りをお願い致しました。また六条御息所が生霊になって葵の上の前に現れる場面は、映像だと怨霊の雰囲気がうまく出なかったんです。そこでモノクロのような加工を施し、より生霊のような味を出すことに致しました。
市川染五郎が光源氏を演じるにあたっては、運命的な理由があった。
この8月に染五郎さんと市川團子さんとご一緒した「火の鳥」も同様なのですが、台本自体は何年も前に準備したもの。10年以上温めていた作品なんです。演じるにふさわしい方が出ていらしたときに改めて補綴をして、上演に向かって完成させていく。つまり染五郎さんの舞台を拝見し、「ここに光源氏がいた」ということで動き出した企画なんです。
現代と伝統芸能への考えを語る言葉には、変わらぬ芝居作りへの情熱がのぞく。
古典にある普遍的な部分がお伝えできなかったら、お芝居を上演する意味がないと思っています。でも「古典を現代に引きつける」という作業は、無意識にはしているかもしれませんが、意識的にはしていません。「これだったらわかりやすいでしょう」とか「これならハードルが低いでしょう」というような考えは、私には全くないんです。わからなかったら仕方ないですし、お嫌いなこともあるでしょう。でも、たくさんの方に劇場に足を運んでいただきたい、そのためには「いいものを作ろう」という意識だけは持っています。
では玉三郎にとっての“いいもの”あるいは“いい芝居”とは、どういったものなのだろう?
約15年前、京劇より古い演劇形式である昆劇を、発祥の地である蘇州で学び「牡丹亭」を演じました。明代の湯顕祖(とうけんそ)が書いた傑作で、数奇な恋愛を描いた物語ですが、底には人生を考えさせる深い哲学がきちっと置かれている。「ああこれが600年残ってきた中国の歌劇なのだ」と感ずるものがありました。それとは別に、その昔、ボブ・クロウリーという美術デザイナーに「あなたにとって、いい芝居ってどういうもの?」と伺ったときに、(胸の前にぎゅっと握りこぶしを作って)「これ(心)だ」とおっしゃったのも、印象深く覚えています。
ボブ・クロウリーは、英国ロイヤルバレエ「不思議の国のアリス」、デヴィッド・ヘアー演出「スカイライト」、ベネディクト・カンバーバッチ主演の「ハムレット」など、日本のシアターゴーアーにも知られる話題の舞台を手掛ける、世界的美術デザイナー。玉三郎は三島由紀夫「サド侯爵夫人」(1983年)で一緒に仕事をしたという。三十代でニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に招聘され、アンジェイ・ワイダ、モーリス・ベジャールやヨーヨー・マなど、歌舞伎俳優としては珍しいほどに海外の表現者と広く交わり、国境を越えて活躍してきた玉三郎だからこそのエピソードだろう。ちなみに先頃、シネマ歌舞伎「鷺娘」が来年スペインを代表する歌劇場「マドリード王立劇場(テアトロ・レアル)」との文化交流プロジェクトとして、スペインで正式上映されることも発表された。
最後に、20周年を迎えたシネマ歌舞伎について聞いた。玉三郎は第2弾の「鷺娘」「日高川入相花王」(二本立て)や第3弾「京鹿子娘道成寺」といった舞踊作品を皮切りに、古典作品はもちろん、泉鏡花ものや新作まで実に19作品がシネマ歌舞伎化されている。
これまでたくさんの作品に参加しましたけれど、中でも片岡仁左衛門さんと36年ぶりに演らせていただいた「桜姫東文章」は、コロナ禍で上の巻・下の巻と2カ月に分けて上演できたからこそ、「奇跡的に映像として残せた」という感慨もあります。(作品リストを眺めながら)シネマ歌舞伎の第1弾は「野田版 鼠小僧」なんですね……「ふるあめりかに袖はぬらさじ」「刺青奇偶」「籠釣瓶花街酔醒」といった中村屋(中村勘三郎)との作品が映像に残せたことも、今思えば幸せなことでした。編集作業に携わらせていただいていると、相手役が「こんなに素晴らしい演技をなさっていたんだ」という発見、感動もあるんです。舞台だと相手役の表情を全部見ることは不可能ですから。
私が制作に参加した作品については「舞台とは少し違う面白さを提供し、お客様に喜んでいただきたい」という思いだけでやって参りました。スタートから20年も経ったとは……と、ただただ月日の早さに驚いております。今後のラインナップにも、ぜひご注目ください。
プロフィール
坂東玉三郎(バンドウタマサブロウ)
1957年に坂東喜の字を名乗り初舞台。十四代目守田勘弥の養子となり、1964年に五代目坂東玉三郎を襲名。重要無形文化財保持者(人間国宝)、フランス芸術文化勲章コマンドゥール章他、受章・受賞多数。歌舞伎以外では、1988年にモーリス・ベジャール振付「ベジャール・バレエ・ガラ」に出演、1991年「外科室」で映画初監督を務めた。