坂東玉三郎が魅せる“江戸っ子の意気地や粋”を味わいに、12月は歌舞伎座で会いましょう

“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”をキャッチコピーに、コロナ禍でも工夫を凝らし、毎月多彩な演目を上演している歌舞伎座。2022年を締めくくる今月は、11月に続けて2カ月連続で「助六」に出演する坂東玉三郎にインタビュー。11月は白玉、12月は揚巻と助六の母親・満江と、「助六」主要な女方3役を演じる玉三郎に、作品への思いや見どころ、そして歌舞伎の未来について聞いた。

取材・文 / 川添史子

玉三郎が「助六」主要な女方3役を演じる2カ月

──12月夜の部は玉三郎さんが「助六」にご出演されます。花の吉原仲之町を舞台に全盛の花魁・三浦屋揚巻、その間夫(まぶ。恋人)で喧嘩三昧の侠客・助六、揚巻に横恋慕するお大尽・髭の意休……個性豊かな登場人物が次々登場する、楽しく賑やかな祝祭劇です。

オペラやバレエで言うガラ(特別公演)のようなもので、お祭り、顔見世でしょうね。歌舞伎十八番ですから、ある種、江戸歌舞伎の原型でもありますし。改めて全体を眺めていくと、助六や揚巻だけではなく、さまざまな登場人物が啖呵を切っていることに気がつきます。敵役でやり込められるばかりの髭の意休も、実は意休なりの啖呵を切りますし、助六が白酒売にケンカの指南をする場面も楽しくなっています。江戸弁で威勢よく啖呵を切り、それが嫌味なく、どう形良く見せられるか──江戸っ子の意気地、粋を楽しんでいただくお芝居なのでしょう。助六は曽我五郎、白酒売はその兄十郎と、曽我兄弟の仇討ち物語と結び付いてはいますが、目の前で起こる風景を眺めていると、お客さまにとってそんな設定はどうでもよくなってしまうような、よく考えてみると不思議なお芝居ですね(笑)。

坂東玉三郎

坂東玉三郎

──すっきり伊達に、粋に……筋を追うより江戸のエッセンスに酔いしれる演目ですね。11月は揚巻の妹分である白玉を演じ、今月は揚巻(5~15日)と助六の母親・満江(16~26日)。「助六」主要な女方3役を玉三郎さんが演じる2カ月となっています。まず揚巻は、いわば江戸時代のファッションリーダー。出てくるたびに金糸銀糸で彩られた衣裳が変化し、重厚感ある豪奢な拵えを堂々と着こなす様に圧倒されます。とりわけ玉三郎さんの衣裳は、美術品のような美しさです。

花道から出るときは、海老とゆずり葉のお正月飾りを後ろに背負い、お正月の打掛。その下は花見幔幕(まんまく)と火焔太鼓に桜を散らした弥生の節句の打掛。俎板(まないた)帯は鯉の滝登りで5月の端午の節句。次が前帯に短冊を飾った七夕。今回はありませんが、水入り(助六が意休を殺して天水桶に隠れる場面)が入ると、菊柄で重陽の節句。この五節句を取り込む型は、(江戸時代に立女形として活躍した)五代目岩井半四郎さんが作られた趣向です。四季折々を着こなしてしまうなんて独創的ですね。一種の大人の遊びでもありましょうし、お正月飾りをそのまま背中に乗っけてしまうなんて、とても斬新な発想(笑)。こうした江戸時代のどこか投げやりな美、大胆不敵さを、どう風流として見せていくかだと思います。「助六」を今で言うロックな感覚で捉える方もいらっしゃいますが、ただ壊すだけではない、うまいこと常識を覆す巧妙さ、洒落っ気、知性も感じられます。

「助六由縁江戸桜」(2010年4月、歌舞伎座)より、坂東玉三郎演じる三浦屋揚巻。©松竹

「助六由縁江戸桜」(2010年4月、歌舞伎座)より、坂東玉三郎演じる三浦屋揚巻。©松竹

──揚巻が花道でゆったりと八文字を踏み、“船が揺れるように”酒に酔って現れる登場シーンは優美で印象的です。

口伝には「酔っているから言える啖呵」という言葉が残っていて、酔っている“ふう”なのか、本当に酔っているのか、そこは曖昧なんですね。ここで揚巻は「私はどんなに飲まされても酔い潰れない。むしろ相手を飲み潰してるよ」と豪胆なことを言っています。

──続く、意休に啖呵を切る「悪態の初音」についてはいかがですか。

お大尽でも嫌いな相手には媚びない“張りと意地”、売り物買い物の商売だろうがお金の力には従わず、そして助六みたいな男を「可愛い」と言える女性であることを表す場面です。助六が意休に刀を「抜け抜け抜け、抜かねえか」と詰め寄る場面がありますが、揚巻も同じように「切らしゃんせ。切られても殺されても、助六さんのことは思い切られぬ……」と刀の詮議もしているわけです。こうした裏付けは演じる側が意識していればいいことで、意味を込めて言うとくさくなってしまいますし、あくまで江戸の水でさっぱりと洗い上げなくてはいけません。改めて考えてみると、「持っている刀を見せて頂戴」と言えば済む話なのに、失礼な話ですよね(笑)。でもそこが歌舞伎なのでしょう。

──昔の方はよくこんなユニークな場面、場面を拵えたな……と感心します。

以前は満江の入り込みの場面なんかも入っていて、さらに長いお芝居だったようです。昔の台本も読みましたけれど、ごちゃごちゃと複雑に入り組んでいて、よくぞここまで洗練させたと思います。

「助六由縁江戸桜」(2010年4月、歌舞伎座)より。坂東玉三郎演じる三浦屋揚巻(中央)。©松竹

「助六由縁江戸桜」(2010年4月、歌舞伎座)より。坂東玉三郎演じる三浦屋揚巻(中央)。©松竹

洒落たセリフに垣間見える、女たちの“心のつながり”

──玉三郎さんが満江を演じるのは、片岡仁左衛門さんが助六をなさった「十八世中村勘三郎七回忌追善」(2018年)以来2度目です。

このときから、「もう揚巻はやらないだろう」と考えていました。満江はとても良いお役で、心がけとしては「母の存在感です」これに尽きます。満江と揚巻が一緒にお見世から出てくる「送り出し」なんかでも、通行人にケンカを仕掛けてイキがっていた助六と白酒売の兄弟が、満江が登場すると「はい」と従う。母の大きさ、懐の深さが、自然と出てこなくてはいけない役です。この前の場面で揚巻が満江からの手紙を読みながら「お袋様は助六さんゆえ子故の闇、またわしは助六さんゆえ恋路の闇、何かにつけておなごほど、儚いものはないわいなあ」と言いますが、これは大事なセリフです。母であろうが遊女であろうが同じ思いでもある……というわけですね。

今回の舞台に向けて撮り下ろされた、坂東玉三郎扮する満江。(撮影:柏原孝史)

今回の舞台に向けて撮り下ろされた、坂東玉三郎扮する満江。(撮影:柏原孝史)

今回の舞台に向けて撮り下ろされた、坂東玉三郎扮する白玉。(撮影:柏原孝史)

今回の舞台に向けて撮り下ろされた、坂東玉三郎扮する白玉。(撮影:柏原孝史)

──なるほど満江と揚巻には、助六の身を案ずる部分で、女同士の心のつながりがある。

傾城は遊女でありながら、母、姉、妹、恋人……客である男性にとってその時々に求める理想の女性に変化していきます。そう考えていくと「送り出し」の場面は、満江と揚巻、違った形の母が2人いるとも言えますね。私はあの場面に流れるなんとも言えない風情がとても好きなんです。賑わいが去った吉原に涼風が吹いて、あれだけ威勢が良かった揚巻も助六にも、役が変わってしまったように優しさと清涼感が漂い、最後は母と兄の背中を見送ります。この変わり身の美しさ。心惹かれるものがありますね。

──夜が更けていく空気が、それぞれ役の中にも流れているのですね。

あたりがだんだんと暗くなり、賑わいが終わっていくそこはかとない寂しさ。その雰囲気が、送り出しの揚巻と満江には出てくるのだと思います。「籠釣瓶花街酔醒」の大詰の殺しの場なども同様で、吉原が舞台の芝居独特の雰囲気ですね。酔っ払って啖呵を切っていた揚巻が助六の後ろに控えて、母に気遣って目配せする柔らかい空気感、そういったことがスッと見えてこなくてはいけません。

坂東玉三郎

坂東玉三郎

──そういった女同士の“心のつながり”は、揚巻と白玉にも感じますね。

意休に啖呵を切って揚巻が去ろうとする段で、白玉が「お前がそのように腹立てさんしては、お前が思うその人の難儀になろうも知れぬぞえ、とさ……」と取りなし、揚巻が「かわいい男のところへ行くは嬉しいが、仲の良いお前の言葉、つぶされもしゃんすまい」と思い直して戻りますね。こうした女性同士の粋なやりとりが、この芝居にはスッスッと差し込まれている。どんな悪態をつこうが憎めない、洗練された雰囲気を感じる洒落た会話が素晴らしいのです。