第17回 AAF戯曲賞受賞記念公演「シティⅢ」演出・捩子ぴじんインタビュー|希望や未来に対する問い、ダルさと向き合う身体

作っているのは演劇、使っているのはダンスの原理

──普段ダンスの構成や振付をされるときと、今回のように演劇作品を立ち上げるとき、作り手の感覚としてどのような違いを感じますか?

演劇は動くことひとつ取っても理由や目的が必要とされますよね。ダンスは動いている行為そのものに目的も意味も含まれるので、そこが大きく違います。なので演劇に携わってきた俳優に対しては、どんな言葉を投げかけるのが最適か、稽古しながら試行錯誤しています。作っているのは演劇ですが、僕は演出家としての経験がないので、自分が培ってきたダンスの原理を使うしかない。でもその原理さえしっかりしていれば、形式が変わってもやれるのではないかと思います。

──出演者にはかもめマシーンの清水穂奈美さん、鳥公園の西尾佳織さんという演劇畑の方々に加え、ジャワ舞踏家の佐久間新さん、ダンサー・文筆家・詩人の増田美佳さん、俳優でもあり、ダンサーの松井壮大さんが名を連ねています。キャスティングにあたって、どのようなことを意識されましたか?

第17回AAF戯曲賞受賞記念公演「シティIII」稽古場より。左から捩子ぴじん、西尾佳織、清水穂奈美。

登場人物が5人いるので、このセリフをしゃべるのはどういう人がいいんだろう? どういう身体、どういう声なんだろう?と当てはめながら決めていきました。全体のバランスは考えず、自分が魅力的だと思う人を選んで。西尾さんだけは、今回美術を担当する佐々木文美さんに勧められて、絶対いいだろうと思って即決して。ダンス出身の方々も、ダンサーだからと言うより、この人がしゃべるのがいいんだろうなと思ってオファーしています。佐久間新さんは、演劇の仕事は今回が初めてですが、実際にセリフをしゃべってもらったらとてもよかったです。

──演劇畑の方々は捩子さんにとって心強い味方ですか?

心強いと同時に面倒臭くもありますね(笑)。ドラマトゥルクの伊藤拓さんからよく「それってどういうことなの?」とツッコまれるんです。西尾さんも劇作・演出家なのでドラマトゥルク的な側面があります。自分では考えてもみなかった問いを投げかけられることが多いので、どうしてもディスカッションが必要になってくる。話し合うことで寄り道をしてると言うより、自分の行く道が掃き清められていくような感覚があって、問いに対してはちゃんと考えて答えを出したいです。美術の佐々木さんや音楽の安野太郎さんもですが、今回集まったスタッフはみんな自分の発想で作れる人たちなんですよね。昨日は衣装の清川敦子さんと少しお話しましたが、僕が捉えている作品の世界観とはまったく違うアイデアを投げてくるんですよ。僕のイメージを具現化するより、それぞれのセクションで作られたものが集まって作品が構成される方が絶対にいいと思っています。

──クレジットには映像作家の山田晋平さん、嶋田好孝さんのお名前もありますね。

映画に関するテキストが出てくるので映像を使いたいと思いました。映画を観てる人の姿っていいんですよね。広い空間の中に巨大なスクリーンがあって、それをぼーっと見上げてるっていう画を愛知の稽古で試したとき、すごく魅力的で。愛知の稽古では舞台の実寸が取れたので、あの大きさのスペースに身体があったらどういうふうに見えるのかとか、どれくらい空間がスカスカになるのか、もしくは埋まるのか、どれくらい動き回れるのかを一通り試しました。僕は良くも悪くも、抽象的な空間で物事を考えるのが苦手で、その場にあるものを使って試したくなる。例えば劇場にメガホンがたまたまあったので、同じものを買って稽古場で使ってみたり、テクニカルスタッフとして参加しているインターン生に舞台で動いてみてもらったりして進めています。

自分の作品が届く人たちの顔って意外と見える

──捩子さんは過去にご自身が創作する作品を“都市の民俗芸能としてのコンテンポラリーダンス”と表現され、都市から生まれる芸能を探る試みとして2015年に「Urban Folk Entertainment」を発表しました。今回の「シティⅢ」も「都市」をテーマとした作品です。場所と作品の関係について考えてこられた捩子さんは“都市”をどのように捉えていますか?

捩子ぴじん

僕は生まれ故郷の秋田県で18歳まで過ごして、大学進学で東京に出てちょうど18年住み、2017年に東京から京都に引っ越したのですが、“都市”のことを考えるうえで、拠点を移したことは大きいです。これまでは不特定多数に向けて作品を発表しているような感覚でしたが、最近はその作品を誰が観るのかを考えなければいけないと思っています。愛知の長久手と一色町でワークショップをやったとき、参加者はそれぞれ20人ぐらいで、愛知県芸術劇場小ホールの収容人数は150人くらいですかね。自分の作品が届く人たちの顔って意外と見えるもんだなっていうのは実感しています。

──来年19年1月25日から27日には京都芸術センターで、カゲヤマ気象台さんの「シティ」3部作を元にしたパフォーマンスが連続上演され、「シティⅠ」はプロデュースをThe bombのゆざわさなさん、ドラマトゥルクを二十二会の渡辺美帆子さんが手がけます。そして「シティⅡ」ではhyslomによるパフォーマンス、「シティⅢ」は捩子さんの演出で再び上演されます。

京都での上演は自分が京都に引っ越してきて、現在住んでいるということを反映させたいですね。出演者も変わって関西を中心とした方々になりますし、自分が住んでる土地の話が通じる人が多いと思うので、「自分が住む場所=シティ」と考え、「シティ」というタイトルに引き寄せられる要素をなるべく取り入れるつもりです。

“ダルさ”と向き合う身体

──「シティⅢ」はカゲヤマさんが前団体のsons wo:(現・円盤に乗る派)で過去に上演した作品ですが、セリフやト書きにも解釈の余地が多分に残されていて、演出の自由度も高そうです。捩子さんの“身体的な視点”をもって、どんな作品にしていきたいですか?

捩子ぴじん

セリフやト書きも含め、戯曲に書かれていることを“真に受けてみよう”と思ったんです。例えばダンスの振付では「身体の中が水で、そこに内臓や骨が浮かんでる感覚で!」って指示が来たときに、それを真に受けられないとそこで終わってしまうんですよ(笑)。え?って思ったら終わる。真に受けることってバカバカしくも思えるけど、実はすごく重要なセンスなんです。「シティⅢ」のテーマにもなっている未来や希望って、普段はなんとなくポジティブな空気を漂わせたいがための薄っぺらい言葉として使われていますよね? でも未来や希望のことをちゃんと真に受けたら、どうなるんだろう?と。そのポジティブな気分を今の時代においてどれだけ想像できるんだろう?って考えると、すごく難しい。確実なのは、未来は現在からまったく切り離された時間ではなく、今という瞬間も含むものなんだろうなと。その“今を含んだ未来”をドラマトゥルギーとして作品に込めたいと考えながら稽古をしています。僕はこの戯曲を読んでいると「ダルい」という感覚が訪れるんです。未来や希望のことを真剣に考えるのはダルい。そのダルさと向き合う身体が立ち現れてくる作品になるんだろうなと。それは戯曲のことだけじゃなくて、今僕たちが生きてる世界にも通じることだと思うんです。

──個人的には戯曲に書かれている“水なすみたいな爆弾”が、どのように表現されるのか気になります(笑)。

どうやってやりましょうね?(笑) 戯曲には「爆発する」って書いてますし、「人が死ぬ」とも書いてあるんですよ。死は、どうなったら死ぬことになるんだろう? 演劇では人が床に寝て動かなければ死という状態を表現できますが、死って現実世界でもすごく曖昧な領域ですよね。心肺活動が停止して、火葬されてお墓に埋められても、ある人の中では生き続けて、しばらく死んだ人間にならなかったりするし。死についても自分たちで基準を用意して舞台上で表したい。そうやって真に受けながら上演することで、カゲヤマさんが戯曲に込めようとしたものが浮き彫りになればといいなと思います。

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2018年12月21日更新