「戯曲とは何か?」という問いに真正面から取り組み、後世に残る優れた戯曲の発掘を目指しているAAF戯曲賞。審査員を務める演出家たちが100以上もの応募作すべてに目を通し、上演を前提に受賞作を選定している。2015年のリニューアル後、初の大賞に輝いたのは松原俊太郎の「みちゆき」だ。初めて書いた戯曲で大賞をつかみ、その後も新作を発表するたびに高い評価を得ている、まさに“新星作家”松原に、AAF戯曲賞応募の経緯や受賞後の変化、そして今後の展望について話を聞いた。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 興野汐里
AAF戯曲賞とは?
2000年にスタートした、愛知県芸術劇場が主催する戯曲賞・AAF戯曲賞。上演を前提とした戯曲賞で、第15回からは「議曲とは何か?」をテーマに掲げたアワードとなった。第16回はヌトミック・額田大志の「それからの街」、第17回はカゲヤマ気象台による「シティⅢ」が大賞を受賞している。
審査員を務めるのは、第一線で活躍する、三十代から四十代の比較的若い演出家たち。次回第18回は、篠田千明、第七劇場の鳴海康平、指輪ホテルの羊屋白玉、地点の三浦基、そしてやなぎみわが審査員に名を連ねており、彼らが100年後も上演されるような戯曲の発掘を、自らの目で探し出す。第18回の応募受付は7月31日まで。既発表・既上演作品も応募できるので、我こそはと思う人はぜひ公式サイトで確認を。
また第17回AAF戯曲賞受賞記念公演「シティⅢ」が10月26日から28日に愛知県芸術劇場 小ホールにて上演される。
地点に演劇のイメージを覆された
──松原さんの演劇との出会いは、地点の「ファッツァー」(編集注:2013年に初演されたベルトルト・ブレヒト作、三浦基演出作品)だったそうですね。とは言え、普通に生活していて、なかなか京都の郊外にある地点のアトリエで「ファッツァー」には出会いにくいと思うのですが。
(笑)。当時は東京在住だったんですが、あのときちょうど仕事に行き詰っていて、京都にいる友人の家に身を寄せていたんです。そのとき、バンドの空間現代が地点という劇団と何かやると知って、やることもないし暇だったので、観に行こうかなって。
──空間現代が入り口だったんですね。
はい。それで、地点がカルチベート・プログラム(編集注:「新たな鑑賞者を開拓するための試み」という名目で、2014・15年は文化庁の委託事業として、17年は地点の自主事業として行われたプログラム)をやっていることを知り、参加することにしました。参加者はレパートリー7作品を全部観て最後にエッセイを書くという課題があったんですが、そのエッセイを三浦さんが気に入ってくれたんです。そのあと、15年に地点が「三人姉妹」を上演する際に声をかけてもらい、16年から「地下室」という雑誌を一緒にやることになりました。その頃AAF戯曲賞の審査員を三浦さんがやることを知って。
──それで応募することに?
そうですね。ただ三浦さんはじめ審査員の方たちには、純粋に戯曲としてどうかを読んでもらいたかったので、最初はペンネームで応募しました(笑)。1次審査通過者が発表されるときに本名を公表して。
──それにしても、「ファッツァー」をきっかけにカルチベート・プログラムにまで参加されるとは、最初の観劇体験がよほど強烈だったのでしょうか?
そうですね。地点の「ファッツァー」には衝撃を受けました。それまでの演劇のイメージって、シェイクスピアとかの戯曲を、映画俳優よりも誇張した“舞台らしいしゃべり方”の俳優が延々としゃべるというイメージだったので、わざわざ観に行く気にならなかった。でも「ファッツァー」ではそのイメージが完全に裏切られたんです。空間現代の音楽だし、発声は独特だし、ドラマも切り刻んで構成されているから、正直最初は何をやっているのかよくわからないんだけど、次第に言葉が響いてくる。それがそれまでの自分の読書体験とか、自分が書いてきたものと響き合ったと言うか。何か言いたいことがあるときに、それをどう伝えればいいか、そのうまい伝え方が地点の方法論にはあるんじゃないかと思ったんです。
──その頃、拠点は京都に移っていたんですか?
いえ、「地下室」をやるようになってからですね。でもそれからずっと京都です。
僕が書くようなものも受け入れてもらえるかもしれないって
──「みちゆき」は松原さんが初めて書かれた戯曲です。応募の際に意識したことはありましたか。
AAF戯曲賞が15年からリニューアルされると聞いていたのと、ほかの戯曲賞では戯曲らしい書き方、会話形式の近代戯曲ふうのものが受け入れられているイメージがあって、そういう、上演をかなり想定して書く戯曲みたいなものは書けるわけがないと思っていたんですが、AAF戯曲賞は「戯曲とは何か」をテーマにしているくらいだから、僕が書くようなものも受け入れてもらえるかもしれないと思って(笑)。それ以外は特に意識はしていません。
──もともと作家志望だったそうですが、それまでどのような小説を書かれていたのでしょう。
小説を書いていたと言っても全然世の中には出てなかったんです。それまで書いていたものは語りがメインで、もしかしたらそもそも戯曲との親和性が高かったのかもしれません。「みちゆき」を書いたときは、とりあえず小説を書くような、軽い気持ちで書き始めた記憶があります(笑)。
──そんな軽い気持ちで書ける戯曲ではないと思いますが……。
(笑)。
──ご自分では、書き上がったときに手応えはあったんですか?
いや、これで受賞できるなんてまったく思ってなくて。まずほかの応募作がどういう感じかも想像がつかなかったし、だからすごく意外だったと言うか。受賞したときは素直にうれしかったです。
戯曲と上演の齟齬を楽しめるように
──受賞から約9カ月後に、「みちゆき」は地点・三浦さんの演出で愛知県芸術劇場 小ホールにて上演されました。読み合わせを聞いて、言葉を書き換えることもあったそうですね。
地点の俳優の方々は技術が高いのでどんなセリフでも読めると思うんですけど、僕自身が「みちゆき」のときはまだ全然“声になる”ってことがわかってなくて、実際に俳優の声を聞いてから「より文章のリズムがよくなるには」を考えて書き換えたところもありました。
──劇場の方や三浦さんと作品を練り上げていく中で、ご自分の作品が上演されるイメージは具体化していきましたか?
地点の作り方なので、まったく想像はつかなかったです(笑)。さらに映像作家の伊藤高志さんが参加されていたので、地点にとっても試行錯誤が続いて作品が立ち上がったのはけっこう上演間近でしたね。ただ、地点とやる場合は今でもそうですが、自分が思っている戯曲のイメージを塗り替えられると言うか、別のイメージがくっ付いていく感じがあって、そのときもそう感じました。
──テキストを解体・再構築する地点の作り方は、作家としてはどのようなお気持ちなのでしょう。
例えばチェーホフのように、ある程度評価が定まった戯曲だと、すでにいろいろな読み方が存在している中で今回はどう読むか?という捉え方ができるんですけど、新作を書き下ろす場合は難しい部分があるとは思っていて。毎回、「戯曲と舞台が全然違う」ということは言われ続けているんですけど、その齟齬を、もうちょっと上手い形で出していけたらと思ってはいます。今の演劇界では作家と演出家が同じ人という場合が多いから、書かれたものがそのまま上演されることが多く、戯曲と上演にあまり齟齬がありませんよね? でも読んだものと観たものに齟齬があったとしても、それらに通底するものを観客の人たちと共有できれば、もっと面白いことになるんじゃないかと思うんです。例えば最新作の「山山」では、宮沢章夫さんによる戯曲評が雑誌に掲載され、劇評が新聞に掲載されました。それぞれの相違点が見えてくるような展開ができれば、と思いますね。
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戯曲らしい戯曲をイメージせず書いた
2018年12月21日更新