マカロニえんぴつ「たましいの居場所」インタビュー|結成10周年、ロックバンドが見せる夢

マカロニえんぴつの新作EP「たましいの居場所」がリリースされた。

今年1月にメジャー1stフルアルバム「ハッピーエンドへの期待は」を発表後、2月と3月に全国ツアー「マカロックツアーvol.13 ~あっという間の10周年☆変わらずあなたと鳴らし廻り!篇~」を行い、ロックバンドとしての存在感を示したマカロニえんぴつ。9月から2023年1月にかけては「マカロックツアーvol.14 ~10周年締めくくり秋・冬ツアー☆飽きがくる程そばにいて篇~」で全国各地を回る予定で、結成10周年イヤーも精力的な活動で日本中に旋風を巻き起こしている。名実ともに若手ロックバンドを牽引する存在となったマカロニえんぴつが、10年の月日を振り返って思うことは。今回のインタビューではメンバー4人に、ツアーの思い出や新作のエピソードはもちろん、彼らが考えるロックバンドとしての在り方についても語ってもらった。

また特集の最後にはMV監督13人からのコメントを掲載。MV撮影時の裏話やメンバーへのメッセージを紹介する。

取材・文 / 天野史彬撮影 / 須田卓馬

マカロニえんぴつインタビュー

作り込まずに即興的に

──新作EP「たましいの居場所」からはマカロニえんぴつのロックバンドとしてのストレートさを感じたんです。多彩な魅力を持っていたアルバム「ハッピーエンドへの期待は」の次に出す作品という点も含めて、どんなコンセプトがありましたか?

はっとり(Vo, G) ストレートとおっしゃってくださった通り、アレンジ面では「ハッピーエンドへの期待は」がわりと派手な曲が多かったので、「今回はシンプルにしよう」という話からスタートしたんです。時系列的に言うと最初に作ったのが「星が泳ぐ」なんですけど、その時点で方向性は決めてました。音数も絞って、ダビングもそれほど重ねず、テンポチェンジもそこまでせず、迷いがない音像にしたいなって。音作りのスピードも速かったです。あと最近ライブをやっていると、昔のシンプルな曲のほうが盛り上がるんですよ。当時はそういうものしか作れなかったということなんだけど、10年経ってみると、「盛り上がりの面で、ライブで強いのはやっぱりアレンジが複雑でない曲だな」と改めて気付いたりもして。なので“プチ原点回帰”っていう感じはありますね。

マカロニえんぴつ

マカロニえんぴつ

田辺由明(G, Cho) 昔は主にライブハウスでライブをやってきたけど、最近はありがたいことにどんどん会場が大きくなって、ホールやアリーナが増えていって(参照:マカロニえんぴつ最大規模ツアーが終幕、初の横アリワンマンで再認識「音楽は生きる糧」)。その中で、楽曲制作も会場の規模感に合わせて大がかりなものになっていってたんですよね。「ハッピーエンドへの期待は」を作り終えたときに、「『レモンパイ』みたいに、またスタジオで軽くセッションしながら作りたいよね」という話もしていたし、その結果、このEPの曲たちができてきたんだと思います。セッション的に作った結果なのか、今回のEPの曲って全部アウトロが長いんですよ(笑)。

はっとり 制作もツアー中だったしね。とにかく、演奏していて楽しいものがよかった。

──長谷川さんと高野さんはいかがですか?

長谷川大喜(Key, Cho) 今回はけっこう、即興的にレコーディングすることが多くて。先にフレーズを決め込まずに、周りの音を聴きながら、そのときの熱量とか感覚でオルガンやピアノを弾いてみることを繰り返したんです。そういった意味で、化学反応の中から生まれたフレーズが多いと思います。

はっとり 「心が向かう方に」っていう、「たましいの居場所」の歌詞通りってことね。

長谷川 そういうことです。だからこそ、10年前に比べて自分のできることが増えたんだと実感する1枚になりましたね。

長谷川大喜(Key, Cho)

長谷川大喜(Key, Cho)

高野賢也(B, Cho) 確かに、例えば4曲目の「僕らは夢の中」はベースとピアノを一緒に録ったんですけど、3回くらい録った中で、全部弾いている内容が違っていて。大ちゃん(長谷川)はアドリブで毎回違うことをやっていたし、ベースも「大ちゃんからこういう音が来そうだな」と感じながらその場で弾いていきました。あと、この曲は音色もシンプルだと思うんですよね。アンプの音も出していないし、エフェクターもつないでいない、完全なライン録りで。もともと、バンド内で話し合ったリファレンスもそういうものだったというのもあって、作り込まない、竿そのものの音がシンプルに出ていると思うんです。

はっとり 「僕らは夢の中」は、The Bandの「The Weight」がリファレンスなんですよ。

音大の恩師も駆け付けた武道館公演

──なるほど。そうした即興的な面はライブからの影響も大きいということですね。2月の日本武道館公演から始まった「マカロックツアーvol.13 ~あっという間の10周年☆変わらずあなたと鳴らし廻り!篇~」では、はっとりさんの出身地である山梨での公演(会場はYCC県民文化ホール[山梨県立県民文化ホール])も行われたそうですが、マカロニえんぴつとして山梨でのライブが実は初めてだったんですか?

はっとり デビューしてからは初めてでした。2013年、インディーズデビューする前に1回やったんだけど、そのときは上京してすぐだったので「帰ってきた」感はなくて。それ以来だったので9年ぶりくらいでしたね。

はっとり(Vo, G)

はっとり(Vo, G)

──帰ってみて、どんな気持ちになりました?

はっとり 山梨という場所に対しては、俺が勝手にプライドと負い目を背負っていたんです。そのせいで「帰っても歓迎されないんじゃないか」とずっと感じていて。なんとなく山梨を捨ててしまったような感覚が自分の中にあったんですよね。「地元のシーンを盛り上げたい」と言って残った連中もけっこういたのに、自分は早々に上京してしまった。そんな自分を「薄情だな」と思っていたんです……勝手に、ですけどね。なので、チケットが即完するような、みんなが知っているバンドになれないと恥ずかしくて帰れないなと思っていたんですけど、満を持してというか、「もうそろそろいいのかな」って、恐る恐る帰ったんです。結果として、山梨公演を終えて、憑きものが落ちたような気持ちになりましたね。みんな喜んでくれたし、もっと早く帰ればよかった(笑)。

高野田辺長谷川 (笑)。

はっとり 甲府Kazoo Hallっていう最初に出たライブハウスに入らせてもらって思い出にふけったり、当時、高校生イベントのブッキングをしていたアツシさんという人とひさしぶりに再会して、ライブのあとに実家で一緒に飲んだりして。あのときが“10年”という月日を一番感じたかもしれない。マカロニえんぴつがなぜ「青春を歌っている」と言われるのか、その理由もわかった気がしました。高校生でイベントに出ていた頃と、武道館に立つようになった今を比べてみても、モチベーションが変わっていないんですよ。山梨のライブハウスって熱い連中が多かったんです。自分は、その頃の火種をずっとお守りのように大事に持って歩いているんだなと思って。

──バンドを続けていくと、どこかで過去の自分に出会うことでもあるのかもしれないですね。10年という月日を感じる瞬間や、かつての自分と邂逅するような出来事って、長谷川さん、高野さん、田辺さんはありましたか?

はっとり 大ちゃんは新潟に帰ったときでしょ?

長谷川 そうね。ツアーで、新潟テルサというホールでやったんですけど、そこは6歳くらいから高校生まで毎年、エレクトーンの発表会で立っていた場所だったんですよ。その発表会って、先生たちもピリピリしていて、こっちも気持ちが固くなるような感じだったんですけど、マカロニえんぴつとしてあのステージに立っても、いまだに特別な緊張感がありましたね。

田辺 あと、武道館でやったときに、僕らが通っていた音大のロック&ポップスコースの先生が来てくれたんですよ。僕たちって、母校で組まれたバンドとして初めて武道館に立ったバンドなんです。でも正直、僕らって学校にいた頃は、先生方からそんなによくは思われてなかった気がするんですよね(笑)。

田辺由明(G, Cho)

田辺由明(G, Cho)

はっとり 俺もそれは感じてた(笑)。先生にベタベタしてなかったんだよね。講評を聞きに行ったりもしなかったもん。「よかったか悪かったかなんて、自分たちでわかるだろ」と思っていたから。そういう雰囲気は俺たちから出ていたんだろうね。「マカロニはマカロニで自由にやればいいよ」って言われて、よく言えば放任だったんだけど、悪く言えば、育て甲斐がなかったと思う。かわいくなかっただろうなあ……特に俺が(笑)。

田辺 先生方を武道館公演に招待する段取りは僕がやったんですけど、ライブが終わった直後に、「君たちの成長はしかと見届けた。ありがとう」と言ってくれて。

はっとり うわっ、うれしいねえ。

田辺 あの学校は僕らが始まった場所だから。すごくうれしかったです。

はっとり 俺に歌い方の基礎を教えてくれた浜崎先生も来てくれて。前のツアーで喉の調子が悪くなったときに、先生に連絡をとって教え直してもらっていた経緯もあって、武道館の前もすごく心配してくれていたんですよ。結果的に、武道館はバシッと歌えたから、すごく喜んでくれた。恩師に喜んでもらえるとやっぱりうれしいんですよね。褒めてもらえるより、喜んでもらえるのが何よりうれしかった。

作詞も歌唱も分担、ブースの中で味わう孤独

──高野さんはどうですか?

高野 10年ですよね……正直、あまり実感はなくて。僕は特に、みんなに比べて技術がなかったから、追い付くのに必死で。そう考えると、よく10年必死にしがみ付いてきたなと思います。この10年間、刺激をもらい続けて、新しく自分から何かを生み出す能力も身に付いたと思うし。あと、今回「僕らは夢の中」で、自分で作詞をして歌ったときに、「詞を作るのってすっげえ大変なんだな」と思いました。ブースの中で歌うときの孤独感も知ったし。はっとりはこれを10年間続けてきたんだなって。

高野賢也(B, Cho)

高野賢也(B, Cho)

はっとり たった2行書いただけで作詞の大変さを感じるんじゃないよ!(笑) それに、ブースで歌うときの孤独なんて、俺はもうとっくの昔に感じなくなった。でもね、俺が歌を録っているとき、よっちゃん(田辺)だけはいつも俺の見えるところで大げさに頷いたりしてくれるのは、優しいなって思う。大ちゃんはそのへんで「ドクターマリオ」やってるから(笑)。

長谷川 あれ、楽しいんだよなあ。

──(笑)。では、先ほどから話題に出ているEPの4曲目「僕らは夢の中」の話から伺おうかと思うのですが、この曲ではメンバー全員が歌詞を書き、そして、自分で書いたパートを自ら歌っていて、まさに10周年を祝う“バンドの歌”と言えますよね。この曲が生まれたきっかけはどのようなものだったんですか?

はっとり 10という数字が愛おしくて。バンドの10年という月日は、俺にとっては上京して10年ということでもあって、「東京でよくがんばっているなあ」とも思ったんですよね。いろんなバンドに打ちのめされて悔しい思いをして、メンバーに無茶を言ったこともあったし、それでも付いてきてくれたり、そのたびにちょっと成長したり……そういう東京でのバンドライフを思い出しているんです。俺たちには新宿Marbleと、真昼の月 夜の太陽っていう昔よくやっていた2つのハコがあるんですけど、特に、真昼の月 夜の太陽は初めて自主企画をやった思い出の場所で、そこの店長の田中さんっていう方がすごくいい人なんですよ。ノルマを安くしてくれたり。

田辺 優しい人だよね。

はっとり その田中さんがギターを弾いている、サルパラダイスという女性ボーカルのバンドがいるんですけど、すごくいい曲を歌うバンドで、ファンなんです。そのサルパラがいつもライブの最後にやる「頼むぜBABY」という曲があって、それが恐らくThe Bandの「The Weight」をオマージュしたんだろうなっていう、みんなで歌い回していく曲なんですよね。ボーカルの方以外の歌はへたっぴなんですけど、一生懸命歌っている感じにすごくグッとくるんです。中でも、ずば抜けて田中さんが歌がヘタで(笑)。

マカロニえんぴつ

マカロニえんぴつ

一同 (笑)。

はっとり でも、そのあとのギターソロでカバーする(笑)。そこもカッコよくて。10年を振り返ったときに、それを思い出して。「俺たちもああいう曲作りたいな」と思ったんですよね。バンドのことを歌う恥ずかしさも、10年というキャリアが説得力に変えてくれると思ったし。それで、とあるライブのリハのときにその日の朝思い付いた、ちょっと童謡っぽいメロディを持っていって、「これをみんなで歌おうぜ」と俺から提案したんです。で、やっぱり歌うなら、歌詞も自分で作ってもらったほうが気持ちも入るだろうなと思って、ざっくりと「音楽のことを自由に書いてくれ」とメンバーにお願いしました。難しければ、自分の好きなことを言葉にしてくれればいいし。