アメリカへの取材が「愛おぼ」のスケール感を生んだ
──ところで、テレビ版と「愛おぼ」はコンセプトは一緒ですが、設定をけっこう変えていらっしゃいます。ためらいなくできたんでしょうか?
当時の僕は極端なまでに、もう一度同じことをするのが嫌いだったんです(笑)。もしテレビで「マクロス」の続編をやりませんか、と頼まれたら断っていたでしょう。でも、題材が一緒でもメディアが変わるならやってみたい、と。だから、とにかく映画の時間尺に収めるのが大変だったんですよ。皆さんが思っているよりも、テレビと映画の壁は厚い。先ほど言った、スクリーンの大きさの違いを考えれば、画面に合う密度のデザイン、演出に変えるべきだし、キャラクターの設定にしても同じことだろう、と考えたんです。
──演出という意味では、場面転換に舞台劇のような感覚を覚えたのですが……。
確かに、「劇場版」という言葉には、舞台という意味での劇場=シアター・タイプの「マクロス」であることを念頭に置いていました。
──その考えに至ったきっかけはあるんでしょうか。
ついこの間気付いたこと……いや、あまりに自分にとっては自然すぎて、それが大事な転換点だったのを、これまできちんと伝えてこなかったと感じたことがありましてね。実は、テレビシリーズが放映終了した83年の夏に、僕は3週間弱ほどアメリカへ取材に行っているんですよ。
──どんな場所に行かれたんです?
まずカリフォルニアへ行って、ディズニーのテーマパークや、のちに「マクロスプラス」(1994~1995年 / OVA)の舞台になったエドワーズ空軍基地、あとは基地に併設されているNASAのドライデン飛行研究所(現:アームストロング飛行研究所)という、新型機を作るテストセンターを見ました。そこからケープ・カナベラルで気象ロケットの打ち上げやNASAの実験施設を見て、そこからアラバマ州のハンツビルへ飛んでちょうどスペースシャトル計画が始まっていたマーシャル宇宙飛行センター、あとはオハイオのライト・パターソン空軍基地でXB-70 ヴァルキリーも見て……。
──のちの河森さんの作品に関わるような場所ばかりですね!
それでボストン、ニューヨークへ行って、たくさんの博物館や美術館を巡ったあとで、生まれて初めてミュージカルの舞台を観たんです。正直、それまでミュージカルは好きじゃなかったんですけどね。なんで突然セリフを歌にするんだ、と(笑)。だから「マクロス」シリーズでも、かたくなにセリフを歌にはしていないんですが……。ともかく、ミュージカルでこんなにも多くの人が感動するのか、と衝撃を受けたんですよ。
──その衝撃が「愛おぼ」に影響を与えたわけですか。
それだけではないんです。ニューヨークのマンハッタン上空を夜にヘリコプターで飛んだんですが、通りを1本またぐごとに黄色、赤と巨大なビルが照明で照らされていて、そこから20kmも先まで光が連なっていく、まさに光の洪水でした。そこから街へ降りれば、多民族の国であることを体感できる。それまでの「マクロス」でも、大阪万博の経験から多国籍の感覚を出してはいたつもりなんです。でも、実際のニューヨークは鮮烈でした。それは少なからぬ衝撃だったんです。だから冒頭がゼントラーディ語で始まるように、「愛おぼ」では多言語感を出したわけです。
──河森さんがアメリカで感じたスケール感が事細かに反映されているんですね。
そう、この取材で得た衝撃が「愛おぼ」に詰まっているんです。映画にするんだったら、このスケール感の衝撃を出さなくちゃ、と。
舞台的な演出と、映画ならではの画作り
──ところで、「愛おぼ」はテレビに比べてカット割りや編集でも大きな違いがあると思います。
そこは気を使いました。同じことも、人のまねもしたくないタイプなので、だからこそロジックを舞台=シアター・タイプの「マクロス」へ持って行こうと考えたんです。そうすれば映画だと当時流行っていたさまざまなSF映画とも、テレビ版とも差別化が図れるので。
──シアター・タイプ的な演出というのは、どういうことですか。
演出の仕方とかセリフ回し、特にセリフは少なくする代わりにちょっと強くしているんですよね。印象を濃くしていると言えばいいのかな、舞台で役者がしゃべるようなセリフにしました。宇宙戦争があった状況下の人物たちだから、日常において少し濃い印象の言葉になったとしても違和感はないと判断したんです。
──ちなみに、台本ではト書きのほうがセリフより何倍も多かったとか。
読み返すと、その通りです(笑)。でも確かに、セリフを極力減らそうと思ったのは事実ですね。
──セリフは少なく、濃くとおっしゃいましたが、例えば輝の過去も、未沙との会話の中で自然に触れられるように、説明的なセリフはほとんどないのも印象的です。
当時の映画では、セリフやモノローグで物語を説明するのは潔くないという風潮が強かったでしょう? 少なくとも、僕の感覚ではその掟があったので、できるかぎりがんばりました(笑)。
──その輝と未沙が降り立った地球のシーンは、ゼントラーディ軍の攻撃によって焼けた風景の数々がロングショットで描かれる。これはテレビと映画の差であるように思いますが……。
ええ。やはり大画面で画を見せるだけでも、その場面の意味を表現できることは大きな差ですよね。セリフで説明しなくても、荒れ果てた地球に佇む姿が描ければ、その寂寥感は十分に出せるわけですから。オープニングもそういう意識で作っていますね。
──タイトルが出たあと、バルキリーがカタパルト発進する姿を、じっくりと描いていますね。
これはテレビのオープニングでは難しい演出じゃないですかね。もっと派手なアクションを求められますから。小さな画面で迫力を出すためには動きの物量を見せなくてはいけない。でも、劇場の大画面ならカタパルト出動だけでも十分迫力が出せる、と思ったんです。当時、担当演出の方が心配して僕に「アクションが少ないオープニングで大丈夫ですか?」と聞いてきた記憶があります。「大丈夫、映画館ならこれでいけるはず」と言って通してもらったんですけど(笑)。そもそもアニメーションで、この作品くらい高密度な画面の作品は、前例がなかったという自負もありましたから。
自分たちが見た体験をもとにした画作り
──迫力と言えば、劇中で繰り広げられる大スケールの戦闘、アクションシーンに触れないわけにはいきませんが……。
アクションについては、テレビ版と大きく変えたという感覚ではないんですね。作画監督の板野(一郎)さんは、そもそも立体空間や物量感のあるアクションがうまい。だからこちらの考えるスケール感に合った、空間認識、飛翔感を出してくださって。板野さんとは話が通じるところが多かったのもあったんでしょう。よく話すのが、「ロケット花火」のエピソードなんですが(笑)。
──板野さんは、大量のロケット花火をバイクから発射する経験から「板野サーカス」の異名を持つ演出を生み出した。一方、河森さんもロケット花火を20秒で3000発以上撃ち尽くす遊びをしていた……。
そうそう(笑)。そのうえで板野さんが作ったシーンを見ると「自分たちが見た体験、実感」をもとに作りたい人なんだということがわかって、強く共感できたんですよね。体験をアニメにしようとする人だからこそ、固定ではなく移動視点のアクションを考えて描くことができるし、空間のスケールを表現できる。
──あの動きは当時のSF映画にはないスケールでした。
もう時効だろうから言っちゃおうかな……。僕が初めて「スター・ウォーズ」(1977年)を観たとき、まだ10代の生意気盛りだったこともあって、あのアクションを「遅い!」と思ったんですよ(笑)。しかも下からあおる画面で、3次元軌道で捉えていない。いや、今思えばわかりやすく演出したんだと思いますが、「俺ならもっと速いものを作れる」と……当時はとんがってましたから、勘弁してください(笑)。そんなこともあって、板野さんとは「僕らは『愛おぼ』でちゃんと空を飛んでいる映画を作ろう」と話していました。
──そこから大艦隊から果てしなく発射されるミサイルの嵐、そしてボドルザー艦回廊の戦闘……という語り草となっているクライマックスが生まれたわけですね。
やはり空間が広がれば広がるほど、板野さんの画作りが最大限に生きると思いましたね。特に板野さんのすごいところは、カメラに映っていないものを感じさせるのがうまいことなんです。
──映っていないもの?
例えば1対1の戦闘があったとして、バルキリーが斜め上方向に飛んで、Uターンして振り向き、敵機を襲おうとする場面があったとします。だけど斜め上に飛んだ瞬間、バルキリーはカメラの視点からはいったん外れる。そこで敵機が振り向いたら、その視点にバルキリーが回り込んでいて、攻撃する……という。こうした画面の外の動きも含めて、3次元の軌道を描く能力が板野さんにはある。
──そうした演出はご自分たちの経験、つまり取材からも得られているわけですね。
ええ。「マクロスプラス」のときには、板野さんとアメリカでドッグファイトを体験しに行った経験は、だいぶ生かされています。「実際にはこんな軌道を描くんだ!」とか、「あのシーンはこう描けばよかったのか!」とか、もっと早く体験するべきだった、と後悔しましたよ。悔しかったなあ(笑)。
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