「キネマの神様」映画と駆け抜けた青春 野田洋次郎が主題歌に込めた思い

野田洋次郎 インタビュー

取材・文 / 奥富敏晴

この体験を忘れたくないし、忘れるべきじゃない

──出演の決め手として山田洋次監督というのは大きかったですか?

野田洋次郎演じるテラシン。

非常に大きいです。当初、撮影はコロナがなければドームツアーと被っているはずだったんです。ドームツアーは僕らにとっても初めてで、すでに2カ月間ほどリハーサルしていました。スタッフも「スケジュール的に(出演は)間違いなく無理」と言っていました。でも山田洋次監督の作品に誘っていただいて、出ないわけにはいかない。どうしても出たかった。だから週末はツアー、平日は撮影というプランでした。期せずしてツアーは延期になってしまったので、なおさらあそこで断っていたら本当に後悔していたなと思います。

──野田さんは1960年代の撮影所で働く映写技師のテラシンを演じられて、RADWIMPSとしては主題歌「うたかた歌」を手がけられています。そもそも役と主題歌のオファーは同時だったんでしょうか。

最初は単純に役者としてのオファーをいただきました。撮影していく中で勝手に曲を作って、プロデューサーの方にお渡しして。「主題歌にしたい」というのは僕とプロデューサーのどちらが先に言ったか覚えてないですね(笑)。

──なるほど、撮影中から曲が頭の中に浮かんでいた……?

主題歌に限らず……作品に入ると、何かしら音楽を勝手に作りたくなります。今回は山田洋次監督へのお礼の気持ちも強かったです。デモ音源は撮影が(コロナ禍で)止まったあと、志村けんさんが亡くなられた頃に完成しました。それからプロデューサーの方から「ぜひ菅田さんと2人で歌ってもらえませんか」とご提案していただきました。

──歌詞はどのように生まれたんでしょうか。

「キネマの神様」

冒頭の1行目「夢中になってのめり込んだ ものがそういやあったよな」から作っていきました。メロディとコードが同時に出てきて、頭からそのまま最後まで書いていったような気がします。具体的に何か書こうと思う前に、ポツポツと浮かんだ断片だけ台本の隅にメモしていて。撮影中からこれは曲にしておくべきだなと感じていて、それから志村さんの訃報があった。この体験を忘れたくないし、忘れるべきじゃない。何か僕にできる残し方があるんじゃないかと思ってたんです。

──歌詞には亡くなられた志村さんへの思いも込められている、と。

志村さんから「泣いてんじゃないよ」「顔を上げなよ」と言われているような感覚もありました。そういった思いをすべて残しておきたい気持ちでした。

山田洋次監督の言葉をすべて受け止める

──映画を観た率直な感想は?

あの時期はほぼすべての映画が大変だったと思うんですけど、これほど困難が降り注いだ映画もない。でも、それを経験したとは思えないみずみずしさがある。不幸を背負っているのに、そんな顔色ひとつしない。観る人をさわやかな心にしてくれる。奇跡的で素敵な映画だと思います。

──現場で山田監督を見ていて、音楽の作り手として刺激された部分はありましたか。

撮影までのプロセスにものすごい工程を踏む。ロジカルな思考が研ぎ澄まされていて、計画や準備を緻密に積み上げる監督です。かといって、いざ撮影のときに、すべて予定通りにやりたいと思っているかと言うと、そんなことはない。その場での思いつきや即興性をまったく恐れない。ロジックによる積み重ねと変化する柔らかさをすごいバランスで持たれているという印象ですね。

──野田さんご自身と共通するものは感じましたか?

左から野田洋次郎、山田洋次。

いや、ものすごい影響を受けました。89歳というご年齢になっても、おそらく初めて監督した作品から、まったく変わらない情熱を持たれていて。むしろ加速している。セットに入った瞬間から、誰よりも大きな声を出すし、集中もされていた。それは現場の全員が感じていたと思います。

──野田さんは俳優デビュー作の「トイレのピエタ」のときに、演技を「役と同化する異質な体験」とおっしゃっていて。その頃と比べて意識は変わりましたか?

あのときは本当に初めての演技。演じることがしっくりこなかったからこそ、その人を生きるしかなかった。ただ今は、もう一歩引いて。もちろんテラシンを日々生きてるんですけど、どこか「山田洋次監督の映画に出ている」という事実を存分に楽しんでいた自分もいます。そういう意味で、あの頃とは少し変わってきてますね。

──実際の役作りについても教えてください。

監督の言葉をすべて受け止めようと思っていました。いろんなヒントをあらゆる表現で伝えてくれるんです。ちょっとした人間の本質的な部分。どういうときに挙動不審になったり、瞬きが多くなったりするか。「テラシンはきっとこういう人間なんじゃないかな?」「彼はゴウのことをこう思っていてね」「淑子ちゃんの目なんてきっと見れないよね」と、何十回とアイデアをくださった。すべて受け取って自分の中にたくわえていくと、本当にそういう人間になっていく。言葉によってテラシンが形作られていく体験でした。

「キネマの神様」

──テラシンがギターを弾くシーンの曲は撮影の3日前に決まったとか。

そうですね、一瞬、頭が真っ白になりましたけど(笑)。即興的な流れで生まれたので、ミュージシャンの僕が呼ばれた意味があったなと思えたシーンです。監督にも喜んでいただけましたね。

──山田監督自身の青春時代が反映された作品だと思うのですが、テラシンのモデルといったお話は?

あ、それは聞かなかったですね。ただ監督は1960年代の撮影所をリアルに経験されていて、ありありと記憶の中にある。僕は映写技師の役なので「映写技師にはこんなオタクが多くてね」とか「映写技師は誰よりも映画を観ていて、その撮影所で一番映画を知ってるんだよ」とか。そういったお話をたくさんしていただきました。

「キネマの神様」

──非常に貴重なお話ですね。

あと、当時の松竹の撮影所で映写技師として働いていた御年80以上の方が僕に付いてくださって。毎日撮影のあとに映写機を操作する練習をしていました。フィルムが焼けちゃうとすべてが台無しなので、とにかく細心の注意を払いながら、でも手際よく。映写するまでの一連の動作を、いかになめらかに、美しくできるかにこだわりました。もちろん実際に当時使われていた映写機を撮影でも使っています。

過去、現在、未来のすべてに希望を見出せる映画

──「カットとカットの間に神が宿るんだ。映画の神様が」というテラシンのセリフがありました。例えば音楽活動でも、そういう瞬間はあるんでしょうか。

やっぱり「神は細部に宿る」という言葉を信じていて。いろんな楽器が積み重なって音楽を作るんですが、聞こえるかわからないけど、そこに絶対存在しなきゃいけない音はある。「別にいらないんじゃない?」「なんで何時間もこだわるの?」と言われてしまうようなところに、その曲の雰囲気や気配を決定付ける何かが存在すると信じてますね。

──なるほど。

「キネマの神様」

おそらく山田監督もそういう方なんじゃないかなと思っています。演技なのか、照明なのか、美術なのか。手を抜いた瞬間に、そのシーンすべてが嘘になってしまう。だからすべての細部、すべてのカットに意味があって映画自体が形作られていく。そういった意識がきっとあるんだと思います。

──野田さんは主題歌に関するコメントの中で「この映画で描かれている世界の美しさみたいなものがいつまでもいつまでも、この曲を聴くことでよみがえってくれたら嬉しいです」と書かれていて。その美しさは歌詞で表現されていると思うんですが、今、言葉にするなら?

そうですね、詞のまんまなんですけど(笑)。

──ですよね(笑)。

うーん……。まだ想像ですけど、歳を重ねていくとあのときが自分の青春時代だと思う瞬間があると思っていて。歌詞の「やりきれない夜だけ 君を思い出してもいいかい」というのは、あの頃の自分がいたからこそ今の自分がいる、生きられているという感覚。それはピークを過ぎた人生ではなくて、この映画は、あの奇跡のような瞬間がこの先にもあるかもしれないよねと言っているような気がしています。一生忘れたくない思い出と、未来にほんの少しの可能性があるから明日も生きられる。過去、現在、未来のすべてに希望を見出せる映画なのかなと思いました。

──ありがとうございます。最後の質問ですが、野田さんにはテラシンにとってのゴウのような盟友と言える存在はいますか?

「キネマの神様」

親友というか唯一無二の存在ですよね。ゴウのようにアイデアを持って何かすごいものを作り出す人は間違いなくいる。だけど、同じくらい大事なのが才能や力に気付く人間。何かを作る人が自分の才能に気付けないことは往々にしてある気がします。それに気付いて「お前、すごいんだよ」と言ってくれる人は同じぐらい必要で、テラシンとゴウはそういう関係だったなと僕は思っています。

──テラシンは劇中映画の「キネマの神様」を考えついたゴウの才能を絶賛しますね。

今、RADWIMPSをできているのは、高1、15歳のときに初めて聴いてもらった曲をギターの桑原(彰)が「お前の才能はすごい」と言ってくれたから。大学に行って普通に就職するつもりで生きてましたけど、桑原が「お前の曲で俺は食っていく」と言って高校を辞めたんですよ(笑)。考えられないバカで、それが僕にとってものすごい経験でした。だから大学に入ってもバンドを続けようと思ったし、辞めて恨まれでもしたら嫌だなとも思いました。そしていまだに一緒。ちょっとテラシンとゴウに近いものがあるかもしれませんね。

野田洋次郎(RADWIMPS)(ノダヨウジロウ)
野田洋次郎(RADWIMPS)

PHOTO BY YOSHIHARU OTA

1985年生まれ、東京都出身。2001年に結成したRADWIMPSでボーカル、ギター、ピアノを務め、全作品の作詞・作曲も担当。2005年にシングル「25コ目の染色体」でメジャーデビューを果たす。2015年には映画「トイレのピエタ」で俳優デビュー。初主演にして第39回日本アカデミー賞の新人俳優賞、第70回毎日映画コンクールのスポニチグランプリ新人賞を獲得した。2016年には音楽全般を担当した長編アニメ「君の名は。」が大ヒットを記録。2018年には「泣き虫しょったんの奇跡」で主人公の親友でありライバルとなる人物を演じた。翌2019年には再び新海誠とタッグを組み、「天気の子」の音楽全般を手がけている。