原田マハの同名小説をもとに、山田洋次がオリジナルの映画作品に昇華させた「キネマの神様」。主演を務めるはずだった志村けんの逝去、コロナ禍による撮影中断と公開延期。多くの困難が降り掛かった松竹映画100周年記念作品が、いよいよ8月6日に公開を迎える。
ダブル主演を務めたのは、志村の遺志を継ぐ沢田研二と菅田将暉。2人1役で無類のギャンブル好きなダメ親父ゴウと、かつて映画の夢を追いかけた若き日のゴウを演じた。脇を固めたのは永野芽郁、野田洋次郎、北川景子、寺島しのぶ、小林稔侍、宮本信子という豪華キャスト陣だ。映画ナタリーではRADWIMPS feat.菅田将暉による主題歌「うたかた歌」にスポットを当てた特集を展開。主題歌とリンクする過去パートの登場人物たちのイラストや、音楽ライター・三宅正一による主題歌コラムをお届け。また野田が主題歌の制作秘話や山田洋次から受けた影響、自身の盟友を語ったインタビューもお見逃しなく。
イラスト / 星野ちいこ文(コラム) / 三宅正一取材・文(P2) / 奥富敏晴
イラスト / 星野ちいこ
- 星野ちいこ(ホシノチイコ)
- 新潟県出身、東京都在住のイラストレーター。書籍の装画や雑誌などで活躍。水彩タッチの人物画をメインに描いている。
文 / 三宅正一
とてもシンプルで味わい深いブルージーな歌を、野田洋次郎と菅田将暉が紡いでいる。滲みながら漂う哀愁と郷愁が、人生の淡い機微を照らしている。眩しい記憶といくつかの後悔を帯びた青春の残り香を引き連れて、年輪を重ねた主人公は顔を上げて前を見る──。
山田洋次監督が手がけた松竹映画100周年記念作品「キネマの神様」には公開日が決定するまでにさまざまな障壁が立ちはだかった。既報の通り、本作は志村けんと菅田将暉のW主演で製作されるはずだった。しかし、自身のパートの撮影に入る直前だった2020年3月末に志村が逝去。さらに4月には最初の緊急事態宣言が発令され、撮影は長期中断を余儀なくされた。その間に山田洋次監督は脚本を再考し、沢田研二が志村の代役を務めることが決まった。山田組は極めて大きな困難を乗り越えながら撮影を進め、本作を完成させた。
映画の主人公の名は、ゴウ。沢田研二演じる現代のゴウはギャンブルに溺れて背負った多額の借金を理由に家族に無心し、老醜をさらしている。一方、菅田将暉演じる若き日のゴウは映画の撮影所に身を置いていた。まだ誰も観たことのない映画を脳内に描き、それを自ら監督するという大望を抱く情熱的な青年だった。そんなゴウと同じ撮影所で映写技師として働いていたのが、野田洋次郎演じるテラシンだ。過去パートでは二人の友情にスター女優の園子(北川景子)と撮影所の近くにある食堂の看板娘である淑子(永野芽郁)をめぐる恋模様が絡み合いながら、ゴウの初監督作の実現に向けた青春物語が動いていく。そして、現代パートではそれから約50年後が描かれている。過去と現在を結ぶのは「映画という夢」だ。
この映画の主題歌を飾っているのが「うたかた歌」RADWIMPS feat.菅田将暉である。もともとこの楽曲はあらかじめ主題歌になることを予定して制作されたわけではなかった。別項のインタビューで野田が語っているように、「撮影していく中で勝手に曲を作って、プロデューサーの方にお渡しした」という。
エンドロールで流れる「うたかた歌」は映画の内容に離れがたく寄り添っている。それと同時に、あるいはこの歌の筆致には「古き良き日本映画」であり松竹映画の100年を彩った名作群の記憶を呼び起こしてくれるような趣があるといえるかもしれない。
「走るにはどうやら命は長すぎて 悔やむにはどうやら命は短すぎて」
「諦めるにはどうやら命は長すぎて 悟るにはどうやら命は短すぎる」
サビのフレーズを交互に歌う野田と菅田のボーカルは驚くほどその声色と抑揚が近似していて、最後にして唯一のユニゾンパートで歌われる「聞こえるだろう」という一言に楽曲のメッセージを集約させている。
山田監督を筆頭に映画人たちの気概が一丸となって完成した「キネマの神様」は、観客個々人に「あなたにとっての映画とはなんですか?」と優しく問いかけてくるような感触に満ちている。そして、「うたかた歌」RADWIMPS feat.菅田将暉は、この記念碑的な映画の背中をどこまでも真摯に支えている。