恋愛をするとだらしなくなる(福徳)
──本作は、行定さんにとって「世界の中心で、愛をさけぶ」から20年後に挑戦された恋愛映画です。一方で福徳さんは小説家デビュー作「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」が2025年に映画化され、話題を呼びました。お二人にとって、改めて“ラブストーリー”とはどのような存在でしょうか。
福徳 僕は恋愛小説しか読まないし、恋愛ものが好きなんです。恋愛小説しか読まないという表現は過剰かな……。恋愛要素が入っていることを希望しながら小説を読む、ということです。やっぱり恋愛って、無限の種類があると思っていて。例えば、恋は人に対してだけではなく、物に対しても芽生える感情であること。ある物をやたらと収集する人だって、ちゃんとした“恋”だと思います。人に対してあまり恋をしない人は、物に“恋”をすると聞いたことがあります。情報の出どころはすっかり忘れてしまいましたが、僕はその考えがやたらとしっくりきて。これは完全に個人的な主観ですが、「自分はめったに恋をしない」なんて言う人に限って収集癖があったり、ある事柄についてやたらとハマっていたりします。
──なるほど。
福徳 そんな考えから、恋愛要素のある小説は大好きです! 恋愛要素があるのとないのとでは、読後感がまったく違うんですよね。空を眺めながら「あの2人はどこかに実在して、今頃何を思ってるんだろう。何をしているんだろう」なんて、謎の感情を馳せたりします。
行定 福徳さん原作の映画「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」を拝見したんですけど、唐突に悲しみが訪れるし、人間って簡単に壊れるし、その振れ幅が面白かったです。恋愛をしていると、相手を妄信してしまうことはあって。その部分をこんなに残酷に使うんだと思いました。恋をすると相手の立場に立って物事を考えられなくなるんだな、自分のことばかり考えてしまうんだなとも思いました。それって、どの年代になっても同じなのかもしれない……。解釈として間違ってないかな?
福徳 うれしいですね! 恋愛をするとだらしなくなるんですよね。恋をするといい服を買いたくなったり、身なりを整えたくなるけど、心はどんどんだらしなくなっていくのが面白いなって。やっぱり何をしていても、その人のことが頭をよぎる状態は健全ではない気がして……。本来自分にある軸が、相手の軸になってしまうから。
──福徳さんらしい、独特な表現ですね。映画「楓」でも“だらしない”と感じられたシーンはありましたか?
福徳 涼と亜子が猫にごはんをあげるシーンは、ちょっと恋愛のだらしなさが出ていたように思います。最初は2人のことを“さわやかカップル”だと思って観ていただけに、よくよく考えるとどこか違うものが見えてきてしまって……。ある意味、怖いシーンだなと思いました。
行定 福徳さんの言うだらしなさ、愚かさが出ているシーンでもありますし、切なさを表現したシーンでもあります。あの場面には、他人の人生に合わせないといけないという部分が描かれていますから。恋愛映画において、福徳さんの言うようなだらしなさ、愚かさっていうものは付きもので、当の本人からしたらそれに気付かないものなんですよね。亜子を演じる福原さんには、猫にごはんをあげるシーンのように涼と一緒にいないと自分が立ち直れない、ということを演じてもらえたらいいと思っていました。あと、亜子の喪失感と猫がいなくなることも重ねているんです。2回、3回と観ると、見えるものが違うシーンがたくさんあるかもしれない。この映画は、“相手に合わせる”ということが究極のテーマなんです。福徳さんが“相手の軸になってしまう”と言われていたように、「恋愛は、自分の人生を見失ってしまうことだ」ってこともテーマになりますね。
エンドロールが一番いい時間になるといいな(行定)
──福徳さんが本作に寄せたコメントもよかったですね。この映画は1人で観たほうがいいのか、誰かと一緒に観たほうがいいのか、逡巡している感じが出ていました。
映画「楓」に寄せたコメント
この映画、「誰かと見ればよかったなぁ」と思ったけど、1人で見てよかった。
〈残酷な出来事〉は当然残酷なんだけど、〈残酷な出来事を受け入れる時間〉の方が残酷なのかもしれない。そんなことを考えていると、やっぱり誰かと見ればよかった。
昔を懐かしむ〈今〉をいつかは懐かしむ、これが時間を歩いていくことか、とあれこれ思考が巡り、やっぱり誰かと見ればよかったなぁ、と改めて感じている。
福徳 映画って1人で観たほうがいいと思ってるんです。誰かと一緒に観て話すのも楽しいんですけど、それだったら別々に観て、数日後に話すほうが濃い話ができると思うので、それを伝えたかった。映画を誰かと観ると、その人が反応したシーンにこっちが何も反応しなかったら、僕はそこに何も感じてなかったことがわかってしまったり……気になってしまうんです。
行定 福徳さんのコメントは、いいコメントだと思いました。スピッツ的でもあり、ジャルジャル的でもあって。僕も1人で観る派です。同じように気になって没入できないですから。この映画は誰に感情移入するかでいろんな角度が見えてくるので、観た人同士でじっくり濃い話をしていただけたらと思います。
──最後に改めて、本作のラストにスピッツの楽曲「楓」を聴いたとき、福徳さんはどのように感じられたのでしょうか?
福徳 達成感というか、キター!という気持ちが大きかったですね。観終わったのか、聴き終わったのか。その境目にいました。
行定 そう言ってもらえるとうれしいです。スピッツの「楓」が流れるところが一番のクライマックスだと思って作ったので。エンドロールが一番いい時間になるといいなと思っています。
プロフィール
行定勲(ユキサダイサオ)
1968年8月3日生まれ、熊本県出身。助監督として岩井俊二やハル・ハートリーの作品に参加後、1997年に「OPEN HOUSE」で長編映画デビュー。2000年に発表した長編第2作「ひまわり」で第5回釜山国際映画祭国際批評家連盟賞、2001年公開の「GO」で第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した。2004年には映画「世界の中心で、愛をさけぶ」が大ヒットを記録し、その後は「クローズド・ノート」「パレード」「ピンクとグレー」「ナラタージュ」「リバーズ・エッジ」「劇場」「窮鼠はチーズの夢を見る」「リボルバー・リリー」などを手がけた。
行定勲 (@isaoyukisada) | Instagram
福徳秀介(フクトクシュウスケ)
1983年10月5日生まれ、兵庫県出身。高校のラグビー部で出会った後藤淳平とNSC大阪校に25期生として入学し、2003年にお笑いコンビ・ジャルジャルとしてデビュー。2007年「NHK新人演芸大賞」演芸部門大賞、2008年「ABCお笑い新人グランプリ」優秀新人賞、2009年「上方漫才大賞」優秀新人賞、2013年「ABCお笑いグランプリ」優勝など受賞歴多数。「M-1グランプリ」では4度、ファイナリストに。「キングオブコント」でも4度の決勝進出を経験し、2020年にチャンピオンとなった。2018年には、ショートコント動画を毎日公開するWeb企画「JARU JARU TOWER」をスタート。「THE SECOND~漫才トーナメント~」では2023年から2025年までの3年連続で「開幕戦ノックアウトステージ」に進出している。文筆活動も行っており、2020年に発表した小説デビュー作「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」は2025年に映画化された。




