「日本人は昔から滅びゆく物語に心惹かれてきた」 日本史のプロが観る「侍タイムスリッパー」、衰退する時代の空気に染まらない侍たちの“必死”

口コミから異例のヒットを記録し、日本アカデミー賞で最優秀作品賞に輝いた映画「侍タイムスリッパー」の見放題最速配信が「J:COM STREAM」で始まった。江戸の終わりから現代に突然タイムスリップした侍が、時代劇の「斬られ役」として第2の人生を歩み始める物語。実直で愛らしく、侍としての実在感も圧倒的な主人公の姿に、多くの人が心をわしづかみにされた。

そのまま鑑賞してもなんの問題もないが、歴史の知識を身に付けておくと、より存分に楽しめるはず。そこでNHK Eテレ「3か月でマスターする江戸時代」に出演中のカリスマ日本史講師・野島博之先生にインタビュー。いざ話を聞くと、知識どころか、歴史の大局を見渡すことで、滅びゆく日本で“必死”に生きる侍たちの本心が浮かび上がってきた。

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取材・文・撮影 / 奥富敏晴

「侍タイムスリッパー」

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カリスマ日本史講師・野島博之先生が語る「侍タイムスリッパー」

プロフィール

野島博之(ノジマヒロユキ)

1959年、三重県生まれ。日本史講師。東京大学文学部日本史学科卒業。駿台予備学校、東進ハイスクールなどの予備校講師を経て、現在は学研プライムゼミ特任講師・朝日カルチャーセンター講師を務める。「学習まんが日本の歴史」(集英社)には総合アドバイザーとして参加。著書に「中学から使える 詳説日本史ガイドブック」上・下(山川出版社)、「ストーリーで学び直す 大人の日本史講義」(祥伝社)など。NHK Eテレの教養番組「3か月でマスターする江戸時代」にナビゲーターとして出演中。

「侍タイムスリッパー」は「滅び」の物語である

「日本人は昔から滅びゆく物語に心惹かれてきたんです」

野島先生は「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり」の冒頭で有名な「平家物語」を例にとり、そう教えてくれた。平家の栄枯盛衰を描く、無常観に貫かれた物語。かつては語り部の琵琶法師が職業として成り立つだけの需要があった。

野島先生は映画「侍タイムスリッパー」にも、いくつかの「滅び」を見たという。

「映画の主人公である高坂新左衛門は、およそ260年も続いた江戸幕府の権力が滅びていった時期の会津の侍です。映画の中の多くの場面で用いられている時代劇も全盛期を過ぎ、今は衰退の過程にありますよね。撮影所のある京都の太秦(うずまさ)と言えば、聖徳太子として知られる厩戸王(うまやとおう)との縁が深い広隆寺も連想します。撮影所と隣り合っているのですが、彼の直系は天皇の血統である皇統としては滅んでいった可能性が高いんです」

雷に打たれ、突然、現代の京都の撮影所にタイムスリップする高坂新左衛門(山口馬木也)

雷に打たれ、突然、現代の京都の撮影所にタイムスリップする高坂新左衛門(山口馬木也)

幕末の侍と時代劇、さらには今の日本を「滅び」という観点で重ね、映画を読み解いていく。

「今の衰退していく日本は、幕末のときのように滅びつつあるとも言えます。会津の侍は滅びに向かっていく今の社会に落ちてきた。映画館に足を運ぶ人は鋭い感性の持ち主が多いですから、そこに無意識の共感が生まれたんじゃないかな? でも滅びがない限り次の新しいものも生まれない。だから悲観はしていません。映画を観たあとも落ち込んだ気持ちになりませんよね。希望と形容できるような、次を目指す何かを受け取りました」

映画の中の侍たちも、自分たちの存在や時代劇がいつか忘れ去られることを予感していた。高坂が答える「だが、今日はその日ではない」。このセリフをどのように受け止めるべきか。ぜひ映画から感じ取ってほしい。

「会津藩」の悲劇の歴史

高坂新左衛門は江戸幕府が滅んで140年後の現代に現れる。彼のキャラクターを理解するうえで重要なのは「会津藩」の侍であること。幕末から明治にかけての激動の時代。幕府への忠誠を貫いた会津藩には、薩摩・長州を中心とする明治新政府軍の猛攻によって、数多くの犠牲を出した歴史がある。

「幕府と薩長の関係は、今の与党と野党みたいなもの。野球に例えると……西洋列強を相手に、江戸幕府がマウンドに立っているとき、薩長は内外野のスタンドから幕府のだらしなさが我慢できなくて大声をあげていた。まもなく薩長は『おいらがマウンドに立つ』と決意する。その際、幕府側にいた会津藩だけがスケープゴートにされるんです」

「今でも会津の悲劇がよく語られるのは、彼らが奮戦むなしく滅びるからですよね。戊辰戦争において会津は滅多打ちにされて、たくさんの死者を出している。旧徳川幕府勢力のいけにえとして、明治新政府からいじめ抜かれるわけです。僕の知り合いも、会津出身の人は今でもあの時のことを恨んでます。この映画は今の福島の人にも響くんじゃないかなあ」

高坂新左衛門は劇中の時代劇で会津藩と縁の深い新選組の隊士を演じる

高坂新左衛門は劇中の時代劇で会津藩と縁の深い新選組の隊士を演じる

劇中、高坂が新選組に共感を寄せるのは、新選組が幕府から京都守護職に任命された会津藩主・松平容保(かたもり)のもとで発足した組織だから。戊辰戦争においても、新選組は会津藩などの旧幕府軍とともに新政府軍と戦った。

高坂は偶然が重なり、新選組を演じる「斬られ役」として、迫真すぎる俳優デビューを飾る。象徴的な浅葱色(あさぎいろ)の羽織を着た姿は、新選組と会津藩の関係を踏まえた制作陣の遊び心を感じさせる描写にもなっていた。

悲劇をまぬがれた侍の“必死”

幸か不幸か会津の最期を目撃することなく、幕末に比べ、ずっと豊かで平和な現代にタイムスリップした高坂。彼は会津の悲劇を知らぬまま撮影所の門をたたく。過去に戻る手段を考える姿を一切見せないのが高坂らしいところ。しかし、かつての仲間たちが悲惨な最期を遂げていた事実は、映画の後半、彼の心に重くのしかかるのだった。

野島先生は、山口馬木也が演じた高坂を「“負けた人だけが知っている謙虚さ”が出ている。孤独な一途さが魅力でした」と評す。

本作では映画の冒頭、高坂と刀を交える形で長州藩の武士も登場する。野島先生の目に会津と長州の侍の姿はどう映ったのか。

「長州の武士は貧しいとは言え、江戸時代、支配身分としての地位は保障されていた。でも幕府の現状をよしとせず、“世の中をなんとかしなければ”と必死にもがいて懸命に生きた人たちなんです。長州と会津は単純な敵・味方ではなく、その必死さでわかり合う」

高坂を劇中映画の相手役に大抜擢する風見恭一郎(冨家ノリマサ)

高坂を劇中映画の相手役に大抜擢する風見恭一郎(冨家ノリマサ)

冨家ノリマサ演じる風見恭一郎は、斬られ役という生きる術を見つけた高坂を、映画の相手役として大抜擢する重要人物。時代劇からの引退を表明していた大スターの電撃復帰は、世間を騒がせる。撮影現場で相まみえる2人。詳しくは触れないが、会津の悲劇故に高坂は過去に向き合い、時代劇の常識を逸脱する。風見もそれに応えるのだった。

野島先生はクライマックスの展開を踏まえ「高坂は幕末の歴史を知ったうえで、風見と心を通わせます。ある意味、必死さで通じ合う。彼らが、でも、じゃなくて、“だから戦おう”というのが、この映画のグッとくるところ」と見どころを語る。

この世には侍がたくさんいる……?

野島先生は戦国、江戸、明治以降の近代、戦後から現代へという流れを一筋に見通しながら、大局的な歴史観が生きるユニークな映画の見方も示してくれた。

「ちょっと前の2018年が明治維新から150年です。江戸時代は人生が長い人で50年から60年ほど。66歳の僕は一昔前ならもう化け物に近い年齢ですよ(笑)。でも今の日本人の平均寿命は男女とも80歳を超えていて、人生100年時代とも言われます。1人が100年生きるかもしれない時代の150年は、考えてみるとそんなに昔じゃない」

こう聞くと幕末からやって来た高坂も決して「大昔の人」ではないと思えてくる。

「『侍タイムスリッパー』には江戸時代の終わりからやって来る人がいる。実は君の目の前の人もそうかもしれない。今の日本には何人も、そういう人がいるかもしれない。この映画は、そういう終わり方をしています。高坂は遠い世界から来た人のように思えるけれど、そうじゃない。僕は『長いスパンで物事を見なければいけないよ』というメッセージを感じました」

現代の日本をさまよう高坂新左衛門

現代の日本をさまよう高坂新左衛門

「歴史は個別の出来事が別々にあるのではなく、地続きで今に至るわけです。そして、また次につながるだけの話。でも今は、そういうふうにものを見ることができなくなっている。失われた30年、40年などと言われますが、目をもっと先に向け、滅びゆくダメな時代だからこそワクワクすればいいんです。高坂もその他の主要な登場人物も時代の空気に染まらず、物事を悲観的に考えない。そこに好感を持ちます」

そのうえで、最後にこう語った。

「江戸時代は主君の命令が絶対、主従関係を是とする世界。今の資本主義社会とは世界観が全然違うわけです。でも世界観の違う者を太秦の人々は優しく受け入れるじゃないですか。異なる世界に生きる存在を排除するのではなくて迎え入れる。それは今風に言えば多様性の受容。この映画では確かにそう描かれている。現代人はどうあるべきなのか、『侍タイムスリッパー』が問いかけてくるものはとても重たくて深いんです」

太秦の人々は素性のわからない高坂新左衛門(左)を受け入れる

太秦の人々は素性のわからない高坂新左衛門(左)を受け入れる


「侍タイムスリッパー」

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