宇垣美里インタビュー|人生は取捨選択の連続、自分らしく生きるための現実的で前向きな信念を語る

「アフターコロナ」と言われる昨今。世間にはポジティブなムードが漂う一方で、学生時代をコロナ禍で過ごし「やりたいことがわからない / 特にない」と感じている若者も少なくないという。

これから新しいチャレンジを始めるフレッシャーたちに向け、自分への肯定感と、ちょっとした自信を届けたい。そんな思いで始まったのが、このFRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」プロジェクトだ。映画ナタリーでは、フリーアナウンサー・俳優として活躍する宇垣美里に過去の自分に宛てた手紙を書いてもらい、それをもとにインタビューを実施。“人生は取捨選択の連続”と考える宇垣による、自分らしく生きるためのヒントとは? 「10年後はファンキーな40代になりたい」と語る彼女の、現実的かつ前向きな信念を紐解いていく。

取材・文 / 脇菜々香撮影 / 梁瀬玉実

上京したばかり、都会に怯えていた私へ

初めて訪れた渋谷のスクランブル交差点には、なぜかテレビから飛びだした格好の貞子が列をなしていて。そんな異質な光景に目も止めず、ずんずんと先を急ぐ人々の姿に、“これはえらい所に来てしまったぞ…。”と血の気が引いたこと、今でもよく覚えています。


手紙の序文。宇垣直筆の手紙全文は4月10日(木)から東京・下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ展」で展示される。

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FRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ展」

選んだ場所で最善を尽くすことが、選ばなかった未来への責任の取り方

──お手紙の最初には、渋谷のスクランブル交差点で見た異様な光景について書かれていました。これはいつの話でしょうか?

大学3年生の頃に、就職活動で東京に行ったときだと思います。映画のイベントか何かで大勢の貞子が歩いていたのがすっごい怖かったけど、周りの人たちが全然気にしていなかったのがもっと怖くて。「え? これが日常?」と圧倒されちゃったのを覚えています。もちろんそれ以前も両親や友達と東京に行ったことはあったんですけど、それまでは“旅行先”だった。これから住みたい、働きたいと思って行ったのは初めてだったので、そんな気持ちで渋谷に降り立ったらたくさん貞子がいる……うわー!って感じでした。

宇垣美里

──就職活動をしていた大学時代~新卒の頃のことを聞きたいのですが、もともとはテレビ局の記者を目指していたと伺いました。そこからなぜアナウンサーという職に就いたのでしょうか。

書くことが得意だったので、学生の頭で「書く仕事ってなんだろう?」と考えたときに記者だ!と。新聞や雑誌もありますが、私にとって一番身近なメディアだったテレビ局の記者になりたいと思いました。でもなかなかテレビ局で記者のための就活セミナーはなくて、いろいろ調べていたときにアナウンサーのセミナーを見つけたんです。参加すると、アナウンサーの方が「ニュースは取材してくれた人がいて、原稿を書いてくれた人がいて、カメラマンが撮ってきてくれた映像があって、編集してくれた人がいて、それを最後に伝えるのが私たちだから、1人で仕事をしてると思ったことはない。でもすごく重要な役割だと思ってる」とおっしゃっていて、やりたい!と思ったんですよね。なれると思っていたわけじゃないんですが、挑戦することはタダですから、受けてみたらありがたいことに採っていただけました。

──確かに挑戦することはタダですもんね。でも、最初にやろうと思ったことから方向転換するのは少し勇気がいることだとも思います。

私も最初は表で話す人になるとは思っていなかったので、今考えると勇気があったなと思いますが、そのときに“ときめいた”というか「あっ、素敵だな」とちょっとでも心が動いたとしたら、その感覚は大切にしたい。もちろん前向きではない方向転換もあると思いますが、それも含めて、選ばなかった選択肢やその先に広がっていたはずの未来を捨てたからこそ今の私がここにいると思うと、自分がどんな選択をしたとしても大事にできる気がしています。選んだ場所で最善を尽くすことが、ほかの道にあったはずの幸せや未来に対するせめてもの責任の取り方だと思っています。

宇垣美里

──東京のキー局でアナウンサーとしてのキャリアを始められましたが、会社員の中では顔が出る少し特殊な存在でもありますよね。会社の中でご自身の居場所や存在意義を見つけるまでの道のりで大変なことはありましたか?

私はよくも悪くも楽天的でマイペース。だから「あなたたちが採ったんですよね?」という気持ちでいたし、「私でいいのかな?」って思ったことはなかった。入社したての頃に東京の地名がテストに出て、読めなくて怒られたりすると、「じゃああなたは京都の道の名前、全部言えるの?」と思ったこともありました(笑)。もちろん私は東京の局に勤めているんだから読めなきゃいけないんですけどね。

──一方で、手紙には「他人が思う『私らしさ』『アナウンサーらしさ』を体得せねばと焦れば焦るほど、どんどん自分を見失って」いったことも書かれていました。

他人が思う「私らしさ」「アナウンサーらしさ」を体得せねばと焦れば焦るほど、どんどん自分を見失って。根拠のない噂に傷つき、お人形さんのような扱いに哀しみ、いつしか人を軽蔑することを覚えました。心の柔らかいところを切り落とさざるを得なかったこと、本当に残念に思います。強さと引き換えに、私は繊細さを捨てました。

<宇垣美里の手紙抜粋(「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」supported by FRISK より)>

過剰適応のようなものだと思います。昔から、その場所が「うわ、暗い」と思ったらすごく明るく盛り上げたり、「この人は今、慰めてほしいのかな?」と察したりしてしまうところがあったんです。社会人になってからは「私にはアナウンサーという役割が求められている」と思って、服装や食べ方、メイクまである種“アナウンサーのコスプレ”をするような感じで自分を作ってしまうこともありました。でもそれってとっても息苦しくて。ロックな格好やジャージで会社に来ている先輩たちを見て「なーんだ、いいんだ」と気付くまではちょっと大変だったけれど、そこから自分も好きな格好をして、好きなことについてしゃべって、面白いと言ってもらえることが増えました。

“皆さんが思う私”と自分自身が乖離することもある

──就職活動を始める前の話もお聞きしたいのですが、宇垣さんのエッセイ(「風をたべる 2」)では高校時代について「生まれて初めて自由と理解者を手にすることができた」と書かれていました。逆に、それまでどんな葛藤や窮屈さを抱いていたのか気になります。

もちろん中学の頃も友達はいたし、楽しく過ごしてはいたんですが、こんなことでからかわれるの?と面倒なこともあった。同調圧力というか、「なぜトイレにみんなで行かなきゃいけないんだろう?」「なぜ勉強ができることや本が好きなことが、揶揄されるポイントになるんだろう?」と不可解でした。でも高校で初めて、同じぐらい勉強する人、同じぐらいの成績を収めた人、同じ地区で育った人が集まり、考え方や行動の原理が似ている人に囲まれた。みんなで一緒にトイレに行く必要がないし、テストでいい点を取ったら隠さずに「天才やん!」という会話ができる。これが許される空間がこの世にあったんだ!と思いました。

──高校時代や大学時代も含めて、今のご自身につながっている好きなもの、人との出会いはありますか?

物心ついた頃から本が、つまり物語が好きで、映画も舞台も、マンガだってアニメだって大好き。そのきっかけはやっぱり、両親が部屋いっぱいに本を用意してくれて、それを全部読みきったら今度は図書館に連れて行ってくれて、私の“好き”をすごく尊重してくれたこと。今も、1つ好きなことが見つかると、周りの人が「じゃあここに行ってみよう」「あれもしてみたら?」と連れ出してくれるおかげで、さらに自分の世界が広がっています。今の私につながっている出会いとしては、高校時代の友人です。人前でしゃべるお仕事をしていると、“皆さんが思う私”がだんだんできてきて、それがときどき自分自身と乖離することもある。でも今は地元の友達の前にいるときが“私が思う私”で、それ以外は“その人が思う私”だし、いろいろあっていいよねと思います。帰る場所や私が思う私になれる場所があるのは、すごくありがたいことですね。

宇垣美里

──「本が好き」というお話もありましたが、宇垣さんはご自身の“好きなこと”を見つけるのがすごく上手な方だなと思います。好きなことを見つけるコツや、そのために意識していることはありますか?

私はわりとなんでもやってみたい、見てみたいってトライしちゃいますね。この衝動で、よくわかってないままキャンプに連れて行ってもらうとか、友達がそんなにお薦めするんだったら観てみようかなと思って行った宝塚(歌劇団の舞台)がすごく面白くてハマるとか。そうやって、人からお薦めされたものや誘われたものはあんまり断らず、とりあえず1回は挑戦してみるというところは昔から変わらない部分です。

──小説だけでなく映画、マンガ、アニメ、舞台と、日々さまざまなエンタメに触れつつアウトプットもされている印象です。今の時代、「これも、あれも観なきゃ」とある種エンタメに追われているような感覚で過ごしている人も多いと思うのですが、宇垣さんはご自身のインプット・アウトプットで意識されていることはありますか?

私もお仕事としてご依頼いただかないと、原稿までは書かないですよ(笑)。でも書くつもりで観ると、なんとなくぼーっと触れるときとは全然違う視点で観られるので、自分にとってはそれがすごくいいなと思っています。アウトプットすることで自分が感じたことの輪郭がはっきりすると思う。メモに「よかった」だけじゃなくて、せめて「このセリフがよかった」「ここの意味がすごく好きだった」と書くことで、何年かあとに見たときに自分の感性の変遷がわかるのが好き。自分の心のラインが明確になるから、アウトプットの必要性を感じています。