インドの映画監督パヤル・カパーリヤーと
第77回カンヌ国際映画祭でコンペティション部門の審査員を務めた是枝から「カンヌはいかがでしたか?」と尋ねられたカパーリヤーは「自分の映画がコンペティション作品になるとは思ってもいなかったので、本当に夢なんじゃないかと。会場には学生時代に監督作を観てきた方々がいたので正直緊張もしました。でもチーム全員がインドから来てくれたのでちょっと気が楽になりました」と答える。
州立校もたくさんあるが、もっと映画学校が必要
カパーリヤーは「All We Imagine as Light」の撮影監督と映画学校時代に出会ったそうで「私は国立の映画学校に通いましたが、インドには各州に州立の映画学校もたくさんあります。それでも定員が少ないので映画学校はもっと必要だと思います」と述懐。映画学校に入る前に5年仕事をしていたと言い「広告でもドキュメンタリーでも、助監督として仕事があったらやったんですが本当につらくて(笑)。そのあとにやっと入学できました。ただどんな経験も学びになったと感じています」と振り返る。「モスクワの映画学校をモデルにした学校へ通っていたので、ソ連初期の映画がたくさん保管されていました。セルゲイ・エイゼンシュテインの作品などを観て編集を学んだんです」とも語った。
ささやくように…音と声の重要性
そして話題はカパーリヤーの監督作へ移る。「All We Imagine as Light」の内容を聞かれると、カパーリヤーは「インド南部のケーララ州からムンバイにやって来て、ルームシェアをしている2人の女性の話です。40歳代と20歳代の2人はそれぞれ叶わない恋愛をしている。インドにおいて家族はサポートしてくれる存在でもあるし、時に足枷にもなる存在です。肉親から離れ、友達によって形成される家族という形もある。そういう友情の物語です」と説明した。
是枝は「状況はシリアスですが、作家の語り口も登場人物もとても穏やか。訴えるときに声高ではない。そしてすべての人物に愛情が注がれていると思いました。それが今年のコンペ作品の中で際立っていました」と評し「作品内では声の存在が重要なものに感じましたが、どれくらい意識しましたか?」と質問する。カパーリヤーは「映画内の音というものは、一番身体的な影響を与える要素だと思っています。声高にしなくていいと思っているんです。劇場だったらなおさら、すごく静かに話しても伝わりますよね。耳の近くでささやいているような声を捉えていきたい。引きの画だとしても声が近くから聞こえるように作れますし、そういうふうに(スタイルを)選べるのが映画作りの楽しさだと思います」と回答した。
川端康成「掌の小説」の影響
「何も知らない夜」で印象に残った言葉を引用した是枝は「“支配者が残す記録だけが歴史と呼ばれる”というモノローグがありましたね。これはどこから出てきた言葉ですか?」と投げかける。カパーリヤーが「学生運動やインドの状況をすごく意識して作りました。(国内では)歴史についてさまざまな意見が挙がっているのですが、そういった中でセリフが浮かんだんです。歴史を悪用せずに捉えようという思いを、自分なりに映画に入れました」と返すと、是枝は「パヤルさんは、歴史というものを人々に取り戻すための営みとして映画作りを考えていると感じました。この作品も語り口はすごく静かですが、一貫して揺るがない哲学があると思います」と分析する。またカパーリヤーは大掛かりな物語ではなく、日常にあるものを切り取っていきたいとも言い「映画学校時代に川端康成の『掌の小説』を読みました。簡潔ですが多くの情報が込められています。言葉や情報が少なくても語ることができるんだと、この作品を教えてくれた学校の先生に感謝しているんです」と伝えた。
お互いの言語を理解できないということも文化の一部
最後はイベント参加者の質疑応答タイムも。「All We Imagine as Light」を釜山国際映画祭で鑑賞したという人物から「劇中ではいろんな言語が話されていますね。色分けされた字幕版が上映された国もあるそうですが?」と聞かれると、カパーリヤーは「インドには20以上の公用語があり、全員が違う方言をしゃべるような国です。ムンバイではいろんな言葉が聞こえて来ますし、お互いの言語を理解できないということも文化の一部。ムンバイという都市を語るなら、多言語文化を取り入れないといけないと思いました。一言語ではとてもじゃないですが作れなかったんです」と背景を述べる。また「(その土地の)言葉を話せないと心理的距離感が生まれますよね。自分たちの方言だけで話したら関係は親密になりますから、言語はとても大切。なので字幕の付け方もしっかり考えていかないといけません」と答えた。
映画内での女性を描く際に意識している点についても質問が飛んだ。是枝は総合演出を担ったNetflixシリーズ「舞妓さんちのまかないさん」を例に取り、「(取材で得られた)新しい発見も含め、どういうふうに芸妓・舞妓という存在を未来につながる形で描けるのか自分なりにチャレンジしました。僕は男性ですし、男性が描く女性像からはどこまでいってもおそらく離れられない。離れられると考えること自体が傲慢だと思います。男の監督として、今の時代にどう女性を描くことが可能なのか考えていきたい」と真摯な思いを口にする。
カパーリヤーは「インドには階級、宗教、ジェンダーといろんなレベルでいろんなグループが存在しています。私は女性ですが、ほかのアイデンティティにも思いを寄せる必要があります。自分が特権を持っているかもしれないという意識を忘れてはいけないんです。インドではアイデンティティそのものが人々を大きく分断するものでもあります。例えば女性は人生の伴侶選びをコントロールされている。それぞれの国にそういった要素はあると思いますが、インドは非常に特徴的です。映画人として常々考え、疑問を投げかけなくてはいけない」と話した。
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【イベントレポート】穏やかな語り口と一貫した哲学を称賛、是枝裕和がインドの監督パヤル・カパーリヤーと対談 https://t.co/F1wTswSi5d