ファッションブランドKENZOやライフスタイルブランドK三(ケースリー)の創始者であるデザイナー
1970年に自身のブランドを始め、オートクチュールではなくプレタポルテ(高級既製服)を広めることでより多くの人々がファッションを楽しめる基盤を作った高田。日本の安価な木綿生地を好んで取り入れ、当時のパリでは珍しかったゆとりのあるフォルムが人気を博し「木綿の詩人」と呼ばれたほか、「色彩の魔術師」という呼び名や「フォークロア・ルック」でも知られる。
本作は、2018年末から高田に取材を開始し、2019年に80歳を迎えた彼の自画像制作を捉えたドキュメンタリー。2020年10月に新型コロナウイルスの合併症で死去した高田の、最期の約2年間を記録している。
監督を務めた
※高田賢三の高は、はしご高が正式表記
中山章太郎 コメント
この映画の撮影を始める二年前、とあるTVドキュメンタリー番組の制作の中で、私はパリ在住の高田賢三さんを取材することになりました。二、三週間くらい事務所のデスクで取材のための下調べをするうち、私の中で賢三さんのドキュメンタリーを撮りたいという考えが、ふつふつと湧いてきました。
海を渡っての挑戦、成功と挫折、恋と別れ、「この人の人生は映画になる」と思える方と実際に出会える機会はめったにありません。
そして賢三さんについてのドキュメンタリー映画は、まだありませんでした。
私自身、これから自分はどう生きていくのだろうと悩んでいた時期でもあり、もしかしてこの映画を作れば、その答えも分かるのではないかという希望も合わさり、思い切ってプロデューサーに、賢三さんのドキュメンタリー映画を撮りたいと相談したのが始まりでした。
来日していた賢三さんに撮影を申し出たのは、皇居のそばにある高級ホテルのレストランでした。その時の私はあまりに緊張していたので、何を話したかあまり記憶がありません。ただ印象に残っているのは、落ち着いた優しい賢三さんの話し声と、「自分なんかが映画になるかな?」と不安そうにしていたことです。
映画制作を進める中、多くの賢三さんの友人にお会いしました。その誰もが賢三さんのことを、本当に大切に思っているのが伝わってきました。周りにいる人たちは、常に賢三さんに心を配り、気にかけていました。放っておけないと思わせる、そういう魅力が賢三さんにあるのだと思います。
賢三さん自身は、自分のやりたいこと、すべきことが、いつも明確に分かっている人でした。80歳になっても毎日仕事をしたり、絵を描いたり、ピアノを練習したり、ジムで運動したり、忙しく何かに取り組んでいました。
また多くの人が言うように、どんな時も楽しむこと、喜びを感じることを大切にしていました。取材が終わるといつもシャンパンを出してくれて、色んなお話をしてくれたり、体調がすぐれない時や忙しい時も、取材に多くの時間を割いてくれました。また寒い日に外を歩いてくれたり、人を紹介してくれたり、パーティーを開いてくれたり、私の多くのリクエストに応えてくれました。
本当に、本当に、感謝しています。
HILDA💙💛KYOKO @hildahippo
観たいな。
KENZO創始者・高田賢三の最期の2年を追ったドキュメンタリー公開(コメントあり) https://t.co/1KCCTnzE6l