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「春の夢を走る君へ」まっすぐでやわらか、ゆえに増す切なさ……野球部員×マネージャーの繊細で誠実な恋物語
2025年9月5日 12:00 PR林シホ「春の夢を走る君へ」
高校では野球から離れると決めていた高校1年生の夏八木愛生。しかし野球一筋で1つ年上の幼なじみ・真澄から半ば強引に誘われる形で、野球部のマネージャーを務めることに。かつてのチームメイトであり、恋心を抱いていた相手でもある真澄の、何気ない言動に揺り動かされる愛生。そんな彼女の隠れた思いに、野球部所属の同級生・柴源彦だけは気づいているようで……。LaLaDX(白泉社)で2025年1月号から7月号まで連載された「春の夢を走る君へ」。単行本が9月5日に発売されたばかりの作品だ。
文
野球部員×マネージャー、王道ながらほろ苦くて爽やかな物語
――野球部員とマネージャー。スポーツや恋愛マンガにおいて、この組み合わせは幾度となく描かれてきた、王道の題材だ。選手が日々の練習に励むその裏側で、スコア作成や備品管理、練習のサポートを担うマネージャー。選手のようにプレーをするわけではないが、役割の違いを超えて互いの努力や真剣さを間近で見つめ合うからこそ、芽生える感情や絆は特別な輝きを帯びる。
その清涼感の中心にいるのが、主人公・愛生(めい)だ。シニア野球チームの監督を父に持ち、かつては自らも選手としてグラウンドに立っていた彼女。しかし高校進学を機に、野球から離れる決意をしていた。すべては、幼なじみであり、チームメイトでもあった真澄への片思いを断ち切るために。
ところが入学後、真澄からの厚い信頼と半ば強引な誘いを受け、愛生は再び野球に関わることになる。ただし今度はプレイヤーではなく、マネージャーとして……。こうして、彼女の青春は、野球と恋のはざまで新たなスタートを切る。この設定だけで、読者はきっと「こうなるんでしょ?」と多くの展開を予想するだろう。けれど林シホ氏の筆は、甘酸っぱい恋愛描写という王道を踏まえつつも、そこに留まらず、まったく別の方向へと物語を導いていく。
まっすぐでやわらか、ゆえに増す切なさ……繊細な恋心と誠実な関係性を描き出す
その方向性を形づくっているのは、キャラクターたちの“誠実さ”だ。本作では誰かを好きになる気持ちさえも、野球への真剣さの延長線上に描かれていく。例えば、真澄は無自覚な優しさで時に愛生を翻弄するが、それを前にして彼女は泣いたり逃げたりしない。なぜなら好きだから真澄のそばにいるのではなく、“野球部のマネージャー”として側にいるのだから……。
さらに、愛生は元選手であるがゆえに、野球そのものや選手たちの努力に嘘をつけない。あるとき、野球部員から真澄との仲を訝しがられ、気まずい質問を投げかけられる場面があるが、そのときでさえ彼女はこう思うのだ。「朝から晩まで真剣に野球に向き合っている人に、ここで私がついていい嘘なんてひとつもない」と。この彼女のひたむきさこそが、本作全体のトーンを象徴している。
そして、この誠実さこそが物語に独特の苦みと切なさを与えている。誠実ゆえに、愛生自身の恋心は一層切なく、苦しさを増していくが、一方の真澄もまた徹底して野球に打ち込む姿勢を崩さない。恋愛マンガのはずなのに、両者のまっすぐさは野球への真剣さと不可分であり、私たち読者は彼らの揺れる心をただ甘く見守ることはできない。
そんな誠実さゆえの緊張感を和らげる存在が、チームメイトの源彦だ。愛生の気持ちに気づき、さりげなく支えようとする彼の言動には、「待ってました!」と言いたくなるほど、恋愛マンガ的な甘さと安心感が漂う。彼の存在がなければ、物語はあまりにも真摯で少々息苦しいほどかもしれない。だが、源彦が差し込む光が、物語全体にやさしい陰影を与えている。
本作の魅力は、各キャラクターたちから滲み出る“まっすぐさ”と“やわらかさ”の絶妙なバランスにあるだろう。また、林シホ氏の描線は、まるで夏の夕暮れに吹く風のように柔らかくて瑞々しい。恋に没頭しすぎるでもなく、野球を美化するのでもなく、ただ登場人物の息遣いをそのまま紙面に写し取る……。だからこそ、愛生と真澄の関係に漂う緊張感や、源彦のやさしさが、読者の胸に素直に響いてくる。
「春の夢を走る君へ」は、夏の終わりに読むとひときわ胸に沁みる作品だと思う。練習の汗や白球のまぶしさとともに、恋心の切なさが季節の移ろいと重なり、ページをめくる手に余韻を残す。現実にはまだ暑さが残るけれど、心だけでも秋の気配を先取りしたい今、ぜひ味わってほしい1冊だ。
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