学校では評価されにくいようなオモシロが発掘される場所にしたい 岩井秀人が語る「なむはむだはむLIVE!」

未來くんとマエケンは、作り方を自由にしてくれる人

──岩井さんは2003年に半自伝的戯曲「ヒッキー・カンクントルネード」で初めて戯曲を執筆し、2012年の「ある女」で岸田國士戯曲賞を受賞されました。そして2016年にはご自身のお父さんの死を描いた「夫婦」を発表し、自身の体験をもとにした“私演劇”の流れに終止符を打ちました。その年の年末からコドモ発射プロジェクトのクリエーションが本格始動しますが、意識的に創作スタイルを変化させたのか、自然に変化していったのか、どちらだったのでしょうか。

岩井秀人

両方だと思いますね。僕はもともと、自分が書けると思って書いてなかったし、自分が引きこもってたこととか、父親とか家族のこととか、書かざるを得ないことがあったから書いていたところがあるんですよ。だからそういった“自分の問題の外在化”って意味での作劇はひと段落したので、違うやり方を模索してみようと考えてはいました。ちょうどそのタイミングで、野田(秀樹)さんが“子供の発想を大人がなんとか演劇にする”企画をやろうとしていると知って、「野田さん、あれ早くやってください、楽しみにしてます」って伝えたら「じゃあやってくれ」と(笑)。それで始めてみたらどんどん広がっていった、という感じです。ただ、「なむはむだはむ」で未來くんに出会ったことは、めちゃくちゃ大きい気がします。未來くんは世の中的には俳優ですけど、パフォーミングアーツの場ではダンスとか動きに重心を置いて活動している人で、最終的に“納得”するためにやってる人だなって思ったんです。そこに、僕の中で「なむはむだはむ」をやる理由が見つかって。

これよく話す話なんですけど、昔、美術の時間に自画像を描いてて、緑色ベースで自分の顔半分を塗ったらすごく楽しくて興奮して。先生も「すごいな」ってめちゃめちゃ褒めてくれてたんだけど、提出の日になって「で、秀人はいつそれを肌色に塗り直すんだ?」って言われたことに、ものすごいショックを受けたんです。美術とか音楽とか、本来はそれぞれの正解を探すはずのものなのに、型にはめられてしまうんだなって。そのときの自分のように、学校や家庭では評価されないものを、“あの変なおじさん3人だけは喜んで作品にしてくれた”みたいな場が、「なむはむだはむ」で作れたらいいなと思ったんです。

──当初は森山さんと2人でクリエーションがスタートしましたが、途中で森山さんが前野さんに声をかけて、3人のプロジェクトとして本格始動しました。岩井さんと前野さんは2019年に上演された音楽劇「世界は一人」(参照:音楽劇「世界は一人」明日開幕、岩井秀人「なんだか相当なものができたよう」)でもタッグを組んでいますが、前野さんからはどんな影響を受けていますか?

マエケンはとにかく言葉に対する感覚が、僕とも未來くんとも全然違う。僕は物語ベースで考えてしまうので、20行の物語があったら20行全体の流れで見て、程よく破天荒で程良く整ってるかを見ちゃうんだけど、マエケンは短いセンテンスでも読むんですよね。最初にワークショップの見学に来てくれたときも、主人公のガイコツがバラバラになった物語の、「『体は海に、頭は八百屋に』って言葉、ヤバくない?」ってすぐに反応していて。そう言われて改めて見てみると、それくらいのセンテンスが光り始めたような感覚になって。そういう点でマエケンは、取り組み方、作り方を自由にしてくれる人だと思いました。

──岩井さんの演出の言葉も、以前と少し変わってきたように感じます。かつては岩井さんが持っている“正解”を稽古場全体で追求するような印象でしたが、今は岩井さんが風呂敷の端だけ握っていて、中で俳優やスタッフが自由に動いているというか……。

ハイバイでは、基本的に何でも僕が決めなくちゃいけないので、とにかく自分のイメージ通りに試行して、それが合ってるかどうかを何度も繰り返して見極めていくやり方でした。「なむはむだはむ」では、未來くんもマエケンも完全に独立した表現者なので、それぞれに任せられるというのがとにかく大きい。僕は自分のことだけ考えていれば、あとは放っておいても成立するところがあるんです。そういう経験を経ると、何かが立ち上がるまで待つとか、あるいは僕のイメージ通りに一度やってみて、結果イメージしたものと違っても、以前ほど問題には思わなくなってきた。その違いを面白がれるようになってきたのかなと思います。

──演出の楽しみ方が変わったところもありますか?

変われるといいんですけどねえ。でも「て」や「夫婦」をがんばってやっていたときに比べれば、面白いものはある程度作れるってわかったから、今はどれだけ楽に、稽古でゲラゲラ笑いながら面白い作品が作れるかに意識が変わってきた気がします。

創作の可能性をお客さんにも知ってほしい

──岩井さんの近年の活動では、俳優が初見の台本を読む「いきなり本読み!」のようにプロの技を見せる企画(参照:ユーロビートで見得!岩井秀人「いきなり本読み!」第6回は大衆演劇風台本に挑戦)と、「なむはむだはむ」や「ワレワレのモロモロ」のように一般の人から話を引き出す企画が両輪で展開しています。それぞれの面白さをどう感じていますか?

それぞれ全然違う面白さがあって、その両方を伝えてこそ演劇な感じがします。僕、そんなに「演劇のために」って思ったことはないんですけど、例えば、“ある一定レベル以上の台本を、プロの俳優でやる舞台”があるとしたら、それ以外の要素を入れても耐えられるのが演劇だと思っていて。2018年にさいたまゴールド・シアターとやったとき(参照:悲喜こもごもを作品に昇華、ゴールド・シアター×岩井秀人「ワレワレのモロモロ」)、高齢の俳優さんに「セリフが覚えられません」って言われたんですね。でもセリフが覚えられないからできないのか、セリフが覚えられないから面白くないかと言ったら全然そんなことはなくて。舞台上で俳優が俳優にプロンプを出したほうが演劇的には面白かったりするので。

──また「いきなり本読み!」は戯曲からセリフの立ち上がり方、「なむはむだはむ」は子供が書いた物語からパフォーマンスへの立ち上がり方をそれぞれ見せる企画です。近年の岩井さんの活動では、最終的な“作品”だけでなく、クリエーションの過程を見せること、感じさせることに重きを置いていますが、それはなぜですか?

岩井秀人

そうしたほうが、本番も面白いと思うからです。本番前1カ月の稽古の中で、俳優はものすごいたくさんの可能性を生み出してるんだけど、演出家がそのうちのどれか1つをベストだと思って本番に採用してるんですよね。でもそれがベストとは限らないし、稽古場でほかにどんな可能性が生まれていたか、お客さんも知っていれば、俳優のすごさがもっとよくわかるんじゃないかなと思ったんです。また、今はお客さんの中で、演出と台本と俳優のことが全部混ざってて、「あれが面白かった / 面白くなかった」だけが議論になるけど、それぞれが別に成立していることがわかれば、演出と台本と俳優をそれぞれ独立した軸で評価できるようになる。そうすれば演劇でも映画でもドラマでも、作品の見方が豊かになると思うんです。そのためにも、面白い作品は演出家や俳優を変えて、どんどん再演したほうが良いと思っていて。シェイクスピアとかだけじゃなくて、もっとお客さんが共有できるようなレベルの話を繰り返し上演することで、演出と台本と俳優を切り分けて捉え、それらが絡み合って作りあげられた演劇として、さらに楽しめるようになるのではないかと思います。実際、僕自身も最近は作っている時間のほうが本番より楽しくなっていますし、お客さんにもそういう時間を楽しんでもらいたいと思います。

岩井秀人(イワイヒデト)
1974年、東京都生まれ。作家・演出家・俳優。2003年にハイバイを結成。2012年にNHK BSドラマ「生むと生まれるそれからのこと」で第30回向田邦子賞、2013年に「ある女」で第57回岸田國士戯曲賞を受賞した。近年は、パルコ・プロデュース「世界は一人」の作・演出、フランスジュヌビリエ国立劇場「ワレワレのモロモロ ジュヌビリエ編」の構成・演出などを担当するほか、俳優として「キレイ─神様と待ち合わせした女─」に出演。2020年にプロデュース企画「いきなり本読み!」を開始した。8月から9月にかけて東京・高知・山口・北海道で「ヒッキー・カンクーントルネード」が上演される。

2021年12月3日更新