宮川彬良×藤田俊太郎が立ち上げる「天保十二年のシェイクスピア」 井上ひさしの言葉に今、新たな炎を灯す (2/2)

シェイクスピアに向き合ったからこそ、見えてきたもの

──宮川さんは、9月から10月3日まで神奈川芸術劇場KAAT 大ホールで上演された、藤田さん演出「リア王の悲劇」でも音楽を担当されました。

宮川 そうなんです。そのときにシェイクスピアに関する情報をいっぱい受け取って。「天保十二年のシェイクスピア」初演の頃はもっと、“シェイクスピアのあのシーンをやっているに違いない”というような感覚が僕の中で濃かった気がしますが、今ありありとわかるのは、「天保十二年のシェイクスピア」はシェイクスピアを並べたものではなく、これこそ井上ひさしで、僕たちは今、井上ひさしの作品をやっているんだ、ということ。その意識の変化が僕としては面白いです。しかもそれって、何百年も前に書かれたシェイクスピアの戯曲から井上ひさしが同じものを受け取って「天保十二年のシェイクスピア」を書き、50年後に僕も同じ感覚を受け取ってこの楽曲を作った、と考えることもできるわけで、そういった歴史的な縦のつながりを、僕はけっこうエンジョイしています。

藤田 彬良さんと一緒に「リア王の悲劇」を創作し上演したからこそ、なんですが、実は僕も同じことを感じていて。「リア王の悲劇」で、僕は演出家として初めてシェイクスピア劇を演出したのですが、「天保十二年のシェイクスピア」において講談の世界やシェイクスピアの世界は思考や要素の1つに過ぎず、趣向として織り交ぜられただけで、この作品は江戸の時代劇であり井上ひさしの作劇だ、ということを改めて実感しています。そう感じるようになった今と2020年の初演時とでは、演出の感覚がまるで違います。5年経つと世界的な状況も変わりますが自分の個人史も変わり、今回改めて台本に向き合ったときに、シェイクスピアがすごく遠くに行く感覚がありましたね。

左から宮川彬良、藤田俊太郎。

左から宮川彬良、藤田俊太郎。

──今日の取材に先立ち、まず戯曲を読み直し、その後初演の映像を観直したのですが、台本を読んでいる間に自分の中に音楽が聞こえてくるような感じがあって、映像で音楽を聴いて腑に落ちるような印象を受けました。改めてこの作品は“聴く”ことが大事な作品なのかもしれないな、と感じたのですが、戯曲の中にすでに“音楽がある”ということなのでしょうか?

宮川 そうそう、そうなんです。例えば1つの単語や1行のセリフの中に、濁音が何個、濁音が何個、撥音が何個といった具合で、面白い音が出るような言葉が並んでいるんですよ。(井上ひさしが脚本を手がけた教育テレビの人形劇シリーズ)「ひょっこりひょうたん島」だって、ご自身がどこまで意識されていたかわからないけど、「ひょ」「っ」「こり」「ひょう」「たん」「じま」と、面白い音が詰まっているでしょう? 彼が歌詞を書くときは少なくともその辺りを意識していたんじゃないかなと思います。(「天保十二年のシェイクスピア」の)「賭場のボサノバ」だって、賭場の「ば」とボサノバの「バ」が韻を踏んでいるし、賭場からいろいろなものを連想できる中で、彼はボサノバを連想したっていう(笑)、その愉快さだよね。やっぱり我々とはちょっと違う角度からものを見ていると思うし、ちょっとずらした視点から己を見ている感じがします。その入り口が井上ひさしにとっては“ことば・ことば・ことば”なんですよね。

──先ほどの「ムサシ」のお話にしても、井上さんはそもそも、タンゴのリズムで戯曲を書いていたのかもしれませんね。

宮川 確かにそうですね。そのリズムを、僕は戯曲から読み取ったのかもしれません。そしてまたそういった音の感覚を“見えるもの”にしてしまうのがこの人(藤田)のすごいところ! 舞台美術と音楽ってあまり関係ないものと思われがちですが、彼の中では一致しているんです。だから稽古場で最初に舞台美術を見たときに、腰が抜けるかと思うくらい驚いたし、無駄がないというか、カッコいいなと思って。「ああ、そうきたか!」と心から感じました。

左から宮川彬良、藤田俊太郎。

左から宮川彬良、藤田俊太郎。

藤田 作品全体で考えるのが僕の役割なので、音楽の運びと舞台美術、そのほかもろもろ同時に考えてはいるつもりです。ただ、やっぱりすべて台本ありきだと思っていて、台本にしか答えがないとも思っています。例えば今回稽古で発見したのは、「ことば・ことば・ことば」のシーンにたどり着くまでは、“ことば”にまつわる表現が“ひとこと”など、濁音のない言葉で、「ことば・ことば・ことば」のシーンに来てやっと「ば」を使うんですね。これが無意識なのかどうかわからないのですが、「ことば」というセリフが際立つように意識して書かれているのかもしれない、と思ったんです。そして言葉は、人を傷つけたり殺めたりする可能性もあれば、人を幸せにする可能性もあって、そんな井上ひさしさんの言葉たちが、彬良さんの音楽により魂を宿し直すことを、今回はすごく感じています。実際、再演にあたって音楽がより美しく残酷になったと言いますか、言葉が毒にもなるし聖にもなるという裏表、言葉の多面性がより浮き彫りになったと思います。彬良さんと今回そういった仕事ができたことで作品がすごく上昇しましたし、「天保十二年のシェイクスピア」が音楽と言葉にまつわる作品であることを強く実感しました。

そしてこれは浦井健治さんがおっしゃっていたことなんですけど、三世次は生きている人ではない感じがする、生きることを捨てた人ではないかと。確かに三世次は、そもそも罪人で島流しされた場所から抜けてきた人物なので、いつ殺されたり死んだりしてもおかしくないんです。そんな三世次が、徐々に言葉の力を知り、腕の力を知り、ついには権力を手に入れ、生に執着し始める様が、音楽面でも描かれていると思います。

初演を忘れず、新たな座組みで挑む2024-2025年版

──今回、一部キャストを除き、2020年版のキャストがほぼ集いました。佐渡の三世次役を今回演じるのは、初演時、きじるしの王次を演じた浦井健治さんです。

宮川 初演で三世次役を演じた高橋一生さんは、映像で改めて観ても本当に達者な人だったんだなって感じるくらい、細かい音まできっちり理解して歌われていて、歌が非常に上手でした。浦井さんも、僕がリクエストしたこと、一見すると不思議なこともきっちり形にしてくれますし、すごくアンテナを立ててキャッチしようとしてくれていて、この作品で描かれる作品の現在性やリアリティを共有できる人だなと感じています。

藤田 初演時、「一生さんの歌は(ピアノを弾いている)指に吸い付いてくる感じ」と彬良さんはおっしゃっていましたが、今回、稽古場で浦井さんと彬良さんがやり取りしているのを見ていると手と手をグッと取り合っているような印象があります。

宮川 ああ、確かにそうかもしれないですね。

──また初演で辻萬長さんが演じられた鰤の十兵衛を今回、中村梅雀さんが演じられます。

藤田 萬長さんと梅雀さんは、キャラクター的には全く違います。十兵衛は、江戸末期の清滝村で、どんどん価値観が変わっていく中、ヤクザだけでなく宿場女郎など手広く商売を広げていて、腹の中ではとにかく何を考えているかわからない人物。それゆえ周囲にはあまり支持されていなくて、できれば早く政権交代してほしいとみんなから思われている、恐ろしさのある人物です。その点はお二人とも共通していますが、萬長さんはまさに講談の世界で描かれるような、“生きてるヤクザとはこうですよね”というような十兵衛像であるのに対し、梅雀さんは喜劇的で人としてリアリティがある十兵衛像。そこが非常に対照的だなと思います。お二人とも井上ひさしさんの台本からお役を作っているという点は同じですが、出力が違うというか、表現の仕方が全く違う。お二人とも、人間力にあふれ、とても尊敬しています。

僕は、萬長さんとは演出家としてはこの作品が初めましてだったのですが、演出助手としては長く関わってきました。稽古の中で、萬長さんからいろいろな部分で「ここはこうしたい」という意見が出て議論もしましたが、最後は「藤田、面白かったよ」と言ってくださり、「またやろう」と電話でお話したのが、亡くなるほんのちょっと前でした。今回、僕としては、萬長さんに対する思いも感じながら、再演に臨んでいます。

藤田俊太郎

藤田俊太郎

宮川 萬長さんの後を演じるなんて、誰かいるんだろうかと僕は思ってしまったけれど、梅雀さんは素晴らしいと思う。いい人を見つけたよね!

藤田 梅雀さん、素晴らしいです。役に対する取り組み方も素敵だし、言わずもがな梅雀さん、身体性がとても高いんですよね。

宮川 日本舞踊もやられているからね。梅雀さんは、その都度その都度、フレッシュに対応してくださる、偏見がない人。いろいろな世界を見ていらっしゃるからか、柔軟さがあってとても素敵です。

いつの時代にも同じようなことがあり、ここにはそれしかない

──初演から50年。これまで、蜷川幸雄さんはじめ何人かの演出家が上演されているとはいえ、「天保十二年のシェイクスピア」という作品に今回初めて触れる観客も多いと思います。また二十代、三十代の方だと、晩年の井上ひさし作品とは違うエネルギッシュさや猥雑さにちょっとびっくりされるかもしれないと思いますが、改めてお二人は、この作品のどんなところを楽しんでほしいと思われますか?

宮川 二十代、三十代の人は、もしかしたら僕が出ていたNHKの教育番組「クインテット」を見ていた世代かもしれませんね? 僕は子供の頃、井上ひさしの「ひょっこりひょうたん島」を見て育ったのだけれど、当時放送作家は舞台をやっている人が多く、彼らは社会を映す鏡になりたいと思って創作していました。そもそも作家は江戸の戯作者の時代から、社会を風刺した作品を生み出したいという思いを持った人たちであるわけですが、僕も「クインテット」で、まさに風刺がやりたかったんですよね。その先生が井上ひさしだった、という感じなんです。だから僕の番組を観ていた人たちには「クインテット」の続きを観るような気持ちで来てもらっても全然オッケーですし、お勉強しに来る、ということではなくヒョイっと劇場に来てもらえれば、「いつの時代にも同じようなことが山のようにあって、それしかない」ということを感じてもらえるのでは。本当に、いつの時代にもあることしか、ここにはありません。そのように世界を捉えてもらえたらなと思います。

宮川彬良

宮川彬良

藤田 僕自身の話をすると……生きている中で時折、自分の想像力を超えるような面白い出来事や、「わ、こんな価値観があるんだ!」と想像を絶するようなことに出会うことがあります。僕にとってそれは井上ひさしさんの作品で、井上ひさしさんの芝居に出会い、「こんなに演劇って面白いんだ!」と知って、人生が変わりました。井上ひさしさんの作品をずっとご覧になってきた方には、今回、また新たな気持ちで楽しんでいただけたらと思いますし、もしまだ井上ひさしさんの作品を読んだことがない、観たことがない、という方には、ぜひこの機会に触れていただきたい。井上ひさしさんの作品には、「もっとこう生きたい」「ここから出ていきたい」「現状に満足できない」といった人間の暗さや闇が描かれると共に、それをひっくり返せば喜びや楽しさも多分にある、という両面が描かれている。劇場で大いに悲しんで苦しんで泣いて楽しんでいただけたら幸いです。

そしてこれは彬良さんがずっとおっしゃっていることですが、「今この作品を上演する意義とは?」という目線は、僕も常に考えています。「天保十二年のシェイクスピア」に“2024・2025年の世相”を、いかに合わせ鏡として映し出すのか……共通するのはおそらく、“生きづらさ”という点ではないでしょうか。昨今は世界的にも独裁政権が誕生するなど、生きづらさが増していますよね。それは、この作品で描かれている登場人物たちの生きづらさに通じるのではないかと思います。劇中では、そんな苦しい状況を音楽が融和していくわけですが、そこも本作の魅力ではないでしょうか。

また僕は、日本人のルーツをどうやって捉えるのか、そこにどういう美学があるのかという捉え方、価値観もこの4・5年ですごく変わってきたと思っています。実は先日「SHOGUN 将軍」を観まして、とても素敵な作品で感銘を受けました。この作品がヒットした理由は本当にたくさんあると思いますが、1つ挙げるとしたら、「日本人の価値観は面白くて豊かなものだ」というふうに世界の人たちにより深く知ってもらえたということなんじゃないかと思います。日本人の美学自体はずっと同じ、特に変わったわけではないんだけれど、価値観の面白さやルーツの美しさが再発見されたことが「SHOGUN 将軍」のヒットにつながったのではないかなと。

「天保十二年のシェイクスピア」についても、日本にはこんなに美しい井上ひさしさんの言葉があり、音楽があるんだということを、ぜひ多くの方に知っていただきたいですし、自分が作る以上は世界中の皆さんに楽しんでいただけるものにしたいと思っています。東宝さんは先日「千と千尋の神隠し」ロンドン公演で、日本人オールキャスト、日本語上演で4ヵ月ロングランという画期的なことを実現されましたが、日本の魅力を伝える、という意志を持った方々がこれだけたくさん演劇界にもいる中に、自分もやっぱりい続けたいと思いますし、同じ思いを持って今回も上演に臨みたいと思っています。

左から宮川彬良、藤田俊太郎。

左から宮川彬良、藤田俊太郎。

あらすじ

時は江戸末期、天保年間。下総国清滝村で旅籠屋を仕切る侠客の鰤の十兵衛は、3人の娘・お文、お里、お光にあとを任せて隠居しようと考えている。父親に取り入ろうとする姉2人に対し、誠実なお光は言葉を飾ることができない。怒った十兵衛はお光を勘当してしまうが、その後、お文とお里は態度を豹変。そこへ、無宿の渡世人・佐渡の三世次が現れ、清滝の老婆のお告げによって、清滝村で一花咲かせようと目論見る……。

江戸末期に下総一帯で繰り広げられた侠客・笹川繁蔵と飯岡助五郎による勢力争いを描いた講談「天保水滸伝」と、「リア王」や「リチャード三世」「ハムレット」などシェイクスピア戯曲の要素を織り交ぜた本作。時代も場所も異なる複数の物語が、井上ひさしの筆により、生々しい悲喜劇として描かれる。

……とはいえ、その“エッセンス”1つひとつを、必ずしも熟知している必要はない。宮川彬良が言う通り、「天保十二年のシェイクスピア」には「いつの時代にも同じようなことが山のようにあって、それしかない」ことが描かれていて、作品が合わせ鏡として写し出すのは、現在の私たちだからだ。

プロフィール

宮川彬良(ミヤガワアキラ)

1961年、東京都生まれ。作曲家。劇団四季作品や東京ディズニーランドのショーなど、多くのミュージカル、舞台の音楽を手がける。2004年には「マツケンサンバⅡ」が大ヒット。2003年から2013年までNHK教育テレビの音楽番組「クインテット」にアキラ役で出演した。「身毒丸」で第4回読売演劇大賞・優秀スタッフ賞、「ハムレット」(再演)で第12回読売演劇大賞・優秀スタッフ賞、2021年祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」で第28回読売演劇大賞・優秀スタッフ賞受賞を受賞。来年2月に作曲・編曲を手がけたMusical「プラハの橋」が上演される。

藤田俊太郎(フジタシュンタロウ)

1980年、秋田県生まれ。演出家。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業。近年の演出作に「ラビット・ホール」「ヴィクトリア」「ラグタイム」「東京ローズ」「VIOLET」(英国版 / 日本版)「LOVE LETTERS」「リア王の悲劇」。読売演劇大賞第22回優秀演出家賞・杉村春子賞 / 第24回最優秀作品賞・優秀演出家賞 / 第28回優秀作品賞•最優秀演出家賞 / 第31回大賞・優秀作品賞・最優秀演出家賞、第42回菊田一夫演劇賞、第42回松尾芸能賞優秀賞受賞。あきた芸術劇場ミルハスアドバイザー。