「明日-1945年8月8日・長崎」(以下、「明日」)は青年座が1989年、平成元年8月に初演した作品だ。戦時中の長崎を舞台とした本作では、原爆投下までの市井の人々のささやかな生活が描かれる。青年座内で何度も再演の声が挙がるも、実現に至らなかったのは、演出を務めた青年座を代表する演出家の1人、鈴木完一郎が2009年に亡くなったことが大きい。初演から30年が経った今回の上演では、多くの演出家を擁する青年座としては珍しく、俳優の山本龍二が演出補という形で作品を引き継いでいる。7月10日の開幕を3週間後に控えた6月中旬、稽古を終えたばかりの山本、そしてキャストから津田真澄、小暮智美、逢笠恵祐に本作へかける思いを聞いた。
堂崎ハル役津田真澄
私は初演の「明日」にも出演しましたが、とても好きな作品で、長崎に行ったとき「ここに住んだことがあるかもしれない」とデジャブを感じたくらいです。青年座では先輩がおやりになった役を後輩が受け継ぐことがあるんですが、先輩の演技を観ているから、とてもやりにくい(笑)。今回私が演じる堂崎ハル役を初演で演じられた山本与志恵さんの演技は全部覚えています。演出の鈴木完一郎さんは初演時「俺はフランス料理を作るんじゃない。うまいラーメンを作るんだ」と言っていました。「小さい作品だけど、上質なものを目指したい」と。完一郎さんはすごく厳しくて怖い人でしたが、一番信頼していた演出家です。今回の「明日」でも下手をこいたら天国から怒鳴られるんじゃないかと思っています。
今回は劇団の若手も参加していて、役者として自立することは大変だと思いますが、できることはフォローしたい。青年座は65周年を迎え、私は入団から30年くらいですが、自分のことで言うと、よくここまでやってきたなと思いつつ、まだこんなことしかできないのか、とも思ったり。とにかく自由な劇団なので、この自由さがこれからも続けばいいなと思っています。
福永亜矢役小暮智美
青年座での初舞台が2005年の「明日」だったので、私にとって忘れられない作品です。私は福島県出身なのですが、東日本大震災のとき、ちょうど帰省予定で東京駅から高速バスに乗ろうとしていました。そのとき原子炉が爆発して……自分の生きる時代にこういうことが起こり得る、今が当たり前ではないということを体で実感したんです。15年と18年には自分たちで企画・運営するユニットOn7で、原爆の熱線を浴びてしまい、渡米治療を経験した女性たち“原爆乙女”を題材とした「その頬、熱線に焼かれ」を上演しました。そのとき被爆者の方や当時、実際に治療を受けられた方とお会いし、交流を深める中で、ものすごく大きなバトンをいただいたと思っています。
演劇だからこそできる力があると、今はっきりそう思っています。広島と長崎に原爆が落とされた事実の中には何十万という先人たちの生活があり、その悲劇が私たちの日常と地続きにあるということを知ってほしいし、私も知り続けていきたい。偉そうに語っていますが、観客の皆さんと、私は何も変わらないです。ただ想像することは、幸いにも稽古中させてもらえます。なぜあんな地獄のような出来事が、同じ人間の手によって行われてしまったのか。「明日」では、生演奏の音楽に身を寄せながら、1945年8月8日、長崎のあの時を、私たちと過ごしていただけたらと思います。
石原継夫役逢笠恵祐
僕は福島出身で、東日本大震災のときに家族や友人が福島にいたので、広島、長崎、福島の記憶を風化させてはならないという思いが根底にあります。震災のあと青年座劇場でチャリティー公演が行われた際、高木達さん演出の「明日」のリーディングに参加しました。僕は青年座の財産演目「ブンナよ、木からおりてこい」で、12代目としてブンナ役を受け継いでいて、青年座研究所で鈴木完一郎さんの授業を受けた最後の世代でもあるので、今回も先輩方から継承する気持ちでやらなきゃという思いです。
「明日」という作品を通じて何か明確な答えを提示するのではなく、お客様が考えるきっかけになってほしい。演出補の山本さんからは「演じるというより、役に寄り添ってくれ」と言われているので、魅せる芝居ではなく“観られる芝居”を目指しています。
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劇団青年座 2019年度ラインナップ
演出補山本龍二
「明日」という作品は、演出の鈴木完一郎さんもですが、原作の井上光晴さん、脚色の小松幹生さんが既に亡くなっているんです。今回は先輩たちへのオマージュとして、鈴木演出版の装置と音楽を使いつつ、自分たちなりの作品にしたい。初演のときはとにかく鈴木さんからダメ出しの嵐でした。再演ではなぜか褒められたんですけど(笑)。僕はこの作品を機に鈴木さんの作品にしばらく出なくなり、15年の「夢・桃中軒牛右衛門の」で久しぶりに鈴木さんに付いたのですが、それが鈴木さんが青年座で演出した最後の作品になってしまいました。
「明日」は、先人たちへの“弔いの芝居”だと思っていて、「戦争反対」と声高に言うわけではなく、ただひたすら人間を描いている。弔い方として腑に落ちる脚本なんです。今回出演する俳優たちには「登場人物にひたすら寄り添ってくれ」と伝えました。昭和から歴史を積み上げてきた青年座のような集団でなければ作れない作品だと思っています。観客にとって、日常とは違った、ささやかで特別なひとときになれば。